三浦瑠璃さんの叩かれっぷりがすごいのう。
まあ、この人、なんか違和感があったという意見が多いと聞くけど、自分もそうだった。
うまく言えないけど、なんか好かんというか。
あのへんな感じの正体って何なんでしょうか?
古館さんが自身のユーチューブチャンネルで言っていたけど、この人が学生時代だったか、発表した「自民党から表彰された」といういわくつきな論文を読んだ感想
「感想の作文じゃね?」。
大笑いした。
まあ、太陽光って、考え方はいいとは思うけど、使い方誤れば、変なことになりそうで。
なので土佐清水・大岐浜、リゾート施設・海癒オーナーが起こした、胡散臭いビジネス臭がするあの騒ぎの如く、十分妖しいとは思いますが。
オーシャン四国(笑)。
他者危害原則とパターナリズム
自由主義の社会では人は自由に振舞うことができるが、何でもかんでも自由にしてはいいというわけではなく、どこかで閾値、制限を設けなければ、そもそも社会が成立しない。
当人または他人の安全を守るために、政府や法律がどこまで個人の自由やライフスタイルに介入してよいかを考える際に重要となるのが、他者危害原則とパターナリズム、この2つの倫理原則である。
ともにJ・S・ミルが『自由論』の中で提唱、自由主義の原則の一つだ。
この思想の支持者はしばしば リバタリアンと呼ばれる。
また、加藤尚武という哲学者は、正確には「他者危害排除の原則」というべきだと書いている。
他者危害原則は、個人の自由を制限してよいのは他人に危害を与えることにつながる行為に限られるとする考え方。
つまり、「他人に危害を加えない限り、あなたは何をしても良い」ともいえる。
一方、パターナリズムは、他者が当人の利益のために、当人が必ずしも望んでいない介入を行うこと。
「父性主義」ともいう。
あまりにパターナリズムを多く受け入れると窮屈な社会になる。
どの程度まで受け入れるかを考える時に、他者危害原則が目安となってくる。
例として、「自転車走行中のイヤホン・スマートフォンの使用制限は認めてよいか?」と「自動車のシートベルトの着用義務は認めてよいか?」について考えてみると、それぞれの原則の意味が具体的に見えてくる。
コロナ禍の社会で、このことがピックアップされたことは記憶に新しい。
コロナ自粛要請下の解放区、アジール
ガラガラ渋谷の快適感。
あんなに人がいない渋谷はもうないかもしれない。
それほど記念的な一日であった。
日本人のまじめさを象徴する出来事である。
これは、決して悪いことじゃないと、自分は思っている。
そしてまた、人が集まりだしている。
いつもの渋谷だ。
これでいいのか?