親の顔が見てみたい
この国では、加害者の家族が、加害者同様、もしくは以上に責任追及されることが、ごく当然のように行われている。
誤解を恐れずに言う。
「赤の他人、本人と関係はない」。
と思う。
佐世保JK事件、宮崎勤事件、加害者の父親は自殺している。
コロナ感染しているのにバスで帰省、カラオケ、バーべQに行ったといってバッシングを受けた一般人の父親もいた。住所、年齢、本名、職業、何から何まで暴かれ、ネットに曝されるという公開処刑。
親の顔なんて、関係ないやん。
おぞましい。
ゼブラガイ
この小さな買いがライフラインを破壊したり、命を救ったり、プラスにもマイナスにも働く。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/03/post-95798.php
1981年・点景
mirrorの誘惑
鏡に映る自分。
見たくもくそもないけど、なんとなく見てしまう。
自分の容姿が輪をかけて、様変わりしてゆく感じを、ただ唖然として、毎晩、相当長い時間眺めていた。
髪の毛がどんどん伸びてゆき、ふろにもあまり入らないから皮膚がカサカサ。
薄汚い。臭いだろう。
産毛まみれの顔。
ほぼ引きこもり生活、も相当長くなってきた。
引きこもって、孤独な自習的受験勉強にのめり込むことから何とか脱出せねばと思いつつも、2月14,15日の東山受験まではどうしようもない。
3月15日の東稜受験が済めば、それで終わりだ。
終業式も卒業式も、一切出るつもりはない。
証書なんていらない。
ぱっと蛹の皮を脱ぎ捨てて、さっぱりしよう。
そうだ、今は蛹なのだ。