カネやん大暴れの巻
カネやんは、以前成人雑誌で卑猥なことを連呼して女優さんとかアイドル歌手にトンデモな質問をかましていましたが、懐かしい。今ならコンプラ的にみんなアウト、一発レッド、退場です。
特に岡田奈々、大場久美子にとんでもない質問をしていたことがなんか記憶の隅にこびりついているのです、炊飯器のパッキンの中の、洗い残して腐食した米粒みたく。
「わしのんデカいで、子宮貫くでぇ~!」とか(笑)。
なんか、村上春樹の1Q84的で、ぞっとしてしまうのは自分だけでしょうか。
テレビ解説も味がありすぎ。
クセが強すぎて好き嫌い二分両極端かと。
さて、さて、一方、野球人カネやんは相当すごい。
400勝もさることながら敗戦数もまたすごい。298敗。
どんだけ負けてん、って感じですが、当時の最盛期は弱小国鉄スワローズにいたことが関係しているんですね。
最初からジャイアンツならば、数字はとんでもない事になっていた気がします。
この他、様々な日本記録保持者ですが、64回1/3連続イニング無失点、通算4490奪三振、通算365完投、通算投球5526回2/3イニング、通算22078打者と対戦、与四球1808、沢村栄治賞3度受賞。
コントロールに難があり、暴投とかも多いようです。
ところで、5種類のカーブも素晴らしいのですが、速球ですよね、カネやんといえば。
160㌔は優に超えていたといわれますが。
そうでしょう。
本人いわく「180キロは出ていた」そうです(笑)。
1980年代の江川の速球が138キロなわけないです。
スピードガンのせいのが相当ポンコツだったんでしょう。
カネやんの時代はそのポンコツスピードガンさえもありませんでしたからね。
またまた、ピッチャーながら結構ホームランも打っています。
通算本塁打は38本(代打2本含む)、入団11年連続で本塁打を記録。
投手でありながら8度敬遠されているとか。
江夏もバッティングはよかったですけどね。
大谷よりもずっと早い二刀流ってことでしょうか。
代打に出たことも多数。
代打に起用されて2本の本塁打を記録。
笑うしかありませんね。
まあ、人材が少なかったんですね、今よりもずっと。
高中正義がギタリストながら、ベースも時々弾かされていたことと、なんかダブりますねから~。
何かと規格外記録のオンパレードな人で、あと、退場回数とか。
年間何かだったか?
通算9回ですかね?
監督になってからがすべてと聞きました。
でも、実は日本一になっているんですよね、ロッテ監督で。
関西弁のようですが、名古屋の人だそうです。
愛知県中島郡平和村(現:稲沢市)出身。
よく聞くと変な関西弁です。
経歴もすごい。
先ず名電入学(愛工大名電高校)後、享栄商(享栄高校)へ編入。
しかし名電入学時、実は14歳だったとか(笑)。
おいおい。
「終戦の頃に日本国籍を取得した際、書類に実年齢より2歳若い数字を書いて提出した所、そのまま受理された」として「2歳サバを読んでいた」ことが真相とのことだそうです。
優作も実はサバ読んでるしって話ですな。
予選敗退後すぐに高校を中退し、シーズン途中に国鉄へ入団...とかも今なら炎上必至ですね。
しかも中学高校時代は特待生中の特待生で、一切学費を払っていないとか。
堂々と公言していますよ、特待生問題が表面化したあの時に(笑)。
身長:184 cm×体重: 73 kg。
細いですね。
優作とほぼほぼ同じです。
ちなみにこの平常時のサイズ後、優作、「野獣死すべし」役作りでは、一説によると63キロまで絞ったそうです。
前後奥歯4本抜いて。
真剣に両足を5センチ切り落として繋ごうとしたことも有名なエピソード。
まぁ、そのあたりの振れ幅がカネやんも優作も素晴らしい。
ちなみにあだ名は「天皇」。
少年時代のあだ名は「電柱」「割り箸」など。
今ならクレームママゴンの恰好な餌食になりそうなネーミングですね(笑)。
実弟は元プロ野球選手の金田高義・金田星雄・金田留広。
息子は俳優の金田賢一。
「不良少年」とか「正午なり」あるいは「太陽にほえろ!」、懐かしいですね。
特にのちの優作夫人熊谷美由紀さんと共演した「不良少年」良かったです。
甥に元プロ野球選手の金石昭人。
優勝投手西田の控えですが、ベンチ前でのあののっぽ感は頭二つくらい抜けていました。
小早川よりも頭一つ高かったですね。
もっとも投げた姿を観たことはなかったです。
留広は1969年オールスターゲームで、打者・正一と対戦。
結果は正一が二塁へのフライで凡退。
2019年、急性胆管炎による敗血症のため、都内の病院で86歳で鬼門へ。
プロレス的な野球で、結構パリーグを盛り上げたのではなかろうか。
プロレスかよ(笑)。
もはや何の競技かわからん。
一応、日本シリーズ制覇してるんですよね、監督として。