TBS RADIOで放送中のライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフルの映画評コーナーをポッドキャストで聞いていると、押井守のスカイクロラを批評していました。
端的に、この人、押井作品が嫌いなのでしょうね。
ホント、わかってないなぁって思いました。
端的に、この人、押井作品が嫌いなのでしょうね。
ホント、わかってないなぁって思いました。
批評してた全部が的外れです。
それ、押井守じゃなくて、原作の森博嗣に言った方がいいよ。
宇多丸が批判したのは、大雑把に言って、二つ。
まず登場人物の設定の矛盾。そして、世界観の矛盾です。
まず登場人物の設定の矛盾。そして、世界観の矛盾です。
原作を読んで、観た人は分かるけど、この映画は、驚くほど原作を忠実にアニメ化しています。
それはキャラ、セリフ、世界観と言ったものです。
つまりこれらは、押井守が設定したモノではありません。
それはキャラ、セリフ、世界観と言ったものです。
つまりこれらは、押井守が設定したモノではありません。
年をとらない子供という設定も、日本だかどこだか分からない国の、民間軍事会社のショーとしての戦争も、またその戦いに身を投じるパイロットの悩みも、みんな森博嗣が考えたものです。
押井守が考えたのは、映画のラストです。
原作のラストは、カンナミがクサナギを撃ち殺してお仕舞いでした。
しかし、映画は、撃ち殺さずに生きることを選び、ティーチャーとの戦いに向かって破れてしまいます。
そこだけシーンが浮いていたと思いませんか?
そのシーンで押井守は、終わりなき日常を"否定"したのです。
原作のラストは、カンナミがクサナギを撃ち殺してお仕舞いでした。
しかし、映画は、撃ち殺さずに生きることを選び、ティーチャーとの戦いに向かって破れてしまいます。
そこだけシーンが浮いていたと思いませんか?
そのシーンで押井守は、終わりなき日常を"否定"したのです。
宇多丸が言っていたように、ビューティフルドリーマーの時には、終わりなき日常を生きろ的スタンスでした。
しかし、あれから25年。
押井守も55歳過ぎて、考え方も変わったのです。
しかし、あれから25年。
押井守も55歳過ぎて、考え方も変わったのです。
終わりなき日常という閉塞性なんか存在しないと表現したのです。
そして、違う自分にもなれると言うことを語ったのです。
とりあえず社会に出て、とりあえず生きてみろ!!
すなわち『決断主義』です。
この作品は、引きこもりやニート、ワーキングプアといった感じの若者や、まだ社会に出ていないティーンエイジャー、何だか知らないけど自殺願望のある人たちに向けての作品です。
30過ぎてて、社会的にも成功者のオッサンに、理解できるような作品ではないのです。
それに、押井作品の見方が分かってない。
押井作品では、キャラはなにも語りません。物語を語るのは、背景なのです。
特に重要なのが、犬と鳥です。
押井作品では、キャラはなにも語りません。物語を語るのは、背景なのです。
特に重要なのが、犬と鳥です。
犬と鳥の描写が、キャラの心中や世界観を示しているのです。
イノセンスまでは、隠れキャラ的に映っていたそれらが、スカイクロラでは分かり易く提示されていて、映画の回し的位置に存在しています。
以上のことを踏まえて、押井作品を観ると、意外に分かり易く感じると思うし、面白がれますよ。
まぁ少なくとも、原作読んでから、批評はしませう。これ、原作付き作品の基本です。