オタクはすでに死んでいる | Happy-Gate

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半径5mのライフログです。

 オタキングこと岡田斗司夫の最新刊。
 数年前から行われているトークイベント『オタク イズ デッド』を下敷きにして、
オタクの歴史からはじまり、現代日本の現象をひもとこうとしている。

 オタクが、高度経済成長のあだ花として花開いた文化であり、その季節の終焉とともに、
オタクは死んだという。

 それはSFファンのコミュニティが崩壊したときと同じ過程をたどっていったそうだ。

 
 オタクとは、はじめひらがなで『おたく』と呼ばれ、差別用語だった。
 実際、NHKではつい最近まで放送禁止用語に入れていたくらいで、暗いイメージがつきまとっていた。

 しかし、この第一世代は、そうは呼ばれてもたかが趣味の問題ではないかと、世間を意識することは
なかった。

 そして、第二世代。
 私はずばり第二世代なのだが、小学校高学年から中学時代、M君による連続幼女殺人事件が世間を騒がせ、オタクは犯罪者予備軍とまでいわれ弾圧された世代だ。
 実際、この当時、コミケの取材でレポーターそう語ったと岡田斗司夫は書いている。

 私ら第二世代は、熱くオタクを語りたがる傾向にある。
 それは、たかが趣味ぐらいで人格否定までされる世間から自らを守る必要性に迫られ、そのために、アカデミックなものに頼る傾向が強いという。
 オタクであることが、趣味とかけ離れ始め、生き様にまで発展してしまった最初の世代だという。

 そして、現在は第三世代とよばれる、ニュータイプ。
 小さい頃から、完成度の高い、アニメやゲームに恵まれ、世間との軋轢も軽くなった世代。
 
 そして、この世代は、純粋消費者になるのだという。
 またこの世代は、自分の気持ち至上主義で、オタクとして必要だった教養を持っておらず、オタクであるかないかは、『萌え』かそうでないかだけのものになってしまっている点。
 この『萌え』は、結局、その瞬間の自分の内体験であり、結局は、短期的視点でしかない。

 さらに日本には、元々オタクを醸成する下地があったと指摘する。
 それは『子供っぽい大人』と『大人っぽい子供向け作品』そして経済力。

 その三本柱でオタクは成り立っていた。

 オタク民族が消えたのは、一般人とオタクとの境であった『子供っぽい大人』が増えたことに起因しているという。
 
 残念ながら、本書では、その後のフォローがない。
 一億総子供社会の果てに何が待っているのか。

 最後が、ただの説教になっているのは仕方ないかも。