ベーシストとしてのスガ君を評価してきた一人として、素直に感激。
これはいかねばなるまい。
テネリフェの悲劇
1977年3月27日、スペイン領カナリア諸島テネリフェ島の空港で起きた航空事故の通称。
さまざまな要因が重なった結果として、2機のジャンボジェット機が滑走路上で衝突、583名に上る犠牲者を出す大惨事となった。
この数字は今なお、テロなどの犯罪行為を除く航空事故で史上最悪の数字である。
テネリフェ空港の滑走路上にて、KLMオランダ航空4805便(以下オランダ機)とパンアメリカン航空1736便(以下パンナム機)が衝突し、爆発炎上。
オランダ航空機の乗客乗員248名全員と、パンナム航空機の乗客乗員396名中335名が死亡した。
おもな事故原因は管制官の指示を取り違え離陸開始し、強行したオランダ航空機機長のパイロットエラーとされているが、そこに至るまでの不運な偶然の連鎖が印象的な事故である。
事故当日のテネリフェ空港、もといカナリア諸島の航空事情はいささか混迷を極めていた。
なぜなら、諸島の空港のひとつであるラス・パルマスのグラン・カナリア空港で分離独立主義者(テロリスト)による爆弾テロとさらなる爆破予告があり、行き場を失った多数の航空機は、ただ近くにあっただけの小さな空港であるテネリフェ空港へ避難していたためである。
しばらくして、騒ぎが虚報という報告が入り、テネリフェ空港に待機していた旅客機たちは通常運航へと戻すため次々と離陸していた。
この時離陸した航空機は1時間に50機ともなったという。そ
のため、あまりの過密ぶりに管制塔側はたったひとつの平行誘導路を駐機場代わりとして航空機を待機させ、離陸への移行には滑走路でタキシング
しながら離陸開始位置に移動させなければならなかった。
離陸開始位置は滑走路端なので、これはつまり滑走路上を逆走することを意味する。
かなり危なっかしい運用であるものの、巨大なジェット機が通れる通路をいくつも建設するのは多くの場所において負担であり、このような運用は21世紀の現在でも大多数の空港で行われている。
衝突という大惨事を避けるために、管制塔による的確な現状把握と指示が必要となることはいうまでもない。
この事故では、オランダ機機長が管制官の「take off」という言葉を聞いて飛行計画の承認と離陸許可を取り違え、離陸を開始したのがそもそもの発端だった。
そのため、事故を受けて、「離陸許可又は離陸許可の取り消し時以外、離陸(take off) を使うのは禁止」という規則が新たに追加された。
これにより、交信における安全性が向上することとなったのだった。
この事故において、オランダ機側の生存者はゼロだった。
しかし、直前で降りて難を逃れた乗客がいる。
それが、テネリフェ島の恋人を訪問するためにフライトをキャンセルした女性だった。
彼女は当初、グラン・カナリア空港へ向かう予定だったが、テネリフェに住む恋人の家に泊まるために予定を変更し、飛行機を降りた。
そして死のKLMオランダ航空4805便から逃れたのである。
彼女が、4805便のたった一人の生存者であった。
後日談ですが、AA1736便コックピットクルー3名はFAA功労賞及び航空安全財団賞を受賞。
そのうち副操縦士であったロバート・ブラッグは、パンナム倒産に伴ってユナイテッド航空に異動後も、本事故の啓蒙活動に奔走し、2017年9月に79年の生涯を終えた。
2007年3月27日には犠牲者遺族や救助活動を行った地元住民の協力により国際慰霊祭が執り行われ、メサ・モタ山に国際慰霊碑「天国の階段」が建立された。
類似案件として2024年1月2日に起きた羽田空港での航空機同士の地上衝突事故がある。



