1995.1.17
たぶん午前様で帰宅して、そのまま倒れこむようにして爆睡したと思う。
で、明け方不意に目が覚め、新聞を取りに1階のポストへと階段を下っている最中、おそらく3階と2階の間くらいで、何の前触れもなく被災。
トンデモナイ揺れ具合で、階段がグルグル周りながら踊っているようだった。
とても立っていることが出来なくなり、おもわず手で足を抱え込んだ、まるで「びびった亀か縮こまった」ような姿勢で踊場に倒れこんでしまった。
その姿勢で、踊場でコマの如く何度か回り転がったのである。
コントでもなく、ブレイクダンサーでもない。
現実だ。
こういうときに、こどもの頃習った「地震時の予防策」なんかは、ほんとに何の役にも立たないものだ。
まぁ、まず机とかないし、階段には。
踊場も狭く、階段と壁に体をしこたま打ちつけた。
それに第一、階段を滑りながら転落してゆくことがマジ怖くて怖くて仕方なかったのだ。
現実世界は決してジャッキーの映画ではないのである。
かなり長い時間うずくまっていたように思う。
そうしたら住民が次々に階段に出てきて、そして自分の横を素通りして駆け下りて、外へと出ていったのだ。
は??
である。
ひとこと声掛けてもよかろう!!
今から思えば、どうやらそれどころではなかったんだろうな、皆さん。
そういう周囲の様子を見たとたん、自分も何となく現実に帰り、「ごっつい地震やったな」以上は気にも留めもせず、そそくさと新聞を取ってから部屋へと引っ込んだのだ。
そのときにふと外に出て見たのだが、マンションの真ん前の電線が、相当に波打って揺れていたのをしっかりと憶えている。
で、そのまま目覚ましが鳴るまで熟睡する。
再度、起きた直後、勤め先から安否確認の電話があった。
本日は臨時休業だとか。
は??
である。
そんなに大変なことになっているのかと思い慌ててテレビをつけると、なんと全ての番組が臨時番組かなんかになっているではないか。
神戸、大阪の友達に電話をかけてみるのだが話中で全くつながらない。
奈良、滋賀、和歌山、愛知は見事につながった。
そうやって釈然とせぬまんまテレビを見ているうちに、次第に昨夜の酔いが戻ってきて、とても気分が悪くなり、電池が切れたみたく昼過ぎまで伏せてしまった。
その後、昼を境に関東方面の友達などから電話連絡がゾクゾクと殺到し、それらの対応で寝ているどころではなくなる。
一様に「無事でよかった!!」といわれるのだが、自分はこの段階でも「想像以上のすさまじいこと」が起きているという実感が、イマイチ湧いてなかったように思う。
とりあえずテレビをつけっぱなしにして一日を過ごすことにする。
ラジオも同様な番組が多かったと思う。
手持ち無沙汰である。
が、自分の身の回りの空間は、普段とあまり代わり映えないように動いていた気がするのだ。
直接的な被害が無かったからだろうか。
それに、神戸の街が火の海になっている映像を、阪神高速の高架が陥落している映像を見たのはいつなのだろうか?
非常に曖昧なのだ。
この日の夕方前ころだった気もするし、翌日以降だった気もする。
夕方、「駅売りの新聞でも買おう」なんて暢気な気分でJRの駅にふと行ってみたのだが、その時点でも電車はほぼ止まっていて、駅には人が溢れていたのだ。
凄い人が溢れていて怖いくらいだった。
当時のJR駅は改築前で、かなり古臭く小さかったのだが、そこに今まで見たこともないくらいの人間の数が犇いていたのである。
こうして、夜近くになって初めて、やっと戦慄めいたものを感じ始めた。
本当に情けない限りだが、遅すぎるのである、何もかもが。