ビヨン・ボルグとジョン・マッケンロー | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

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名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
HP https://www.music-scene.jp/triflingbeetle/

 

 

 

 

ビヨン・ボルグとジョン・マッケンロー

 

 

ビヨン・ボルグ(スウェーデン)とジョン・マッケンロー(アメリカ)が激闘を演じた1980年決勝における18-16のタイブレーク

すなわち「伝説のタイブレーク」という試合がある。

死闘ともいえる4時間近いフルセットの激闘での第4セットのタイブレークのことを指す。

民放でも放送していたそうだが、途中で終わったのではなかろうか。

なぜならば、ひたすら続き、ぜんぜん終わらないからだ。

放送する方、見ている方も地獄、やる方はもっと地獄、だろう。

考えたならば、炎天下のライブで脳の血管が切れたときのような、そのような気がするわけだ!(笑)。

で、この試合は、実は2017年映画化されているほどの名勝負。

タイトルは「ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』

 

 

 

ピート・サンプラスはこの試合の録画を見て

 

 

 

「二人への尊敬の念は変わらないが、スローモーションを観ているようだ」

と語ったという。

プレースタイルはかなり昔のものだからだ。

この二人は、いわゆるライバルといわれてきた。
悪童と評判のマッケンローはコート以外でもお騒がせ。テイタム・オニールとのいざこざは超有名だ。

 

一方のボルグは日本でもなじみ深く、なんかのCMにも出ていた。

 

で、運命のいたずらか次の年1981年のウインブルドン決勝もボルグ対マッケンロー

結果は3-1で、今度はマンケンローの勝ち、見事リベンジを果たした。

同年全米オープンでも決勝マッケンローが制す。

ボルグはマッケンローに二連敗で、もう引退も考えていたのかも

直接の引退理由はレンドルに負けたことと語ってはいるのだが。

 

2人の対戦成績(決勝に限る)だ。

全米  8月最終月曜から2週間開催 

1980   ジョン・マッケンロー    ビョルン・ボルグ
1981   ジョン・マッケンロー    ビョルン・ボルグ

 

 

 

 

全英  6月最終月曜から2週間開催

1980   ビョルン・ボルグ      ジョン・マッケンロー
1981   ジョン・マッケンロー    ビョルン・ボルグ

 

ちなみに、1984のマッケンローは年間83勝3敗で驚異的な勝率

そのうちの1敗が全仏のレンドル戦

 

 

イワン・レンドルはこの二人のプレイヤーになんか深くコミットしている感が否めない。

 

 

 

 

その後の二人