1981年・点景 ニューヨーク3部作 ポカリスエットと田中さん 花園へ | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

基本毎日更新。名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
HP https://triflingbeetle.wordpress.com/2025/09/06/trifling-beetle-official-hp/

冷蔵庫の消費電力は、室温によって変化する。

冷蔵庫の温度設定は一年中標準(中)に設定しておれば自動的に温度調節してくれる。

ただし、自動調節機能のある場合のみ。

また、冬のピーク時は「弱」が無難。

また、冷蔵スペースのぎゅうぎゅう詰めはNGだが、冷凍庫は逆に、詰め込んだほうが省エネになるという。

 

 

 

 

 

黄色いベスト運動

 

黄色いベスト運動 (Le) Mouvement des Gilets jaunes)は、2018年11月17日土曜日)から毎週土曜日中心に断続的に行なわれているフランス政府への抗議運動。

黄色い反射チョッキを着用、運動のシンボルとされている。

黄色いベストや黄色いジャケット運動とも呼ばれる。

 

2018年5月にオンラインで開始され、2018年11月17日(土曜日)にフランスにて実地的に開始。

 

抗議者は、主に農村部や都市部周辺の人々であり、「燃料価格の上昇」「生活費の高騰」「政府の税制改革の負担が労働者や中産階級に及んでいること」を主張し、「燃料税の削減」、「富裕層に対する連帯税(solidarity tax)の再導入」「最低賃金の引き上げ」、そして「マクロン大統領の辞任」を要求している。

 

 

I LOVE YOU MORE THEN YOU LOVE ME!

 

 

 

1981年・点景

ニューヨーク3部作

 

甲斐バンドが80年代に生み出したアルバム 『虜 -TORIKO- 』 (1982) 、『GOLD / 黄金』 (1983) 、『ラヴ・マイナス・ゼロ』 (1985) の3枚は、ニューヨーク3部作と言われてい

86年の甲斐バンド解散前最後のアルバム REPEAT & FADE』 (1986) が、メンバー4人それぞれのソロ・プロジェクトをアルバムとしてまとめた作品であることを考えると、実質最後のオリジナル・アルバム群・NY3部作によって甲斐バンドの歴史は締めくくられた、と言えるのではないか。

 

80年代に入り、箱根、花園、と未踏の地で大観衆を集めた甲斐バンドは、ライヴ・バンドとしての頂点を極めたので、スタジオでのあくなきサウンドの追及へと没頭してゆく。

そんな中、出した81年のアルバム 『破れたハートを売り物に』 の出来に満足感を得られなかった。

こんな音じゃない、と。
それが発端となり、当時の売れっ子であり、現在でも活躍する超一流のエンジニア、ボブ・クリアマウンテンミックス・ダウンを依頼。
日本で演奏、録音されたテープを持ってニューヨーク


ミックスマスタリングは、今でこそ素人がDAWを駆使して、最高レベルのものを創作することが可能だが、当時は、技術は日本とアメリカ・イギリスでは大きな差があった。

日本のものは、簡単に言えば、立体感がなく、薄っぺらい。

一方、ボブ・クリアマウンテンの作る音はきらびやかで華のある音。

でありながら音の温かみも失わずにバランスのとれた厚みのある音。

いらないものはいらないとスパッと切り、いるものを必要最小限に足す。

どちらかというと引き算のミックスといえる。

で、一つ一つの音が生々しい。

デジタルでありながらそうでない、微妙な線を見事に具現化している。

そう、この頃からコンピューターを使ったデジタルミックスが主流となって行ったのだという。

日本よりも、ずっと早いよな。 

ただ、今聴くと80年代的という意味では古さも感じが。

ホール & オーツ、ブルース・スプリングスティーン、ブライアン・フェリー、ローリング・ストーンズ、デヴィッド・ボウイ etc・・・。

ボブが手掛けたアーチストは錚々たるメンツ。

この中に甲斐バンドが名前を連ねることが、なんともおこがましい(笑)。

 

それはもちろんボブ・クリアマウンテンの音であるからなのですが、そこに目をつけ選択した甲斐よしひろの発想と行動力は称賛されるべきものでしょう。

甲斐バンドが解散した86年の12月。

甲斐はソロとして神宮球場で行われた国連公認のチャリティ・ライヴ、ジャパン・エイドに出演。

このライヴの中心人物ピーター・ガブリエルは、日本側の出演者を選択するさいに提供されたテープを聴き、その中でボブ・クリアマウンテン・ミックスの甲斐バンドの音がすぐに耳に留まったというエピソードも残されてい
そう、耳にとどまる、そういう音象なのである。

 

 

 

 

 

 

1981年・点景

ポカリスエットと田中さん

 

田中さんは健康志向で、この頃はやっていたジョギングを習慣にしていた。

とにかく、「健康」マニア(笑)。

で、早朝のジョギングに誘われた。

形から入る自分はジョギングパンツ、ジョギングシューズ、ヘアバンド、リストバンド(笑)までそろえてしまった。

イメージは「虹色の扉」のオリビアニュートンジョンだ。

で、ジョギングを始めていったのだが、田中さんはポカリスエットという珍妙なドリンクも勧めてきた。

CMなんかで知識はあったけど、飲むのは初めて。

なんと、まずい!!

てか、甘くないだけだけどね。

 

で、田中さんは缶入りではなく粉末を強烈にプッシュ。

濃度を自在に調節できるからだという。

それも購入。

水筒にポカリを溶かして用意して、暗いうちから毎朝ジョギングしていた。

 

その後、田中さんはひざを痛めてリタイヤ。

しばらく一人でジョギングを継続。

 

で、その何年後かに、田中さんしばらくして急死。

原因はジョギングじゃなかったけど。

 

 

 

 

 

 

1981年・点景

花園

 

甲斐バンドの花園の伝説ライブに行けた。

あれは奇跡だったけど、いや、もうすごいの一言。

何がって、マジで死人が出かけたことがだ。

ライブ自身は後ろの方であまりぱっとしなかったけど、あのオルタモント並みの騒動がね。

まあ、後ろなので、騒ぎには関与していないし、野次馬的に見ていただけだけど。

突然演奏停まって、後ろ下がれってことになって、ざわざわ、みたいな。

悲しいことに、あの思い出がこのライブのすべてになっている(笑)。

京都始発で出ていたのに、近鉄に乗ったのは、多分あの時が初めてだった気がする。

 

ラグビー場でライブする発想は当時画期的だったそうだ。

しかし、国技館とか、新宿都庁の建設予定地とか、すごいところでライブするよな、甲斐バンド。

当時は本当に輝いていた。

 

 

 

1981年・点景

早実、危機一髪

 

決勝

(神宮第二)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早稲田実

 

 

 

二松学舎大付

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【早稲田実】

 

 

【二松学舎大付】

(二)

小沢

 

 

(一)

北島

(右)

岩田

 

 

(中)

福田辰

(左)

池田

 

 

(捕)

尾鼻

(一)

板倉

 

 

(三)

上地

(遊)

黒柳

 

 

(投)

市原

(捕)

松本

 

 

(遊)

南雲

(中)

萱原

 

 

(左)

福田武

(投)

荒木

 

 

()打左

萬羽

(三)

上福元

 

 

(二)

丸山

 

 

()打

河野

35

12

 

 

()二

上遠野

投手

 

 

(右)

名取

荒木

12

 

 

 

 

 

10

38

12

 

 

 

投手

 

 

 

市原

12

[本] 黒柳(市原)
[三] 松本
[二] 小沢、北島、南雲、市原、荒木、池田、板倉、萱原
[併]
[暴]
[失] 早1