「不敬罪」という、真に奇天烈なる罪状が以前の日本にあったことは有名だが、ひたすら失笑を禁じえない限りだwww。
馬鹿馬鹿しい。
というか、あほくさい。
天皇陛下を敬えない人間は日本人ではないなどという爆笑もんで前近代的な戯言を、堂々と自分に対して抜かしてくる、古臭い日本の幻想と時代錯誤にまんまとレイプされたようなクソ洟垂れの馬鹿はとっとと死ねばいい。
お前なんか必要ない。
とっとと死ね!
死ぬ前にケツは拭けっ!!
それから死ね。
なんかぁ、そういってやりたい(核爆笑)。
石坂浩二と市川崑のコンビの横溝映画6作の中では、ダントツで「悪魔の手毬唄」が好きである。
邦画ミステリー映画屈指の名作という評判は、その通りだと思う。
異論なし。
この映画のツボはたくさんあるが、やはり若山富三郎と岸惠子の名演に尽きると思う。
異常に実弟の勝新太郎にそっくりな若山富三郎の枯れた演技が秀逸だ。
石坂演じる金田一と旅館で再会するシーンは何度見てもほんわかする。
台詞も「やぁ」しかないのだが、たったそれだけで金田一と磯川警部補の深い関係性とかをすべて表現し切っていたりする。
雰囲気だけでいろいろなものを表現しているところなぞはさすがである。
一方の岸惠子は長らく大根というレッテルを貼られていたそうだが、そんな評判も何のそのの熱演だ。
今にも崩壊してしまいそうに儚い女と母を見事に演じ切っている。
この映画の大きなテーマでもある「女性の性と嫉妬」「母性」のせめぎ合いは、ややもすれば陳腐なものになりがちだが、その難テーマを文字通り体当たりで演じている。
ネタバレになるが、最後の、なんともいえないくらいの退廃感と絶望感を抱え込んで、魅入られたように人食い沼に入水自殺するところとかは、何度見ても涙が出てしまう。
「むごい男とわかっても好きやった。忘れられませんのや」。
この台詞は、今までに自分が見た邦画の中でもベスト1の台詞なのである。
最後、土蔵に呼び出した知恵を手にかけようとする岸惠子の怖いこと怖いこと。
それ故に、最期、北公次演じる息子が犯人が誰かを知るあの名シーンにおいて、ものの哀れや物悲しさがとめどなく増幅されてゆく。
原作は夏だが映画では冬に設定されている。
この冬に撮影したということもかなり効果大で、水墨画のような寂寥感が見事にかもし出されており、これが絶妙なのだ。
撮影は1977年の1月から3月の間に行われたそうだ。
で4月頃に公開。
その頃、撮影隊は場所を岡山県の笠岡などに移し、次作「獄門島」の撮影に入っていたそうである。
「獄門島」は確か1977年の夏頃に公開だった。
いやはや、ものすごく驚異的な製作ペースといえる。