なかにし礼の『赤い月』以来、満州のことが気になったので読むことにした本である。

 筆者が乳飲み子を抱えて満州に渡ってほどなく、日本が敗戦。本土に引き揚げてくるまでのわずか一年半の壮絶な話だ。着の身着のまま、こうりゃん(中国北東部などの寒冷地に適した穀物)のおかゆをわずかに配給されるだけ、透明な飲み水はなく、頭にも衣服にもシラミがびっしり、トイレは穴を掘って板をわたしただけ(今でも白川郷の民家園で見られるが、もっとずっとプリミティヴ!!)、まあ今の日本人には想像もつかない暮らしである。なかにし礼の本のように関東軍やロシアスパイなどについての記述はなく、もっぱら若い人妻の目線によって話は進んでいく。ロシア軍が侵攻してからの話は悲惨そのものだ。

 刊行されたのは昭和60年、つまり1985年、日本人が戦争のことを忘れかけていた頃である。この本を読んで初めて私はノミとシラミの違いを知った。日本人、特に若者たちはぜひとも一読すべきだと思った。

 読了してから、亡き伯父のことを思い出した。終戦後、北朝鮮の羅南で捕虜となり、ツンドラ地帯の寒さのために手足の先を凍傷で腐らせた。骨はのこぎりで切ったので、手先足先は、我々の足の小指みたいだった。小学生の頃は夏休みを伯父の家で過ごしたものであるが、少し短めの指でそろばんをはじいて商売をし、かかとの音をトントン響かせて家の階段を上下していたのを覚えている。ふざけて足音を立てているのだと思ったら、指先がなかったためであったのを後々になってから知った。月に2回は仕入れに上京して資生堂パーラーに連れていってくれたり、母にお小遣いをたくさんくれていた。戦争の話は思い出したくもないといって、ひとつも話してくれなかった。