思想良心の自由 表現の自由はあるのか? | Happy-Gate

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半径5mのライフログです。

 京都の大学生がレイプをしたとされている事件について、関西の学生たちの間で、被害者とされている女に問題があると、非難する声が上がっているという。
 しかも、女子学生が多いらしい、

 こういう声は、ミクシィなどの会員限定サービスの中で書かれているという。


 そして、ミクシィに、被害者を非難する内容の記事を書いた学生を、大学が処分するというのだ。


 思わず、オイオイと、突っ込みたくなった。


 いろいろと有るが、まず疑わしきは被告人の利益にという法諺がある。いわゆる推定無罪というヤツだ。

 裁判で、判決が確定するまでは、無罪であるという、建前が一応ある。

 だから、加害者たちも無罪の可能性もあるし、被害者とされる女の虚偽告訴の可能性もあるのだ。

 つまり、いかに報道が権力におもねった変更であったとしても、まだ判決も受けていない加害者たちに、どういう感想を持っても、それは法原則に則れば自由であり、被害者を非難してもおかしな話ではない。



 次に、思想良心の自由の問題だ。

 一応は、権力機関によって、特定の思想を強制されたり、それによって不利益を与えられないという権利のことで、憲法19条が保障している人権だ。

 だから、この国においては、たとえどんな人間でも、自由にモノを考えられるし、何を信じたって良い。

 もちろんこの憲法の規定は私人間には直接適用されないから、私学である大学側が大学の自治により、大学にマイナスになると判断した学生に対し、処分することは可能だろうし、直ちに違法とまではいえない。


 くだんのミクシィの記事を書いた女子学生は、付属校で被害者と面識もあるそうで、報道では伝わらない部分まで、知っている可能性もある。

 今の時点で、幼稚で社会通念上許されないという大学側の見解こそ、問題だ。


 そして、表現の自由だ。

 憲法21条に保障され、たとえ公共の福祉であろうとも、絶対に侵されることのない権利。

 先達たちが命がけで手に入れた権利だ。

 それを私学程度が簡単に破って良いのか?
 自分たちは大学の自治を盾に、権力の介入を制限しているくせに、自分たちは弱者である学生をいじめる。

 全く持って、なってない一連の騒動だ。