ところでニュースの後、何気にテレビをつけっぱなしにしていたら、酔っ払いのようなボレロが聞こえてきた。
何じゃこれは?と思い振り向くと、長島一茂がチェロを弾いていた(笑)
しかも、「間違ったから、やめるっ!!」といってやめてしまったではないか(笑)。
高嶋ちさ子に促されて再度やり始めたが、56歳一茂、お前子供かよ。
高柴、何とかしてやってくれないか??
その昔、確か7歳ほど年上のお姉さんにほのかな、恋、のようなものをしたことがあった。
当時自分は15歳。高校一年だった。
そのお姉さんがあるとき自分に聞いてきた。
「オフコースの新譜持っとらん?」。
当時オフコースは、最も流行したころ、のやや前夜だったのだが、「さよなら」「Yes・No」が商業的に大成功して、{We are}がレコード大賞のアルバム大賞を取って、ようやくマニアだけでなく一般的に周知をし始めていた頃だったと思う。
ただ僕は、知ってはいたが、あまり好きではなかった。
ビートルズとストーンズ、ドアーズが絶対的存在であり、その次にフェイセズ、フリー、10㏄、チープトリック、カーズ、ブロンディなんかがあり、サザンとかツイスト、ゴダイゴ、甲斐バンドなんかも好きだったし、その他にもユーミン、南佳孝、はっぴいえんど、山下達郎、竹内まりあ、チューリップが好きだった。
その他ヒカーシュ、YMO、はちみつぱい、四人囃子、近田春夫、矢野顕子、大貫妙子...大好きな音楽は巷にあふれていた。
オフコースはなかった。
そのお姉さんの一言がきっかけでオフコースのアルバムを買いあさり始めた自分は、1982年の伝説の武道館ライブの終わりとともに、蝉の抜け殻のようになってしまうのだ。
皮肉な話だ。
ところで、オフコースの何に一番度肝を抜かれたかというと、その音楽的なレベルの高さに他ならぬ。
意外とすごかったというべきか。
究極的な驚愕の念とでも表現したいようなあの価値観の完全崩壊。
それこそ、今までの音楽人生すべてが否定されるほどの衝撃を、禁じ得なかったのである。
ミックスの妙。アレンジの妙。特に空間処理のうまさ。
これが何と言っても一番すごいと感じたことで、小田和正の今の音楽にも、その空間処理の素晴らしさが、綿々と受け継がれている。
音数少なく、クールに処理する。
まるで多くの楽器が鳴っているかのようなあの技術。
小林武史と小田和正がその双璧なのではなかろうか。
さてさて、それからは、そのお姉さんではなく、オフコースの方にゲキレツに恋をしていったのである。
まさに、タモリに「気持ち悪いと」あざ笑われそうな話だがwww。
自分のへたくそなアコギの伴奏で、お姉さんと、音楽仲間と三人で「Yes・No」をハモりながら歌ったことも懐かしい。
青春の一コマか。
We were singing a song.
自分にオフコースの音楽のすごさ、素晴らしさを教えてくれた、その福岡出身のきれいなお姉さん。
今は還暦を越し、お家を出て、グループホームで生活されていると、昨日聞いたところだ。
なんとなく、寂しく感じた。
そのお姉さんのお父さんが、生前、わざわざ創ってくださった模様入りの革の財布、実は今も手元にあり、筆箱として重宝している。
そう、いまだ現役バリバリなのである!
おまけ
https://jpn.lvltravels.com/discover-kalahari-truffle-delicacy-from-namibia-news-588725