この本はずいぶん前に購入していた。1992年の早大生協のレシートがはさんである[Luigi Polese Remaggi先生のクラスでダンテやピランデッロを読んでいたことを思い出す]。この本の原書は、1904年に出版されて大成功をおさめた有名なピランデッロの長編小説 "Il fu Mattia Pascal" (故マッティーア・パスカル)である。内容を定かには思い出せないので、この機会に再読してみた。一度死んだことになった人が生きていくのがどんなことか、切実に思い知らせてくれる。でも、今の世の中にも、失踪したことになっているホームレス、意外といるのだろうな、でもたいていの人はカジノで儲けることなく絶望して野垂れ死ぬのだろうな、と思う。メモる。以下ネタバレ。

 

<登場人物>

 マッティーア・パスカル/ アドリアーノ・メイス: 主人公

 ベルト(ロベルト): 主人公の兄。結婚してからオネリアという土地に住む。

 主人公の母: 虚弱で、マラーニャに夫の遺産をなし崩しにされる。

 バッタ・マラーニャ: 主人公の亡き父の遺産の管財人であるが、不正を働き、貪欲に私腹を肥やしている。「もぐら」という綽名をもつ。初婚で子供ができないため、健康そうな若い田舎娘と再婚するが、やはりできない。

 叔母スコラスティカ: 亡き父の妹。癇癪持ち。管財人マラーニャを「もぐら」と非難し、無力な義妹にいつも腹を立てていた。主人公を「ちんくしゃ」と罵った。

 ペスカトーレ未亡人マリアンナ・ドンディ: マラーニャの従姉妹。ロミルダの母親で寡婦。魔女のように主人公を苦しめる。

 ロミルダ: ペスカトーレ未亡人の娘。母に似ておらず、美人。緑色の目をしている。主人公に惚れ、結婚する。

 ポミーノ: 主人公の幼馴染でロミルダのことを愛し、主人公の失踪中に彼女と結婚する。彼の父親も同名で、主人公の叔母が母と再婚させたいと思っていた。

 ピンツォーネ: 主人公と兄ベルトの家庭教師。

 オリーヴァ: マラーニャと結婚した若い田舎娘。夫に不妊症と責められるが、マッティーア・パスカルの子を身籠もり、マラーニャの子として育てる。

 アンセルモ・パレアーリ: ローマのリペッタ通りにおける主人公の家主。心霊術の実験に凝っている。

 アドリアーナ: アンセルモ・パレアーリの娘。主人公と互いに愛を感じ合う。

 テレンツィオ・パピアーノ: アドリアーナの義兄だが、妻が病死したので、舅に持参金を返す義務がある。それを免れるために妹と結婚しようとしている。ブルボン・教皇派のジリオ侯爵の秘書。その侯爵には年頃の孫娘がいる。

 カポラーレ嬢: ローマのアンセルモ家のもう一人の間借り人。パピアーノに協力してアドリアーナを彼と結婚させようとしている。

  

<読書メモ>

 1. まえおき: 語り手(主人公のマッティーア・パスカル)は今、ミラーニョのボッカマッツァ猊下の蔵書よりなる図書館で働いている。

 

 2. 言いわけめいた二度目の(哲学的)まえおき: この本(主人公の身に起きた事件)を書いてみたらと忠告したのは、その図書館(還俗された教会堂の後陣である)の管理人、神父ドン・エリージョ・ペレグリノットであった。

 

 3. 家ともぐらと: 主人公は五歳のときに父を亡くしたが、母と、兄ロベルトと主人公は、帆船で商売(硫黄をイギリスに売ったりして)をしていた父が、各所に買っていた農園(オリーヴ畠、ぶどう畠など)からの収穫で暮らしていた。その遺産管理をした人が、華奢で気弱な母につけ込んで、私腹を肥やしていた。叔母のスコラスティカはそれに憤り、主人公の母をポミーノという寡夫と再婚させようと考えた。そのポミーノの息子(父と同名のジェローラモ)と主人公は幼馴染の親友である。

 主人公兄弟はピンツォーネというひょろっとした詩才のある風変わりな家庭教師に養育された。主人公の容姿について: 斜視のため矯正眼鏡をかけ、鼻が小さめ。

 主人公が成長した頃にはもう父の遺産はあらかた消えていた。母が亡くなると、兄は幸運な結婚をしたが、主人公はと深淵に呑まれることに・・・。ドン・エリージョが何もかも洗いざらい書け、と言うので続ける。

