PCで「オーバー・ザ・サン」を聴きながら、
タブレットでChat GPTに聞いてみた。
朕って何ですか?
「朕(ちん)」は、天皇が自己を表現する際に用いる一人称で、国家元首である天皇が自らの存在を表す言葉です。日本では、天皇を象徴とする国家体制である天皇制が存在し、その象徴的な存在である天皇は、国民の代表であり、国家の統合的なシンボルとして位置づけられています。そして、天皇が国家の代表であることから、天皇自身が「朕」という一人称を用いて、自己の存在を表現することが一般的となっています。
上九一色村、その後
オウム真理教の影響ですっかりイメージが悪くなった上九一色村に、新潟中央銀行が融資を申し出て、1997年、富士ガリバー王国がつくられた。
面積は370,000㎡、東京ドーム6個分という広大な敷地内には、おとぎ話の「ガリバー旅行記を」に登場する小人のリリパット国をイメージした園が広がり、4mものガリバーがシンボルとして設置されていた。
「北欧村」、「スカンジナビア広場」、「ボブスレーランド」、「バルーンワールド」、「ふれあい牧場」など美しくて皆が楽しめるスポットがつくられ、さらに周辺にはゴルフ場や高級ホテルも建設。
これでイメージアップがはかれるものと上九一色村は期待をかけていたものの、オウム真理教のイメージはなかなか消えず、客足は伸び悩む。
富士ガリバー王国が作られたのはサティアンがあった場所から3kmほど離れた場所でしたが、世間では「元サティアンのあった場所」というイメージが定着。
そのため、富士ガリバー王国へ遊びに行きたいという気持ちにはなれなかったのでは?といわれている。
また、「富士急ハイランド」があり、そのことも影響。
1999年に新潟中央銀行が経営破綻し、融資打ち切り。
そして、2001年、たった4年で閉鎖。
閉鎖後、しばらくの間、雑草が生い茂り、心霊スポットとして騒がれた。
こういう廃墟は自分も大好きだが、さすがにここは、...ねぇ。
正直気が引けるわけで。
2004年、跡地に「ドッグ・ラン」がオープン。
しかし、上手くいかず、2005年に閉鎖。
現在、「富士ヶ嶺公園」という静かで美しい公園となっている。
公園内には、オウム真理教の信者リンチ殺人事件のために命を落とした人達の慰霊碑がある。
芸能界交歓図裁判
1976年、芸能界交歓図裁判が、刑事事件として、取り上げられた。
桜田淳子、山口百恵、西条秀樹らが、芸能雑誌を訴えたものだ。
それは、芸能プロダクションの代理戦争の様相を呈していた。
具体的に期すと、『問題小説』や『女性自身』(ともに徳間書店)に、山口百恵や桜田淳子、あいざき進也、西城秀樹、野口五郎、南沙織らの実名でポルノ小説仕立てにした芸能人の関係が書き立てられたのである。
これ読んだことがあるけど、かなりエログロだぜ。
いや、イラストもシュールで、こういう趣向が大好きなおっさんが多々存在していたということだね。
昭和半ばの「闇」の一つだ。汚点、いや汚点か?
ある意味、想像力が人並外れてモンスター急であり、石田の言葉を借りればこれは、まずは、「文化」かも(笑)。
下衆で卑しいけど、でも、おもろいから、そうですとも言い切れない、かも(笑)。
エロトピアみたいです(笑)。
女犯坊、超神伝説うろつき童子、小鉄の大冒険...。
イロイロあった(笑)。
さてさて、問題の記事は、明らかに、名誉毀損にあたるものであり、争点は、告訴した芸能人の本心によるものかどうかだった。
彼ら、彼女らが、被告人に有罪を求めるといえばそれで、裁判は終わる程度のものだった。
が、そもそも、それまでなら民事裁判で、損害賠償と、謝罪広告の掲載という名誉回復方法で、十分だったともいえる。
ここで、桜田淳子と山口百恵の人間性が衝突することになる。
建前を貫く淳子さんに対し、本音をぶつける百恵さん。
すでにアイドルから脱却した百恵さんに対し、アイドルの使命を終えつつあった淳子さん、彼女らの下した結論は、正反対のものだった。
山口百恵は、「大切な家族のために告訴に踏みきろう」(『蒼い時』)と決心した。
彼女は養育費も払わない父親が親権を求めたため、裁判沙汰も経験済みだった。
備えを十分用意して、二人の被告に、キッパリと刑法的処罰を求めた
相手弁護士の巧みな尋問にも「ここで負けてしまったら生涯屈辱感に苛まれてしまうだろう」(同)と踏ん張った。
桜田淳子が、刑事事件における被害者としては自らが不利になる不適切な優しさを見せ、「被告人(編集者)には妻子も将来もあるから刑罰を望むなんて言えない。人は人を裁けないと思います。罪を憎んで人を憎まずです」などと夢を売るアイドルらしいコメントを残した。
裁判での証言は、無防備すぎるものであった
被告人二人を前に、法廷において罪を求めなかったのである。
マスコミも含めた芸能界の判定は、百恵さんに上がった。
それは、時代というものの変化を表したものだったと思う。
引退直前の80年7月に、『問題小説』編集長には懲役6ヶ月、執行猶予2年、『女性自身』編集長代理に罰金15万円の判決が下るなど芸能人側の「完全勝訴」(同)となった。
「花の中三トリオ」の中でもひときわ影を感じる彼女の厳しい生き様がこんなところからもうかがえる。