ぎおん寿司→鶴喜そば | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
HP https://www.music-scene.jp/triflingbeetle/

 

 

 

牛尾山の絵を描いたことがある。

10歳くらいの時、学校の美術の時間にだ。

確か、4,5人で一枚の絵を描いたように記憶している。

そのころと今も、まったくと言っていいほど、山の面影が変わっていない。

木々も50年近くたつと相当伸びるだろうに。

でも、変わらないのはどういうわけか。

 

 

 

 

 

 

昭和50年代・山科区・点景  

 

ぎおん寿司鶴喜そばへの転身は衝撃だった。建物はほぼそのまんまだったのでは。

 

 

 

駐車場で京本政樹が夏のライブを行い(営業)声を響き渡せ、松崎しげるの「愛のメモリー」生歌が響き渡り、屋根で大量の鳥が騒音公害みたく啼き響く。

 

西友山科店昭和57年に改装する前は一階の中心にフードコートっていうのかアイスクリームやフライドポテトなんかあるお店をやっていたりした。

ここのアイスがとにかくうまかった。

安っぽいけど、うまくて、はまるってやつ。

ダンキンドーナツもあって、毒々しい青野カラーに子供心を狂わされていた。

 

2階にあるイノブンもしゃれた店で、妹が誕生日にコーヒーの砂糖入れを買ってくれたことがある(笑)。

なぜそのチョイスだったのだろうか?

 

本屋では切手を買い集めた(笑)。

また「竹田かほり」のヌード写真集をガン見して、激しく興奮しているのか、体を痙攣させているおっさんがいたのを覚えている。

本屋の前が釣具屋で、スピナーやスプーンのルアーをよく買った。

小学生の頃には西友でほぼ半分が完結していた気がする。

あとは四ノ宮のプラモデル屋。

そして牛尾山、琵琶湖。

ワンダーランドが自転車で行ける範囲内に、わんさかと点在していたのだ。