昨日は滝に行ってきました~。
海パンに着替えて少し滝に打たれてみたんですが・・これがとっても気持ちよかったんですよ。
よく修験道のひとやお坊さんが白装束になって滝に打たれていますがその意味が少しだけわかりました。
スカーとするんです。あれってマイナスイオンの影響もあるんでしょうがシャッキリ出来てこれは何か新たな世界ですね。
さて「自分はどういう態度で生きて行くべきか?」という問いかけは皆一度はしたことがあるかもしれませんね。
これって何か自分にまとまりを持ちたいという衝動なんだと思います。
例えば生きるには多数の人間と社会という集団と関わりを持つ必要がありますので自分のスタンスや考え方も必要になる訳です。
もちろんただボーっとしていたのでは誰も相手にしてくれませんので主体的に学び考え行動して多くの人と関わるのです。
このため他人の考えや反応も自分自身に多くの影響を与えます。
当然そこでどういう影響を受けるかについては個人の自由なわけです。
しかし「この意見は発言したら皆にヒンシュクを買うな」というような消極的な態度ではいつまでたっても自分を発揮できません。
だからといって私が考えていることを全て述べているのか?と聞かれればそんなことは出来ません。
何故ならもう一人の理性を持った自分がいるからです。
むやみに人を傷つけたくないという自分です。
それじゃ何が言いたいのか?というと「思ったこと考えたことをどう表現するのか?」というその方法を一度考えることが最も重要じゃないかな?ということです。
思いついたことをはじから言っていたんでは誰も歓迎はしてくれませんよね。
自分が状況に満足していないならどうやって満足させるのか?
他人の考え方やアプローチが不自然だと思ったら自分の最良の考え方を表現する方法を考えることです。
もし多くの人が人生訓を必要としていることを知ったら「なんで皆人生訓が必要なんだろう?」と考えてみます。
そして、人生訓より哲学の方が沢山の考え方の応用が利くよと思ったら哲学を学んでみます。
多くの人がお金の額について注目しているなら何故お金の金額に興味があるのか考えてみます。
そうすると今の社会のルールではお金があると多くの希望や時間や環境を選ぶことが出来るからだとその理由がわかります。
お金というもので様々な手段を選ぶことが出来る訳です。
スピリチュアルなことが好きな人はハワイのパワースポットに行ったりイギリスのストーンヘッジに行くことも出来ます。
自分の興味のある世界にむけてもっともっと自由に行動することが出来る訳です。
逆に時折自分の目的もないのに只、お金の額だけにこだわっている人もいますがこういう人はお金持ちの中身も知らずに只お金持ちのイメージに憧れているように見えます。
私は自分の哲学やスタイルを持っている人こそほんとうにカッコいいなと思います。
自分の意見に自身を持ってそれを実践出来る人こそ本当のパワーがあると思うわけです。
その上で健康があってお金もあり自由もあって行動できることが理想的なバランスを持った生き方だと思います。
シンプルですが一度自分のイメージを表現してみることで様々イメージを統合できて矛盾を解決すること(=アウフヘーベン)になるんだと思います。

