ここのところ、内田さんの本でイタリアへの憧憬を宥めている。これは300頁足らずの文庫本なので、1日で読めてしまった。内田さんの自分史とも言える内容で、自らの大学生時代のナポリ留学の日々を振り返ったりしている。色々な出会いがあり、彼女が悟ったことは「ナポリはすべて相対的 relativa」だという事実であった。その事実はナポリだけに限らないとも思うのだ。日本にいても、結婚、仕事、友人、世界を広げるのはやはり相対性 relatività ではないだろうか。

 不思議なのだが、内田さんの昔を読みながら、自分の昔を思い出した。例えば、彼女が在学中にやった通訳の仕事、通訳ガイドの仕事・・・私も当初は、臆面もなく、キャリアなんて何もないのに度胸だけで仕事を受けたものだった。

 「フェラーリの赤」も脳裏に焼き付いた。「モデナの黄色 Giallo Modena」が正統なのだが、国際カーレースでイタリアに割り当てられた色が赤、そのためかフェラーリの85%は赤いのだという。私のオットは景気の良かった80年代に、ロータス・エスプリを持っていた。その真っ赤な車体をSAに駐めると人が集まってきた。ふたりしか乗れないし、トランクもない。神宮前の屋根付き駐車場に月7万円払っていた。バブル崩壊後に売ることになったが、買値とほとんど変わらない額で手放した。その現金は事務所の家賃と所員の給料となって消えた。諸行無常!!

 先日、『海をゆくイタリア』で、内田さんが登場しないことを訝しく思ったのであるが、やはり彼女は30年ものの二本マスト木造帆船を手に入れて6年間も船の上で暮らしたことが確かめられた。リグリアからその船をサルデーニャまで移したのは、アントニオ、ジャンパオロ、サヴェリオという海の男たちであったことも明らかになった。その時、ご自身は同乗させてもらえなかったことも。

 嗅覚と味覚の記憶もとりとめもなく綴られている。たしかにこれはわかる。先日読んだ『ナガサキの郵便配達』では、今でもメザシが食べられない被爆者がいることを知ったが、我々もオルヴィエートのトラットリアで扉を開けたとたんにムッと鼻を刺した黒トリュフの匂いが忘れられない。

 内田さんの方丈社のサイト https://hojosha.co.jp

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