 

 4. ことの次第は..... : 泥棒管理人バッタ・マラーニャの体格と容貌について、気位の高い病気の妻の癇癪に苦しんでいたことなど。その妻が子供をもうけずに病死した後、健康そうな若い田舎娘オリーヴァを後妻に迎え、彼女に妊娠を急かしが無駄であり、やがて暴力を振るうようになった。

 幼馴染のミーノ(ポミーノ氏の息子)は、マラーニャの従姉妹の娘に惚れていたが、臆していた。主人公、ペスカトーレ未亡人の家で、その娘ロミルダに会う。主人公はポミーノをロミルダに紹介することを約束するが、次第に自分も彼女に恋し始める。

 だが突然、ロミルダから主人公に絶縁状が届く。同日、オリーヴァが自分が石女だという証拠ができてしまったと泣きながら訴える。その一か月後、マラーニャが主人公のところに、姪の名誉を汚したと怒鳴り込んできた。姪の子供を引き取ろうとも考えたが、自分にも嫡出子が生まれるのでそうもいかなくなった、とも。[実は、ロミルダの妊娠も、オリーヴァの妊娠も主人公によるものだったのである!] だがロミルダの母親は、ぐうたら者との結婚などと怒り心頭に発していた。

 

 5. 成熟: ペスカトーレ未亡人は怒りまくっている。さらに事態は悪化し、主人公は持ち家を売らねばならなくり、破産し、母を引き取らねばならなくなる。姑のペスカトーレ未亡人の苛立ちはより激しくなる。オネリア[イタリア半島部の北西端、現インペリア]にいる兄のベルトに母を引き取ってもらいたいと手紙を書くが断られる。以前の女中二人が母を訪ねてきて、母の窮状を見かねて、そのうちの一人が母を引き取ると言い出し、さらにペスカトーレ未亡人を激怒させる。翌々日、スコラスティカ叔母さんが来て、ペスカトーレ未亡人にパン種を投げつけ、母を連れ去る。未亡人は逆上して、主人公を掻きむしり、流血させる。外でポミーノに会って顛末を話すと、彼は、ボッカマッツァ図書館で働くように働きかけてくれることになり、恥ずかしくない月給取りとなる。この仕事は二年間続くことになる。

 その図書館で働いていた時、妻のロミルダがお産をした。双子の女児で、一人は日ならずして死んでしまい、もう一人は一歳になろうという時に死んだ。その同じ日に主人公の実母も死んでしまった。悲嘆にくれる主人公を水車小屋番がなぐさめる。葬儀はスコラスティカ叔母さんが取り仕切り、三日後にベルトから葬儀費用として五百リラが送られてきた。

 

 6. カラ、カラ、カラ....  : 主人公はモンテカルロにいてルーレットで遊んでいる。ベルトの五百リラをポケットに入れて町を逃げ出し、マルセイユからアメリカ行きの船に乗るつもりであったのだが、カジノに入り込んでしまったのだ。そして不思議なことに勝ち続けたのである。彼の幸運に肖ろうという女や男が言い寄ってくる。ともあれ、どのくらい儲かったかニースの宿で数えると、一万一千リラになっていた。そして再びモンテカルロに戻り、さらに途方もない賭けに勝つが、九日目からは崖を転がり落ちるように負け始めたが、十二日目に賭場にいた青年が自殺したのを潮時として、ニースの宿に戻った時、主人公は八万二千リラを持っていた。

 

 7. 乗り換える: 大金を手にした主人公は、列車に揺られつつ、《スティーア》の農場を買い戻そうかとも考え、義母と妻との再会を思い描いた。イタリアに入ってから最初の駅で新聞を買うと、そこに、ミラーニョ(主人公の故郷)における自殺の記事がある。それによれば、主人公は自殺したことになっていた! 狼狽えたものの、自分は解放されて自由になったことに思い至る。アレンガという駅に降り立つ。郵便馬車に乗り、新聞を売っている店を聞き出し、宿屋に落ち着くと、郷里の地方紙を注文する。それは翌日手に入る[今でもこんなに早く届くだろうか?]。そこには、水路に身を投げた自分の死亡記事と弔辞が載っていた。

