牛尾山の絵を描いたことがある。
10歳くらいの時、学校の美術の時間にだ。
確か、4,5人で一枚の絵を描いたように記憶している。
そのころと今も、まったくと言っていいほど、山の面影が変わっていない。
木々も50年近くたつと相当伸びるだろうに。
でも、変わらないのはどういうわけか。
昭和50年代・山科区・点景
ぎおん寿司→鶴喜そばへの転身は衝撃だった。建物はほぼそのまんまだったのでは。
駐車場で京本政樹が夏のライブを行い(営業)声を響き渡せ、松崎しげるの「愛のメモリー」生歌が響き渡り、屋根で大量の鳥が騒音公害みたく啼き響く。
西友山科店は昭和57年に改装する前は、一階の中心にフードコートっていうのかアイスクリームやフライドポテトなんかあるお店をやっていたりした。
ここのアイスがとにかくうまかった。
安っぽいけど、うまくて、はまるってやつ。
ダンキンドーナツもあって、毒々しい青野カラーに子供心を狂わされていた。
2階にあるイノブンもしゃれた店で、妹が誕生日にコーヒーの砂糖入れを買ってくれたことがある(笑)。
なぜそのチョイスだったのだろうか?
本屋では切手を買い集めた(笑)。
また「竹田かほり」のヌード写真集をガン見して、激しく興奮しているのか、体を痙攣させているおっさんがいたのを覚えている。
本屋の前が釣具屋で、スピナーやスプーンのルアーをよく買った。
小学生の頃には西友でほぼ半分が完結していた気がする。
あとは四ノ宮のプラモデル屋。
そして牛尾山、琵琶湖。
ワンダーランドが自転車で行ける範囲内に、わんさかと点在していたのだ。