霧の中の佐川君の手紙 | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

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基本毎日更新。名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
HP https://triflingbeetle.wordpress.com/2025/09/06/trifling-beetle-official-hp/

 

 

 

 

 

 

霧の中の佐川君の手紙

 

 

 

 佐川一政がパリでオランダ人少女を殺して、そして、解体して食べたという話は、その当時のワイドショーでとんでもなくセンセーショナルに報道されていました。

当時15の自分には衝撃が大きすぎてなんかトラウマになった気がします。

ちょうど、6月の半ば、梅雨の時期のこと。

今でも忘れられません。

ちなみに、レクターよりもずっと早い。

そんな時代に、こんなことがあったなんて。

 

で、コレに触発されたストーンズが「トゥー・マッチ・ブラッド」という、ラップナンバーを発表してました。

本領発揮ですね(笑)!

さすがストーンズ、素敵に不謹慎です。

 

最初、報道の内容の意味がイマイチよくわからなかったんです。

現実感が乏しいというか。

 

女を食う

はぁ?

 

隠語でエッチすることを「食う」ということはあったけど。

ホンマにガチでステーキにしたり、煮込んだり、刺身にして食べるなんて!

マジ意味不明すぎて、よくわからない世界でした。

 

 

 

 

 拘束されて検挙されているその小男の異様な風貌も輪をかけて恐怖心を煽りました。

 

あの顔!

あの髪型!!

開いた口がふさがらないどころが外れそうでした。

 

その佐川一政はパリで拘束後、1984年日本に強制送還。

その後は精神病院入院を経て、なんと、作家として娑婆を闊歩。

ちなみに入っていたのは狂った一頁のモデルの松沢病院だそうですね。

コレ自体がもう信じられないことでした。

人を殺して、食って、日本に帰ってきて、堂々とお天道様の下を歩いている。

 

恐ろしい。

ありえへん。

 

著作「霧の中」を最近読みましたが、なんか言いようもない不快感塗れました。

これはフィクションだなんて冒頭にわざわざ書いてますが、こんなんただの「自伝」ですからね。

みんなわかってるんでしょうが。

わざとらしいったらありゃしねー。

 

 

 この佐川の人生を追ったノンフィクション映画「カニバ」は、今は観覧不可。

昔見たけど、まぁ、えげつなかったです。

というか、よくわからないんですよね、徹頭徹尾、佐川一政の思考が。

単なるキ◯ガイの戯言でしょうに。

 

さて、2022年12月1日、共同通信は「作家の佐川一政さんが死去。『パリ人肉事件』の犯人の佐川一政」との記事を配信。

1949年の4月生まれの佐川、2022年11月24日に死去。

なんと73歳だった。

 

《1981年、留学先のパリで知り合ったオランダ人留学生の女性を自宅に招いてカーボン銃で射殺、その肉を食べたとしてセンセーショナルに報じられた。精神鑑定の結果、「心神喪失状態」として不起訴処分となり、84年に日本に送還された》

佐川氏は和光大学から関西学院大学の大学院に進み、さらにパリ第3大学の大学院に留学。

博士課程に在籍していた1981年6月、オランダ人留学生の女性を射殺し、体の一部を食べた。

 

フランスの司法機関は精神鑑定を行い、心神喪失状態での犯行と判断して不起訴処分とした。佐川氏は84年5月に日本へ送還され、東京都立松沢病院に入院。

しかし、病院側は「治療が必要な精神病ではなく、刑事責任を問える人格障害。治療は不要のため退院させる」という“診断”を下した。

 

日本とフランスでは“司法精神医学”の考え方が異なることやフランスの司法機関が捜査協力を拒否するなど様々な“偶然”が重なり、佐川氏は実質的に釈放の状態となった》

 

 

 

 そして、週刊新潮は、精神科医など多くの関係者に取材を重ね、85年の11月7日号で5ページの特集記事「気をつけろ『佐川君』が歩いている」を掲載してましたが、これがまた、相当ショッキングなレポートで、コレを当時読んで、なんとあの佐川が日本にいて、釈放されて、同じ東京の街を堂々と歩いているんだと言うことに対して愕然としました。

 

当時の新潮の主張ですが

 

《人一人食べた男が正常であるわけはない。その危険人物を社会に放り出していて平気なこの国こそ異常である》

 

まさに、そのとおり。

それ以外のなんでもねーわ!

