さほど昔に出版されたものではない。でも内田さんもイタリア暮らしが長いからか、各所に回顧が顔を出す。東京が以後大学のイタリア語学科に入学した頃の話から始まり、その頃に見た映画にも言及する。ゼッフィレッリが撮った聖フランチェスコの伝記映画『ブラザー・サン・シスター・ムーン』は、1983年、我々にとって初めてのイタリア旅行で知り合った西山達也親父に勧められたことを思い出す。この神父との出会いがなければ、今日の私はなかったと言っても過言ではない。そしてタヴィアーニ兄弟の『カオス・シチリア物語』も。この映画を見ていなかったら、シチリア巡りの旅を繰り返してはいなかったことだろう。内田さんのエッセイを読みつつ、私は自分とイタリアのことを思い返している。

 5章「写真週刊誌」を読んで、彼女がなぜフランスとの国境に近い丘の上に独居することになったのかを理解した。

 7章に出てくる Ponte dell'Olio、観光地ではない土地、そしてワインと食べ物の話が続く。エッセイの材料は路傍の石ころみたいなのだが、紛れもないイタリアである。内田さんは何かを求めて辛抱強く時間を潰し、魔法のペンで物語を紡ぎ出す。

 10章では、またしても40年ちかく前のナポリ留学当時を振り返る。1980年11月にカンパニア地方で大地震があったことを私は知らなかった。ファッション業界で働いていた私はその頃、年に2回のショーと4回の展示会に追われ、海外といえばパリにしかアンテナを張っていなかったのだから。検索して、M.6.9、死者2483人、25万人が家を失ったと知った。

 11章ではウンベルト・エーコが語られる。私は『バウドリーノ』を読みかけて投げ出したことを思い出す。積読棚に他の本があるからそのうちに、と思った。アタナシウス・キルヒャー? 名前も知らなかった。そしてエーコ教授が好きだったというホルヘ・ルイス・ボルヘスの言葉「作家は死ぬと、その人が書いた本になる」には打たれた。そしてこれはウンベルト・エーコの立ち上げた出版社 テセウスの船である。http://www.lanavediteseo.eu/umberto-eco/

 12章を読んで、また内田さんの本を読みたくなってしまった。『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』と『もうひとつのモンテレッジォの物語』である。