憂慮 2010年~2011年
いつだったか...。
姫路の市会議員さんが、愛人問題で辞職に追い込まれたというニュースがあった。
なかなかの男前なので、実際もてるのだろう。
ただ、税金を納める側から言わしてもらえば、この人の行動に関しては激しい嫌悪を抑えることは、おそらく、ほとんどの人が不可能なのだと思う。
それで平気と言う方は、おおかたは妄信的支援者とか、内輪の人たちだろう。
こういう話を聞くたびに自分はかなり苦々しい思いに駆られてイライラとする。
本当にイライラしてやまないのだ。
自分は2010年に、当時の知り合いである、元四万十市会議員さんを頼りに高知県四万十市に移住をした。
一世一代の決断だった。
まさに生家の近所にあった、世界的に有名な清水寺のあの舞台から「飛び降りた」のである。
それくらいの行動だった。
何かにつけて引っ込み思案でケツの相当重い自分にとって、まさに世界がひっくり返る行動を、初めて取ったのである。
そういう、自分的には歴史的な転換が、あの移住だった。
ところがである。
疲弊しきった地方のど田舎への移住生活は、本当に地獄とどんづまりの連続だったのだ。
そういう地獄の日々の中、件の元市会議員さんを頼り、精一杯信頼し、そして助けていただいた。
とても言葉では表せないほどの感謝しかない…。
…当時は、確実にそうだったのである。
ところで、市民になった限りは当然、その町に対して納税の義務が生じる。
本当に身を切るような極貧生活の中から、精一杯、正規の額を過不足なく納税した。
恩返しの意味も当然ある。
そして今は亡き両親も、息子が今住んでいる町に対して、それなりに思うことがあったのだろう。
ふるさと納税制度を使い、この町に納税してくれたのである。
自分たちが住んでいる町をおざなりにしてまでも、である。
直接的には何の関係もない町にである。
その行動に込められた思いというものは、想像するだけでなんか泣けてくる。
そういうものが、当然あるのだ。
愚にもつかない事なのかもしれない。
しかしながら、僕が、両親が、四万十市に対して必死で納めた税金には、こういう背景がしかと存在する。
しかし、事情が急転して、僕は四万十市での移住生活を切り上げて、両親の介護のために再度、当時親が住んでいた別の町へと移住をしなければならなくなってしまった。
そうやって四万十市を後にして、初めて冷静に考えたり、移住生活を振り返る時間を持てるようになった時、ふと色んなことがはっきりと見えてきた。
また、しみじみと思ったことがある。
僕が頼りにしていたこの元市会議員さんは、実は、在職中、風俗関係の女性と密会を重ねていた。
浮気なのか不倫なのか、そういうことはよくわからない。
どうでもいい、この際。
ただ、当時そういう話を自慢ぽく、本人から何度も何度も聞かされたし、自身のパソコンに残る「痕跡」を、仲間と薄ら笑いしながらデリートしているところに居合わせたこともあった。
なんにしてもである、公人が行っている行為である以上、税金を使ってそんなことしてと揶揄されても、これはかなり致し方ないと思う。
自分たちがささやかな思いを込めて納めた税金の行方は…と考えたときに、本当に言いようもない失望感に襲われてしまうのだ。
というか、そうだった、自分的には。
身近で起こったことであるゆえ、なおさらである。
ただ、そういうことに関してどうのこうのいうことも主義じゃないし、まして自分には関係のないことなので、首を突っ込まず、何一つ文句・不平を漏らすこともなく、ただ知らん振りをしていた。
しんどい思いをして納めた税金が、そういう個人的で倫理的にどうかというようなことに堂々と使われているのかという忸怩たる思いは、常に隣にはあったけど。
そんなある夜、近所のコンビニを出たところでこの元市会議員さんの奥さんにばったりと出くわした。
奥さんは「ちゃんと食べてるか?」ととても優しい言葉をかけてくださったのである。
今でもその時の優しそうな笑顔のことを忘れられない。
と同時に、自分はとても後ろめたく汚らしい人間のように感じてきた。
胸が痛いというよりも、もう消えてしまいたいくらいの罪悪感。
直接関与しているわけではないが、知っていて知らないふりをして、笑顔に対して愛想良く返しているこの自分のどす黒さ。
情けなかったのだ。
この頃から元市会議員に対しての違和感は、もう抑えようがなく止めどなく膨らんで行ってしまったことを覚えている。
再度の移住を経て、この元市会議員とはしばらく疎遠になっていたのだが、ある職場研修の講義の途中に、何度か携帯に連絡が来たことがあった。
もし着信音が派手に鳴り響けば、それはそれでちょっと面倒なことになりそうな状況だったので、油断を悔いた。
不幸中の幸いだったが、遡ること半年ほど前、昼夜問わずあまりにもしつこくかかってくる電話に辟易し、実は、その後は着信拒否に設定していたのである。
なので着信音が鳴り響くことだけは回避できた。
その日、その元市議からmixiを通じてメールが届く。
「さびしいじゃん、出てくれよ」。
今まで堪えていた感情がイッキに沸騰して爆裂した。
激しい嫌悪感を感じた。
こんなやつのために。
この何年間、なし崩しに時間を浪費させられて。
マジふざけるな。
2010年5月31日の午後、伏見区久我の杜の大垣書店の駐車場から車に乗せられ、四万十市の具同に到着するあの日を始まりに、ずっとずっと、今の今までストレスに感じていたことすべてが、みんな一気に溢れ出した。
「貴方の音楽はすごく好きで、それは今後も変わらない。だけど、人として貴方を嫌悪する」
そう返したところ、こう返ってきたのである
「二度と許さん。覚えておけよ。この人でなしめ」。
ただただ、唖然とした。
姫路市議の件をニュースで見て、こういう苦々しい事実を、唐突に思い出した次第。