 

 8. アドリアーノ・メイス: 主人公は、自由な未来が目の前に開けたような気がした。その手始めに、床屋で髯を短くし、斜視を隠すために色眼鏡を掛ける。そして新しい名前を考える。トリノ行きの列車で乗り合わせた紳士たちの会話にヒントを得て、アドリアーノメイスとする。自分と妻の名前が刻まれている結婚指輪は、駅のトイレに捨てた。そして新しい自分の身の上について思いを巡らし、アルゼンチンで移民の子として生まれてすぐにイタリアに来て、祖父に養育されたことにする。

 ドイツの町々を訪れ、旅をして過ごす。ミラノに戻り、孤独を癒そうと犬を飼おうとすることもあったが、書類や税金の煩わしさを思い、断念した。

 

 9. いくらか霧が....  : 家を買えば、登記をせねばならないし、色々と思い悩む。行きつけの料理店である男に親しくされるが、根掘り葉掘り質問され、嘘をつくことに疲れる。進歩というものは人間の幸せとは無関係だなどとも考える。

 

 10. 聖水杯と灰皿: 数日後、主人公はローマに至り、そこに住むつもりでいた。リペッタ通りのテヴェレ川の見える貸室を見つける。家主の女性はアドリアーナと言い、その父親はアンセルモ・パレアーリ、義兄はテレンツィオ・パビアーノ、もう一人の間借り人は醜い容貌の年増のピアノ教師である。借りた部屋のベッドの枕元近くに青い聖水杯が掛かっていた。向かいのサン・ロッコ教会[アウグストゥス帝の墓廟の南西の角に隣接]の聖水を入れてあったのだが、主人公はそれに煙草の吸い殻を入れたので撤去された。

 アンセルモ・パレアーリ氏の蔵書の中のリードピーター著『霊界』には、死者たちは、あらゆる種類の欲望に責め立てられながら、肉体をもたないためにそれを満足させることができない、とあり、主人公は、自分がまだ生きていると幻想しているだけだと信じそうになってきた。ならば、自分はほんとうに死なねばならないのか、と。アンセルモ氏の狂気は主人公に取り憑いてしまったようだ。偉大な人間が馬鹿になった場合、魂はどうなのか? 頭脳が損なわれれば、当然、魂も耄碌するか、狂ってしまう、とアンセルモ氏。ただし、肉体が弱くても魂の輝きが力強く光を放つ場合もある。例えば、ジャコモ・レオパルディのように。

 主人公とローマを散歩しながら、アンセルモ氏は言う。「ローマは淋しい街ですよ。」「ローマはあの壮大な過去の中に閉じこもったきり、その足もとにうごめくこのみじめな生活のことは何一つ知ろうともしないのです。ローマはあそこに横たわっていますよ。・・・カンピドリオの丘の陰にね。・・・ローマもあの壊れた聖水杯と同様、歴代の教皇のこの街を聖水杯に使っていた。ところが、われわれイタリア人は、これを灰皿にしてしまった・・・」と。

 

 11. 宵闇に川を見つめて・・・: ローマに下宿した主人公はしだいに親切な家主の一家に親しみを感じるようになるにつれ、自分の偽りの姿に悔恨を覚え、孤立した生活に満足するしかないと諦めつつも、手に入れた自由の限界を感じ始めていた。家主の娘アドリアーナが気になるが、彼女は敢えてよそよそしい態度を保っていた。
 ある日、サン・ピエトロ広場へ散歩をした帰途、酔っ払いに顔を覗き込まれ、「愉快にやれよ Allegro!」と言われた。そしてこの悲しい人生の主な原因は民主主義だと考える。君主制の時、支配者は大勢の人の満足を考えるが、大勢の人が支配する時はただ銘々自分を満足させることばかり考える。今の自分の苦しみは自由の仮面をかぶった圧制のためではないか? その晩、トル・ディ・ノーナに交わる小路で暴漢四人に襲われていた某辻君を助けた。駆けつけた巡査に事件の告発を勧められたが、もう死んでいるはずの自分には英雄になる資格はないのであった。

