プリマハム薫燻
こいつの大袋のコスパがよすぎる。ありがとうプリマハム。
ありがとう土屋太鳳。
遡ることと1985年。
乾ちゃんという人の実家を訪ねたことがある。
この人は元カノ。
自分が18の時に付き合っていた、7歳年上の方だ。
でも、ひどく心を病み、実家のある奈良県に帰って、静養していた。
静養とは名ばかりで、精神病院に隔離される代わりに、世間体を気に病んだ両親の力技で、無理やり実家に保護されたといったほうが的確かもしれない。
彼がいることは言ってなかったらしい。
実家は当時、北葛城郡香芝町というところにあった。
奈良なんて行ったことがなく、初めての旅行である。
別れたという、はっきりしたものはなかった。
気が付けば行方知れずになっていたのだ。
はてさて、彼女はいずこに?
相当変な人で、精神科に通院して、トランキライザーを飲んでいたこともある乾ちゃん。
だから、実は措置入院とか、そういうことなのかなと、正直思っていた。
新聞を見ても逮捕されたとか、そういう記事はないし。
乾ちゃんは、本当に変わり者だった、というか、すでに病んでいたのだろうな。
もともとそういう気質だったということは、出会った頃からわかっていたことである。
でも、変な人が大好きな自分。知れば知るほど変なところが見えてくる乾ちゃん。
乾ちゃんは全く持ってタイプど真ん中だったのだ。
自分を「戸川純」に例えていた乾ちゃん。
本当に音楽に詳しかった乾ちゃん。
時々頭のねじが複数外れたような態度を見せる乾ちゃん。
人さらいにさらわれかけた経験があるという乾ちゃん。
笑いのツボが不謹慎で、屈託のない乾ちゃん。
どんな乾ちゃんも、心から、とても好きだった。
とても大切に思っていたことに疑いはない。
そんな乾ちゃんに対して、自分が何かいけないことをしたわけではなかったが、なんとなく後ろめたい気持ちは多々あった。
支えきれず傷つけたのだろうか?
このあたりの流れは、手前味噌だが「ノルウエイの森」の「ワタナベと直子」のくだりに似ているのかもしれない。
もっとも「キズキ」は存在しなかったのだが。
消息不明になりしばらくした後、唐突に、電話を受けた。
今どこにいるの?
そういうことをやっと絞り出したように思う。
実は今度こそさらわれたんじゃないのか?
そんな予感さえした。
ほぼ無言の応酬な電話の最期に、一度顔を見せに来てよと言われたことが、訪問の理由だった。
「母校の広陵高校がセンバツ出るねん。お祝いに来て」とも言われたことを覚えている。
行くよ、行きます、会いに行きます。
長い一日だった。
まず京都に帰省し、近鉄に乗り換え、八木まで行く。
大阪鶴橋行きに乗り換えて築山駅というところで降りるように言われた。
春も早い風景、あたり一面の畑。
お父さんが軽トラでわざわざ迎えに来てくれていた。
その途上で、娘はキチガイになっているんです、と話された。
なんとも言えない重苦しい空気。
やがて畑の中を走りぬけ農家っぽい家に到着。
乾ちゃんとほんの何か月ぶりかの再会を果たす。
二階に引きこもっている乾ちゃんは、モノともゴミとも知れぬマテリアルに埋もれて、今まで見たことのない風貌で、強烈なにおいを放っていた。
20代とは思えない姿。
ベッドわきにはカップラーメンの器と、カセットテープが夥しく散乱している。
なんか胸が、有刺鉄線で縛り上げられたようなほど、痛かった。
ほんの何か月ではなく、実はとんでもない長い時間があっという間に過ぎ去っていったのではないのか、そんな気もした。
二時間ほどいるのが、ほぼ、限界だった。
言葉が何も出ないほど、ショックだった。
もしかして、彼女をあんな風に変えてしまったのは、実は俺なんじゃないのか。
俺の罪か?
その日からしばらくの間、何もかもが白黒に見えたり、わけのわからない単語を頭の中で繰り返したり、自分もメンタル的にかなり危機な状態だったと、そう思う。
その後、乾ちゃんとは会っていない、声も聞いていない。
今も存続しているのだろうか。
あれから37年たっている。
どうしているのか、それを聞くのがとても怖いのが本音。
臆病風がやまないのだ。
死ぬまで。
ところで、最近また来る。
SMSで。
アホか。