「君は愛される為に生まれた」とはキリスト教の讃美歌の一つのタイトルです。私が通っている教会に初めて行った日曜礼拝の時に歌われていた曲です。その時、私は下の子を身籠もっていました。そのお腹の中にいる赤ちゃんと、2歳半くらいになっていた長男が大きくなった時、彼らの生まれてきた理由の一つとして、「愛される為だよ」って知って欲しいと願ったことを思い出します。彼らはきっと知っています。彼らの生まれてきた理由の一つは愛される為だって。

 

「何の為に生まれてきて、そして生きる目的とは何だろう?」思春期の頃に誰もが考えることだと思います。思春期だけでなくても考えている人は多くいると思います。ただ私はこの事に関してしばらく考える事をしていなかった様な気がします。考えても何も変わらないと思ったり、理由が分からなくても生きるしかないと思ったり、目の前の課題に取り組む事で精一杯で忙しくなったり、色々な理由から考える事をやめてしまったのでしょうね。答えが分からないまま。。。

 

生まれてきた理由や生きる理由をとっても偉い哲学者や学者に聞いても、結局皆さん答えは分からないと言うそうです。色々と説明をされても、結局最後は、「答えはわからない」となるようです。これは、やっぱり、個人レベルで納得するまで考える事なんでしょうね?自分自身で自分の人生は高価で尊いと思えるように、この質問は自問自答し続けたいと私は思うようになりました、50歳にしてようやく笑。

 

年齢や時代で生きる理由や目的が変わると思うのですが、時が経って振り返った時に、自分が生まれてきた意味が分かるのかもしれませんね。

 

生まれてきたことや生きることに対して大小色々な理由がそれぞれ有ると思いますが、全ての方に共通して言えることは、「愛される為に生まれてきた」という大きな理由があると信じます。なので、私は小さな物でも自分の周りにあるものを愛して大切にしたいと思っています。この写真の赤ちゃんカモも親カモに愛されて、親カモも愛する者がいて幸せだろうなって思わずにはいられません。こんなに小さなカモでさえ愛し愛されて、幸せを感じていると思うと心があったかくなります。幸せだなって思います。

 

 

また、誰をもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度を示すものとならせなさい。(テトス 3:2)

 

神のなさることは、すべて時に叶って美しい。(伝道者の書 3:11)