今回の話題は、大して興味なかったけど、読売新聞でかなり評判のいい記事が出ていたので、ポッドキャストで聞いてみました。
何でもギャラクシー賞を受賞したとか。
何でもギャラクシー賞を受賞したとか。
今回の話題は、秋葉原の通り魔事件。本放送があったのが、6月22日で、その時点でも既に記憶が曖昧になり事件が過去のモノと消費されてしまったあたりです。
のっけからメインパーソナリティが異様に興奮していたのに、違和感を覚えました。
とてもじゃないが学者のトークとは思えない非常に感情が入り交じり、主観的なまとまりのないお話。
とてもじゃないが学者のトークとは思えない非常に感情が入り交じり、主観的なまとまりのないお話。
どうやらあの日現場にいて、さらに知人の友人が被害にあったらしく、当事者側にたってしまったというのです。
だから、冷静になれないと言っていたのですが。
だから、冷静になれないと言っていたのですが。
しかし、聞いている人間としては、事件にショックを受けた人間であると言うより、事件にショックを受けた人間であるように装っているようにしか聞こえなかったです。
簡単に言えば、歴史的一場面に遭遇したラッキーな人間になったというような、変なエリート意識が垣間見られたのです。
ラッキーな自分という興奮を、事件の性質上、または本人の社会的立場上、素直に感情表現することができず、屈折して、さも深刻な心の傷があるように装って、見栄えをよくしようとしている。
当然です。
しょせんどんなに頭がよかろうが、机の上で、常に自分とは直接関係のない現象を取り扱う学者でしかなかったのですから。誰だって、あんな現場にいたら、興奮するでしょう。それは生理機能であり、宗教的に言えば真理でしょう。
社会科学という分野において、『現場』とか『実験』とか有るのか知りませんが、この学者パーソナリティは、恐らくこういう体験を初めて経験してたのでしょうね。
簡単に言えば、歴史的一場面に遭遇したラッキーな人間になったというような、変なエリート意識が垣間見られたのです。
ラッキーな自分という興奮を、事件の性質上、または本人の社会的立場上、素直に感情表現することができず、屈折して、さも深刻な心の傷があるように装って、見栄えをよくしようとしている。
当然です。
しょせんどんなに頭がよかろうが、机の上で、常に自分とは直接関係のない現象を取り扱う学者でしかなかったのですから。誰だって、あんな現場にいたら、興奮するでしょう。それは生理機能であり、宗教的に言えば真理でしょう。
社会科学という分野において、『現場』とか『実験』とか有るのか知りませんが、この学者パーソナリティは、恐らくこういう体験を初めて経験してたのでしょうね。
事件に対するジャーナリストの『こんな事件、昔からありふれた事件に過ぎない』という冷静な分析に、どうもこのパーソナリティは感情的に拒絶したがっているようです。
社会や世間は、日々の生活の中で、そういった情報を消費して、いずれ忘れていってしまう。
秋葉原の通り魔事件に関して言えば、結局、事件から一ヶ月も耐えるパワーもなかった。
あれだけ凄惨な事件だったのに、社会は、あの事件に関しても、犯人に関しても興味を無くしている。
あの日、現場にいて、事件の生々しいオーラにふれた人間にとっては、それは許されざる事のように感じるはずです。
今回聞いた回に関して言うと、出ている人も、予算規模も小さい、「朝生」のように実に空虚な番組だなという感想しかもてなかった。
社会や世間は、日々の生活の中で、そういった情報を消費して、いずれ忘れていってしまう。
秋葉原の通り魔事件に関して言えば、結局、事件から一ヶ月も耐えるパワーもなかった。
あれだけ凄惨な事件だったのに、社会は、あの事件に関しても、犯人に関しても興味を無くしている。
あの日、現場にいて、事件の生々しいオーラにふれた人間にとっては、それは許されざる事のように感じるはずです。
今回聞いた回に関して言うと、出ている人も、予算規模も小さい、「朝生」のように実に空虚な番組だなという感想しかもてなかった。
それから番組中、何度も、事件後食事もできなかったと言っていたが、それは単に興奮しすぎていたからだと思うぞ。
だって、あんた事件に近い位置にいたけど、所詮、無関係な安全地帯にいるわけだから。
だって、あんた事件に近い位置にいたけど、所詮、無関係な安全地帯にいるわけだから。