西條八十 | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

基本毎日更新。名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
HP https://triflingbeetle.wordpress.com/2025/09/06/trifling-beetle-official-hp/

 

「星くずの片隅で」を、AmazonPrimeにて視聴。 

 

で、続けて見た「入院送中」にアンジェラ・ユンが出ていたと聞き目を皿のようにガン見(笑)。

ナース役。 

 いました!

 

ところで香港映画の子役はなんであんなにすごいのか。

「星くずの片隅で」のユンの娘役のうまさを見ても、ただ、ただ、うなるのみで。

 

そんなくらいに、超絶うまいわけで。

 

 

 

 

 

 

西條八十

 

霧積温泉(きりづみおんせん)の金湯館(きんとうかん)といえば、は森村誠一の昭和52年初版で、映画やテレビドラマにもなった小説「人間の証明」の舞台の1つで有名ですね。 

そして、作品の重要なモチーフとなった西条八十の詩もまた、あまりにも有名。

 

 

 ぼくの帽子              

詩:西條八十

 

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
渓底(たにそこ)へ落としたあの麦稈(むぎわら)帽子ですよ。


母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかつた、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
     

母さん、あのとき、向(むこう)から若い薬売りが来ましたつけね、
紺の脚絆(きゃはん)と手甲(てっこう)をした。 
そして、拾おうとして、ずいぶん骨折つてくれましたつけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い渓(たに)で、それに草が
背たけぐらゐ伸びてゐたんですもの。


母さん、ほんとにあの帽子、どうなつたんでせう?
あのとき傍に咲いてゐた、車百合の花は
ほんとに枯れちやつたでせうね。そして
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で、毎晩きりぎりすが啼いたかもしれませんよ。

 

母さん、そして、きつと今頃は、 今夜あたりは、
あの渓間に、静かに雪が降りつもつてゐるでせう。
昔、つやつやひかつた、あの以太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y・S という頭文字を
 埋めるように静かに、寂しく。


※ 「ぼくの帽子」は、大正11年創刊された少年雑誌『コドモノクニ』(東京社)の一巻2号に掲載された西條八十の詩。
この詩が掲載された雑誌『コドモノクニ』のページは、ネットで「国立国会図書館国際子ども図書館〈コドモノクニ〉掲載作品」を検索すると閲覧できる。

 

特にここ↓。

 

母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?

ええ、夏碓氷から霧積へいくみちで、

渓谷に落としたあの麦藁帽子ですよ・・・

 

ラストの切なさも秀逸。

 

この詩を読むたびに、映画のシーンとか、優作の徳吉刑事、ならぬ、棟居刑事の顔が浮かんでくる。

岡田茉莉子やハナ肇、ジョー山中も。

 

さて、「霧積温泉の金湯館」は、まるで山小屋のような建物で、電車では信越線の横川駅で下車。

そこから霧積までは歩くと4時間くらいはかかるという、恐ろしく不便な場所らしい。

古くから湯治場として知られ、明治21年の開発以後は、多数の別荘や商店などが開業し、明治の政界人・文士・外国人などが人力車で来遊したと言われ、一時期大発展。

なんと、伊藤博文が明治憲法を起草した部屋もあるようです。

金湯館には一般車は入れないので、山の中のヘアピンカーブを何度も反復した先にある無料駐車場に車を駐車して宿の車で迎えに来てもらうか、駐車場から約30分の山道を歩いて登っていくしかないそうです

そうです、そうなんです、まさに「秘湯」。

 

森村誠一は大学3年生時、徒歩で金湯館までたどりついて1泊し、翌朝、鼻曲山を通って浅間高原に抜けたそうです

そして、宿が用意してくれたおにぎり弁当を食べたんだが、その包み紙に刷られていたのが、くだんの「麦わら帽子」の詩。

 

いまでも包み紙には西条八十の「麦藁帽子」の詩が印刷されているそうです

 

このrootと、いつか行きたいもんです。

 

 

 

 

 イソコ、結婚されてるのかな??

 

 

 

 

 


いや、しかし、今度は元ジャニの国分騒動。

なんかよくわからないけど、中に立場の弱い人たちへの許しがたく重篤なパワハラがあるとか。

2010年6月から翌年11月まで、諸般の事情で高知県は四万十市に移住していましたが、その時に信じがたいパワハラを毎日に近いほど受け続けてメンタルを不調にされたことがあった身としては、他人事とは思えないほど状況が、目に浮かぶ気がする。

気の毒というか、ほんまだとすれば許してはいけないことですね。