みなさん、「正義」はお好きですか?嫌いなわけ無いですよね?でも、「正義」って一体何なんでしょう?
小さい頃、子供番組のヒーローたちは、「正義」のために「悪」の組織と戦っていたし、それを自然と受け入れていました。
もうちょっと成長して、学校に通い出すと、「正義」は決められたルールを守ることであると教えられます。そのルールは、多数決で決めることが、「正義」の力の源泉だと教えられます。
しかし、思春期あたりで、それに疑問がわいたりします。
「本当に、多数決で決めたことなら、『正義』なの?『正義』なら何をやってもいいの?」
『正義』は、あらゆる事を正当化します。
『正義』のためなら、すべてを犠牲にしてもかまわない。
それが国家レベルなら戦争だし、個人レベルなら犯罪です。
戦争も犯罪も、実は「正義」の実現なんです。
しかし、客観的にこの論理は、誰にとっても受け入れがたいと思います。
なぜなら、個別には、戦争は「悪」だし、犯罪も「悪」だと認識しているからです。
でも、その源泉は、「正義」から発生しているんです。
ぼくは「正義」という言葉が、パルプンテと同じ効果の呪文なのじゃないかと思うようになりました。
パルプンテとは、名作RPGドラゴンクエストに出てくる魔法で、唱えると何かが起こるという実に危なっかしい魔法です。
唱えても、何も起こらないこともあれば、絶体絶命のピンチを救ってくれたり、自分たちの命を奪うこともあるというものです。
「正義」という言葉を発したとき、この呪文のように、効果が全く分からないのです。
それは「正義」が人の思考を停止させるからです。
普通に考えれば、暴力や破壊の果てにあるのは、絶対的な不幸だということは、簡単に想像できるでしょう。しかし、「正義」という呪文を誰かが唱えると、この簡単な想像もできなくなる。
だから、何をやってもいいとなってしまうのではないか?
自分が求める効果とは違う結果が、目の前に現れてしまうのではないか?
いまマスコミは「正義」が大好きです。
声高に「正義」を叫びます。でも、彼らの言う「正義」が、僕たちの世界を苦しめているように思えてならないんです。
この世の不幸は、すべて『正義』から生まれている。
「正義」って、本当は「悪魔の囁き」なのでは?
僕たちにできることは、この呪文にかからないことです。
「しかし、なにもおこらなかった・・・」がいいのです。