小沢一郎裁判判決で思ったこと | Happy-Gate

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 小沢一郎の無罪判決にマスコミが大騒ぎだ。
 まるで意外な判決だとばかりに、次々と専門家を出し、「これは単に推定無罪だから無罪になっただけで、本当は無実じゃない」だとか「限りなく黒に近いグレーだ」とか言わせて、一生懸命世論操作をしている。
 
 まともな考え方ができる人なら、起訴を決めた検察審査会に提出された証拠書類が、検察官の捏造(勘違いのメモ)ということで、ほとんどの証拠が却下されたわけで、「無罪」はそれほど驚くことじゃなじゃない。
しかし、さんざんマスコミは小沢を黒と決め付け、または黒であると印象づけて報道してきた。
 だから、その路線を崩せなかったのだろう。TVでは特番まで組まれたらしい。
 
 今回のケースは、まるで検察によるクーデターだった。自分たちに不都合な国会議員を消すために、事件をでっち上げて、立法機関に戦いを仕掛けたのだ。
 結果は返り討ちだったが、粛清を恐れた検察側は往生際が悪く、虚偽の捜査資料まで作り、検察審査会に介入した。
 本来なら、このクーデターは最初の段階で潰されなければいけなかった。それはつまり、第4権力機関たるマスコミの責務なのだが、なぜか日本ではその責任を全うしない、機能しないのだ。
 某巨大マスコミのトップは、自らがコマとして、その時代の権力のために動いてきた歴史がある。
 しかし残念なことに、これだけネット情報が氾濫するようになっても、まだ信頼出来る情報はマスコミだけなのだ。ネットを見ても、「○○TVによれば・・・」とか「□□新聞によれば・・・」というようなものばかりで、自分が一次情報である記事はほぼ皆無なのだ。仮に見つけたとしても、信頼出来るのだろうか?となってしまうだろう。
 
 僕たちは、マスコミによって、無限の情報整理を「楽」しているのだ。TVも、新聞も、週刊誌も、端的にわかりやすく記事を作っている。そのおかげで、自分と関係ない世界のことを知ることができるわけだが、その過程でどうしても誰かの手が加えられる。それは不可避的で、記者、編集者の伝えたいことが重要視されてしまう。その結果、伝わってくるのは、記者、編集者の考え方である。
 殺人事件があったら、悲しまないといけない。企業で不正があったら、怒らないといけない。などなど、マスコミが伝えたいことイコール「誰かの考え」なのだが、いまは「誰かの考え」=「自分の考え」になっている。自分の頭で考えることやめて、「楽」するようになってしまったのだ。だから、マスコミは一般人を馬鹿にしているんだろう。
 やがて脊髄反射で、世論が生まれるようになった。
 その世論によって、危うくクーデターが成功するところだったと思うと、とても恐ろしい。
 今回の事件は、この僕たちに「情報を楽する」ことの危険性をまざまざと見せつけたのではないか?
 いまからでも遅くない。情報リテラシーを持って、自分の頭で考えよう。そうしていけば、例えどこかの権力が、世論操作をしようとしても、そう簡単に世論は形成されないだろう?
 結果的に、第4権力機関としての責務も全うできるようになるはずだ。