花雨 | Happy-Gate

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半径5mのライフログです。

 日中は、春の暖かな日差しが照っていて、麗らかでしたけど、夜になって雨が降ってきましたね。

 今日は、TBS恒例の《オールスター感謝祭》。
 これも飽きてきたなぁ。

 今回から賞金がダウン。ご時世かな?

 祭り感はまだあるんだけどね。

 
 ライムスター宇多丸の《ウィークエンドシャッフル》が、今日から3時間。
 コサキンが終わって、この人ね・・・。

 新しい人だとどうしてもコサキンリスナーだった人から、反発を喰らうから、判断としては間違ってないね。

 今日も、相変わらず自分勝手な映画の感想をしゃべってましたね。

 この人、自分では批評のつもりだろうけど、ただの感想だからね。
 単純に言えば、好き、嫌い、しか言ってない。

 批評って、そういうことじゃないでしょ。

 簡単に言えば、批評ってのは、よい点、悪い点を、客観的に指摘して、総合して自分の判断を述べること。

 この人の場合は、まず自分の感想が先にあって、それを補強するようにしていく。
 だから、批評じゃない。

 嫌いな映画は、観る前から嫌い。だから、嫌いなところ、制作者のミスばかりの揚げ足取りをして、結果、この映画はくそ映画と論じる。

 好きな映画は、観る前から好き。だから、好きなところ、面白かったところを掬いだし、結果、この映画は、よい映画であると・・・。


 映画なんて、きわめて自己内面的な現象なんだから、面白い映画、つまらない映画という二つの評価しかない。
 工業製品のように、よい映画、悪い映画なんて言う、客観的な判断なんてできない。
 つまり、映画には批評は存在しない。
 あるのは、ただ個人的感想だけ。

 しかも映画の感想には、地域性と時代性がある。
 
 日本の映画を、海外の人間が日本人と同じ感覚で楽しめるわけもないし、大昔ヒットした映画をその時代の人のように熱狂的になれないわけだ。
 たとえば、熊井啓の一連の社会サスペンスがある。日本人であれば、占領軍と日本政府の関係が分かるし、闇の力についても理解できるだろう。
 時代的なことを言うと、占領政策下で起きた数々の迷宮入り事件や不自然な事件の顛末も、当時を知る人には多くを語らずとも納得できただろう。しかし、現代の若者が、一連の事件を題材にした映画を観ても、嘘くさいフィクションにしか映らないと思う。

 さらに対象年齢というものもある。

 幼稚園児にとって、ドラえもんの映画は面白い映画だが、おくりびとはつまらない映画という具合だ。

 今、映画はこの対象者をかなり細かく限定しているので、宇多丸のようなオッサンが楽しめない映画があることは仕方ない。
 だから、宇多丸の年代、人種向けに作られていない映画だからと言って、その映画の制作者を無能呼ばわりしたり、また逆に自分の趣向にあう映画を作ったからと言って優れた映画人であると、批評的に語るのはおかしい話なのだ。

 もっとも、この人の感想と所々で私の感想もダブるんだけどね。