映画「スティーブ・ジョブス」を観た。
2015年作品。
2011年に死去した市の伝記映画だ。その中で一番ずっこけたセリフがこれ。
ウォズニアックがスティーブジョブスに言い放ったセリフだ。
「君はプログラミングもできないし、コンピューターもいじれない。今までずっとやって来たのは僕だ。君はビートルズに例えたら、ジョンのように振舞い、僕はリンゴのように扱われている。君は楽器もできないくせにバンドをやっているようなもんだ。」
...酷いのう。気の毒なリンゴ。
リンゴのドラミングは、実はすごいんだけどね、そういう世間一般のイメージなんかな。
ジョージのギターが下手すぎるとか、さ。
インテリヒール・成田三樹夫
「工藤ちゃ~ん」
あのなんとも言えないとぼけた声。
あのズラ丸出しのような変な髪型。
スタイルが意外と抜群。
アスリートみたいで、かって千葉真一がなめ回すようにべた褒めしたとか(笑)。
「探偵物語」は優作だから成立。
そして成田三樹夫抜きには、成立しないと思う。
1989年11月6日は松田優作の命日だが、かって、松田優作の葬儀にて安岡力也にこう語ったそうだ。
「人間の宿命なんてあてになんないね。俺も生まれてこの方、ずっと厄年だからさ。」
優作の死んだ同年12月22日、スキルス胃がんの告知を受け入院、手術。
1990年4月9日、永眠、55歳。早すぎる。
もっと高齢かと思っていたが、まだ55歳だったんだ。
成田三樹夫、日本映画史上屈指のインテリ悪役である。
父が刑務所長。
東大に入るが中退。山形大に入りなおすも中退。
俳優座に入るが芽が出ないまま卒業。
同期の俳優が次々脚光を浴びる横で、大映の大部屋俳優になり自分流で、自分らしく、自分なりにキャリアを積んできた。
キャリア的には主演連発でもないしそうすごくはないが、たっぷりと記憶に残る俳優だ。
徹頭徹尾、バイプレーヤーに徹したが、そこらじゅうでなんとも言えない爪痕をしかと残しまくった。
映画『柳生一族の陰謀』の烏丸少将文麿は、公家でありながら剣豪という何やよーわけわからん役(笑)。
探偵物語の服部刑事に始まる、後年の現代劇でのコメデイリーリーフ的な役も、たっぷりと味があった。
自分的には、「女囚さそり・けもの部屋」(1973)の冒頭で、地下鉄駅で梶芽衣子に右腕をブチぎられるシーンが壮絶すぎてトラウマかも(笑)。
あんなにすっぱり切れんやろ、日本刀やあるまいし、牛刀包丁程度で、という突込みは後にして。
またバラエティ番組にも出演し、1987年8月29日放送の『今夜は最高!』では、司会のタモリらとのトークで「俺はもう生まれてこのかた、ずっと厄年だよ(笑)」、「(テレビの前の妻に向けて)帰ったら、一発やるか?」などの発言をしていた(笑)
以前、映画評論家について語っていた。
これが傑作、愉快、痛快な至言。
「どこの国でも映画評論家というやつは口うるさい存在で、監督や脚本家、俳優らから煙たがられている。夏の蚊みたくうるさい、で、不快だから「映画評論蚊」だな。」
そんな彼の唯一の主演映画が「怪談おとし穴」。
野心的リーマンを演じた1968年作品。
生前、江戸蕎麦屋で遭遇した人が、そばをすすりながら読書に興じる成田氏を見かけたとか。
読んでいた本は詰将棋本と、江戸時代前期の俳諧師・室井其角の句集。
其角と来たか!!
う~ん粋で、シブくて、そしてどこまでもいなせな方だ。
優作同様、今でも大好きなのである。
ちなみに宝井其角は芭蕉の弟子。
洒落風俳諧の祖である。
横溝の「獄門島」では師匠の芭蕉とともに、其角の俳句が重要なカギとして登場。
鶯の身をさかさまに初音かな 其角
むざんやな冑の下のきりぎりす 芭蕉
一つ家に遊女も寝たり萩と月 芭蕉
余談、東京都江東区富岡。深川不動尊の参道商店街にある創業70年近くの老舗せんべい屋さん「其角せんべい」。
屋号は、宝井其角から取ったという。
日本一硬いげんこつとか。
東京メトロ東西線、都営大江戸線の門前仲町駅。
深川のお不動さま、富岡八幡宮近所。
富岡八幡宮は、近年、「横溝チック」な、凄惨な殺人事件があって脚光を浴びたところだ。
宝井其角は芭蕉の最も初期の門人で、「蕉門十哲」の一人。
「蕉門十哲」とは「芭蕉の門人のうち、代表的な10人のこと」。
与謝蕪村が選んだ次の10人が一般的。
宝井其角・服部嵐雪・向井去来・内藤丈草・森川許六・杉山杉風・各務支考・志田野坡・越智越人・立花北枝
代表的な句の中でこれはと思うものを一つだけ挙げると、
草の戸に我は蓼(たで)食ふほたる哉
これかな。
ごく個人的な見解だけども。
常に酒を飲んで醒めることがなく、頻繁に吉原に通う奔放な生活を詠んだ句。
「蓼食う虫も好き好き」と言うことわざを「蓼食ふほたる」としている。
自堕落で、夜行性の自分を強調している。