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、なんと、佐川氏は84年1月、事件の顛末を描いた小説『霧の中』(話の特集)を出版。

「小説家」として生きていくことになります。

 

そして驚くべきことに、89年に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(宮崎勤事件)が発生すると、マスコミから取材・執筆依頼が殺到したというではありませんか。

佐川氏は複数の雑誌に連載を持ち、講演やトークショーをこなし、突如時代の寵児として祭り上げられます。

 

人を殺して、犯して、食ったやつがやで!

 

この突然の社会的な評価の反転は驚き以外のなんでも無かった。

なんてかわからへんけど、ガラッと変わったんですね。

 

ちなみに宮崎勤も子供を殺して食べたんだっけ?

お祖父ちゃんの骨を食ったとかいう話は聞いたことがあるんですが。

はて?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とはいえ、結局のところ、それは一過性のブームに過ぎず、次第に仕事は減り、佐川氏は生活に困窮。

 

2006年「パリ人肉事件『佐川君』の哀れな『失業生活』」を書いた記事も出て、彼は苦しい懐事情を切々と訴えていました。

 

「親の遺産で借金などを返し、今の公団住宅に移り住んだのは昨年4月。千葉にいた頃は持病の糖尿病が悪化し、どうにもならずに生活保護を受けたが、現在は受けていません。でも生活は苦しい。月に7万円の糖尿病の代金だって、いつまで払えるか不安です」

 

引きこもり生活を送り、家賃の滞納で横浜から千葉、今の川崎と住まいを転々としていたようですね。

 

糖尿病は相変わらずで、仕事もなく、出版のあてもない小説や自伝を書く日々。

まさに無為自閉。

年金収入のみ。

 

さらに19年頃には誤嚥性肺炎から胃瘻になり、それでしか栄養を摂れなくなったそうです。

 

糖尿病から来たであろう脳梗塞と網膜症にも罹患し、読書もままならないつまらない毎日。

踏んだり蹴ったり。

因果応報である。

バチが当たったんだね。

 

しかし、ただで転ばない。

人を殺めてレイプしてから食べるという、なんとも人非人な悪行を成し遂げてしまった佐川一政が、佐川一政である所以である。

衰弱は顕著だったにも関わらず、生命力の全てが失われたわけでもなかったようです。

蛇のようなやつですね。

いや、悪魔、か。

 

なんと、「美少女アイドル」に没頭していたというんですよ。

それが唯一の慰めだったそうです。

なんともおぞましいの一言。

舐めてます。

 

一番のお気に入りは上戸彩。

『3年B組金八先生』以来のファン。

ほかにお尻の映像を編集したビデオも見ていだそうです。

 

口癖は

「あぁ可愛い!あぁあ食べたい!」

おいおい。

事あるごと「上戸彩を食べてみたい」と言ってたそうです。

マジウザいっす。

てか殺してやりたいです(笑)!

…あ、もう死んてるか(笑)!

 

その後も国仲涼子さんや瀧本美織さん、戸田恵梨香さん、石原さとみさんと、欲望は果てることなくく続いていたんですね。

懲りない奴です。

そんなに食いたかったのか?

死ね!死んでよし!!

…あ、死んでるか、すでに(笑)。

 

 

 

 

死後は実弟が取材に応じ、以下のように語っていました。

 

「胃瘻を造り、口から食べられなくなった後も、看護婦さんの手に噛みついたことがある。今でも女性を食べたいかと問われると“思う”といつも答えていました。記者へのサービスではなく本心だったのではないでしょうか」

 

ナースに噛み付いて食べようとしたのか?

ホンマにあんた、食ったんひとりだけやったんか?

 

本当になんとも言いようがない。

最後の最後までめんどくさくてウザい。

死ね!

あ、死んでるか(笑)すでに。

 

2人目は、本当に、なかったのだろうか?

そう思わざるを得ません。

 

 

 

 

 

 

 

最後に、佐川の迷言

 

「人を殺すということは、自分も殺すことなんですよ。社会から抹殺されてしまうんですからね」

 

いやいや、あんたはそれだけでなく、罪もないその女の子の遺体を凌辱して、解体し、そして調理して食ったんだぜ!

社会から抹殺程度じゃ全然足りないんだぜ!

わかっとんかいな?

三百回くらい死ね!

 

…って、もう死んでるっちゅーねん(笑)!