 ある晩、露台で、カポラーレ嬢とアジリアーナと言葉を交わし、色々と詮索されたり、斜視の手術を勧められたり、これまでしてきた旅について問われたりする。それまで自分の胸に葬り去っていた事ごとは、話すにつれて生き生きと蘇ってきた。そのうちに彼女たちは主人公に惹かれてしまったようである。かつてはめていた指輪については、祖父の形見ということで話を捏造した。そのうちに主人公は斜視の手術を受けることに決心する。

 その数日後の夜更け、露台でのある会話を傍聴する。その話し振りから、カポラーレ嬢は、家主の婿で寡夫のテレンツィオ・パピアーノの情婦だと推察する。彼らはアドリアーナを起こして呼び出し、腕をつかんで引き寄せようとする。いやがる彼女を救うべく、主人公は窓を開ける。パビアーノはナポリでの仕事の話をべらべらとまくしたて、取り繕う: 心ならずもブルボン派の貴族の書物に協力している、など。あわや、アドリアーナは解放されたが、主人公に助けを求めるような様子が窺い知れた。

 

 12. 私の片目とパピアーノ: 家主のアンセルモ・パレアーリ氏の話には脈絡がなく、理解するのが難しかった。主人公は家主に、婿のパピアーノは怪しからぬ奴だと忠告する。実際、厚かましいパピアーノの存在は主人公の内心を苛立たせ、苦しめた。カポラーレ嬢もパピアーノのために金を失い、その卑劣な企み[つまり、死んだ妻の持参金を返さずにすむよう、義妹アドリアーナの婿となること]に加担させられようとしていると主人公に訴える。家には、パピアーノの病気の弟も居ついている。アドリアーナは彼に対しておどおどとしており、毅然としたところがない。

 ある晩、パピアーノは主人公の親類だと思われる人を連れてくる。租税事務所で偶然見出したのだと言う。パビアーノは自分の過去を探ろうとしていると主人公は感じる。それから数日後、今度は、主人公がモンテカルロで会ったスペイン人の賭博師を連れてきた。それは、主人公の過去を探ったことによるものではなく、偶然であった。パピアーノが秘書として仕えていた侯爵の娘婿で、侯爵にしばしば金をせびっていたのである。主人公は遂に、自分の特徴である斜視を手術することを決意する。

 

 13. 小さいランプ: 手術した主人公は四十日間暗闇で過ごさねばならなかった。そんな彼に、家主のアンセルモ氏は、灯明哲学ともいうべき説を披露する。光というものは、誤ったものを見せるために役立つだけだ、と。相変わらずパピアーノは、目を塞がれている主人公を苛立たせていた。アドリアーナを破滅させるために、彼を追い出そうとしていたのだろう。また、主人公を金持ちだと思い込み、侯爵の孫娘、つまり例のスペイン人賭博師の娘に惚れさせようとした。アンセルモ氏の心霊術の実験に、その娘が出席するというが、アドリアーナは出席を拒んでいたものの、主人公の誘いでしぶしぶ承知する。心霊術の会には、侯爵の孫娘とその家庭教師、スペイン人画家も参加しに来ていた。心霊術が始まる。

 

 14. マックスの活躍: それはいんちきか茶番か? カポラーレ嬢が悲鳴を上げた。口のあたりに拳骨をくらったのだ。マックス[の霊]に説明を聞くこととなる。主人公の額が二度突かれる。パピアーノだと思った。そして、主人公は背後に誰かの気配を感じる。侯爵の娘の犬であった。マックスの霊の動きは、もしかしたらパピアーノの弟によるものかもしれなかったが、主人公はミラーニョの水車場で死んで自分の身代わりとなって埋葬された男のことを思った。寝床の中でもそれを思い続けた。

 

 15. 私と私の影法師: 四十日の暗闇が終わり、主人公は光を目にしたが、喜びはなかった。その間の出来事が光を陰鬱なものとしたからである。心霊実験の最中に、主人公はアドリアーナに接吻してしまっていた。私の自由は、孤独と倦怠であり、別の人間になり代わり、別の人生を生きるというのは幻想にすぎなかった。アドリアーナをそのような男の伴侶とすることができないと悩み、何もかも打ち明けたいとさえ思う。自分は死人であり、妻のある身なのだ。アドノアーナが医者の請求書を持ってきたので、金を出そうとしたら、その戸棚が荒らされている! 数えてみると無くなったのは12,000リラ[第一次対戦前のレートでざっと計算したら約500万円強?]w@<

