「ジョゼと虎と魚たち」、田辺聖子原作、犬童一心の監督作だ。
脚本を岩井俊二の弟子のような渡辺あやが手がけていることも、後々気がついて驚いた。
ジョゼのような特異なキャラクターをやらせれば、期待通りに神業的仕事をこなす池脇千鶴みたさに観た映画だ。
これは、あくまで、ジョゼ目線から見た現実世界の描写であり、また、彼女の中の御伽噺的世界観を表現したものだと思う。
それ故にすごく摩訶不思議なムードに溢れているが、なんとも心地が良かった。
池脇演じる「ジョゼ」は下半身不随だ。
本名はくみこというが、サガンの小説の主人公になぞらえて、自らをそう命名して呼んでいる。
本当の祖母かどうかも怪しいのだが、とにかくおばあさんと一緒に暮らし、生活保護を受けている。
このおばあさんはジョゼのことをことあるごとに「こわれもん」呼ばわりするし、「自分の分を弁(わきま)えた行動をしろ」と説教をする。
人の少ない早朝に、おばあさんに押してもらって「乳母車で散歩すること」、「カツラを被って読書をすること」、「押入れに入って横になること」が楽しみ。
そういうふたりは何とかぎりぎりのところで生活しているという設定。
すごく非現実的であり、かつ直視できないリアリティに溢れている。
さらに言えば、ジョゼらが住む場所は、ひょっとしたら被差別部落という設定なのかもしれないなと思う。
そういうなんとも言いがたい現実が、非現実なストーリーと共に同時進行して行く。
妻夫木聡演じる恒夫は、思い上がり気味でロマンチストな大学生だ。
「将来福祉にたずさわりたい」という上野樹里が本命で、江口のりこ演じるパンチの効いたセフレまでいる。
本質的には、主演の彼はヒール役なのだ。
ひょんなことから散歩中のジョゼとおばあさんに出会い、朝ごはんをご馳走になる。
その後、家に入り浸るようになる。
本命の上野樹里もまたヒール役である。
嫉妬心から心無い暴言を浴びせかける。
「(足が悪いことが同情を買っていると)そう思うんなら、あんたも足切ってもろたらええやん」と言い放つジョゼを二回もぶん殴ってしまう。
おまけに「障害者なんかに彼氏を盗られて、情けない」…と悪態をつく。
役柄とはいえ、なんとも損な役回りを演じている。
鉄工所で働くヤンキー幸治役の新井浩文が相変わらず切れている!
ばあさんが亡くなりジョゼがひとりになったところから物語が加速する。
見かねたロマンチスト恒夫はジョゼと共に生活を始めるのだ。
美談であり、感動的な出来事なのだが、なぜか違和感が残ってしまう。
これはいわゆる「純愛」、だと思うが、思うのだが、現実にこういう展開になることはごくまれだと思う。
だからどこかに偽善臭というか、上辺感が拭い切れず残ってしまう。
要するにだ、自分の心のどこかに、これは単に映画での話で、「現実的には、そうそううまく行かないのでは?」という、「汚れた疑念」が巣食っているからだ。
なんともまぁ、汚れて、浅ましい心なもんだと、自虐の極だ。
ジョゼには夢があった。
いつか好きな男ができた時に、世の中で1番怖い「虎」を一緒に見ることが、ジョゼの長年の夢だったと語る。
この動物園でのささやかなエピソードも、すごく良い話しで一瞬心の温度が上がるのだが、その反面、胸の一部がすごく重くなる。
ドライブデートの時の話も印象的だ。
ラブホテル「魚の館」でSEXした後、ジョゼは、まるで自分に語りかけるようにこんな話をする。
「私はずっと海の底深くに住んでいた。あなたが私の元を離れていったら、また海の底に戻ることになるのだが、それもまたいいや」と。
それを否定せず黙って聞き入る恒夫。
これもまた切ないシーンだ。
結局、ジョゼはその「海の底」へと返らなあかん日が来るが、しかし、海の底にちゃんと帰ったのかというと、それは違う。
彼女は、それまで長い間住んでいた海の底ではなく、新たな違う場所へと帰ることになった。
なぜならばジョゼは、ふたりの関係の始まりと終わりを経て、社会対して敢然と切り進んで行くからである。
大嫌いだった障害者用の電動車椅子を乗りこなし、颯爽と街中に出て行き、駆け抜け、坂道を下る。
どこか後姿が寂しげで頼りないのだが、それでも日々の生活をしっかりと営んで行く。
一方、池脇千鶴と別れた直後の妻夫木聡は、突然、咳を切ったように歩道で号泣してしまう。
その傍らには本命の彼女。
この映画を観ればどうしても思い浮かべるのは北川悦史子脚本のドラマ群だ。
「ビューティフルライフ」「オレンジデイズ」「愛していると言ってくれ」…特に、最終回で最高視聴率41.3%をマークしたという「ビューティフルライフ」と、ことごとく重なり合う。
感涙の渦を巻き起こしたとされるあのドラマの、ネガ的なオマージュ~いやいや、もう立派なアンチテーゼかもしれない~という気がしてやまない。
「ホンマにそんなことって、あるんかいな、あるわけないやん」という疑念を具現化しているというか。
だからなおさらこの映画を観た後では、「ビューティフルライフ」とは、どうしようもないただの上辺をなぞらえただけのキレイ事にしか思えなくなる。
もちろん、あれはあれでドラマの話しだ。
こちらはこちらで映画の話しでもある。
ただ現実というものがはたしてどうかといえば、それはやはり、ジョゼ側に近い位置にあると思うのである。
だからこそ無意味だと感じつつも、物語の背景や設定を、妻夫木とキムタクを、池脇と常盤貴子を、上野樹里と原千晶、新井浩文と的場浩二、そして渡辺あやと北川悦史子を、ついつい比較してしまう。
ドラマが徹底的に、きれいなきれいな物語を紡いでいたのだとすれば、この映画は徹底的に、なかなか直視するのも辛い「現実的なもの」を、観るものへと鋭く突きつけてきたものだといえよう。
現実をまざまざと見せ付けられた気分だ。
なので、健常者と障害者が向き合い、恋愛をしていくのはキレイ事ではなく、やはり並大抵の覚悟ではできないよという、皮肉的な忠告と受け止めた。
見終えた後の正直な感想だが、非常に危ういなと。
それは、見る人によっては、あるいは見る人の「眼」「心」によっては、この作品は被差別部落や心身に障害を持つ人々への差別問題を肯定しているようにも見えるかもしれないということを危惧するからである。
差別問題などに対して、自らの倫理観をしっかりと持ち、また意識もしっかりしている人…ばかりではないと思うし、そういう点でなんとなく危なっかしいというか…。
差別問題に関して二枚舌な人間もいるし、事実見てきた。
だからなおさら、これは決して差別を肯定したり助長している映画ではないということを、やはり万人がはっきりと認識して欲しいと思うのである。
ちなみにこの「ジョゼと虎と魚たち」というタイトルだが、「虎」はジョゼにとって恒夫との愛の絶頂期の象徴であり、「魚たち」は恒夫との翳りの確信の象徴だということだそうだ。
最後に、淡々とした8のドラムスにアコギがさりげなく乗っかる、くるりの「ハイウェイ」はマッチしすぎだと思う(笑)。くるり - ハイウェイ - YouTube