63,000リラが残っていた。主人公もアドリアーナも、パピアーノが弟を使って盗んだと推察した。だが自分は死んだことになっているのだから、警察に訴えることはできない。法の保護を求められないのだ。アドリアーナは訴えてくれと言うが、考えてみれば、パピアーノが持参金を返すことになると考えることもできたので黙っていてくれと頼む。気がつくと、モッレ橋に近いフラミニオ街道を歩いており、主人公は自分の影法師を見ながら、自分は亡霊だと思う。帰宅すると・・・。

 

 16. ミネルヴァの肖像: 帰宅すると、アドリアーナが盗難事件を口外したらしく騒動が起きており、パピアーノの弟が犯人に祭り上げられている。主人公は金は見つかったと言い、場を収めようとする。その日は皆でジリオ侯爵の家に行くことになっていた。客間には、侯爵の孫娘の愛犬の絵が描きかけられていた。孫娘は皆の、特に画家の到着が遅れていることに苛立っている。遅れて来た画家は、侯爵の孫娘と主人公が親しげに話すのが気に食わない。主人公と画家の間に険悪な空気が流れ、殴り合いになりそうになり、主人公は決闘を申し込まれる。決闘には介添人が二人必要だが知り合いは誰もおらず、カフェーで見かけた士官たちに声をかける。うち一人が決闘の作法を並び立てるので、主人公はおもてへ飛び出し、マルゲリータ橋へ至ると、そこにたたずみ、アドリアーノ・メイス[の存在]を殺さねばならないと決意する。帽子とステッキを置き、手帳の紙にアドリアーノ・メイスと書き、姿を消す。

 

 17. 蘇生: 主人公は駅に行き、ピサ行きの列車に乗る。お金は、あの窃盗事件以来、身につけていた。ピサで、自分の失踪がどのような記事になっているかを確認する。そして兄ロベルトのいるオネリアに向かう。もちろん兄は驚いた。そして、妻のロミルダがポミーノと再婚したこと、生きて帰れば、その再婚は無効となることなどを主人公に話して聞かせる。

 

 18. 故マッティーア・パスカル: ミラーニョに着く。ポミーノ邸に行くと、当然のことながら大騒ぎになる。二人には赤ん坊が生まれていた。姑のペスカトーレ未亡人もいる。ロミルダは気絶する。そこを出た主人公は途方に暮れる。そして、死んでしまうということがどういうことか、誰も自分を思い出してくれない、と悟り、屈辱感、悔恨、腹立たしさを覚える。二年前まで働いていた図書館へ行くと、ドン・エリージョ神父がおり、びっくりしつつも迎え入れてくれ、薬局やカフェーで蘇った主人公を皆に引き合わせてくれた。新聞記者のロドレッタ(墓碑銘も考えてくれた)は彼にインタヴューし、次の日曜版に『生きていたマッティーア・パスカル』という傑作を掲載した。オリーヴァとも会った。彼の子種でできた五歳の息子を連れていた。

 今は、スコラスティカ叔母さんと暮らし、図書館で働いているが、彼のアイデンティティーは失われたままである。誰かと聞かれると「故マッティーア・パスカルですよ」と答えるのだ。

 

 19. 空想力の周到さにかんする覚え書: ピランデッロがこの小説の末尾に付けたもの。1921年にニューヨークで起きた事件(アルバート・ハインツ氏が妻と二十歳の少女との三角関係に陥り、三人で自殺する相談をしたが、妻がピストル自殺した後も、二人は生き延び、逮捕された)について書いている。「空想力の周到さ」と「幻想の必然」を語る。これを喜劇作家が舞台作品とするには、馬鹿げていない芸術とする必要があると説く。そのためには周到な想像力が必要なのだ。

 また、用水路から引き上げられた死体を夫のものと申し立て、喪があけてから再婚したが、実際の夫は刑務所に服役していた。夫は、出所してから戸籍役場にて自分が死んだことになっていることを知る。これは1916〜7年の事件である。ピランデッロの小説が雑誌に連載されたのは1904年であり、当時はありえないことと非難する人がいたようだが、似たような現実の事件はあったのである。