ネットでの知名度が異常に増してしまい、退学になってしまった人がいるという。
SNSなんかも諸刃の剣だなぁ。
あの日のことは忘れない。
というのも、ちょっとしたことが、あの日にあったからである。
たまたま見ていた試合だというだけで、どちらかのチームに思い入れしていたわけでもなんでもない。
ただ、見ていたら、そういうシーンがあったというだけだ。
1996年度の夏の甲子園大会決勝、熊本工業vs松山商業。
試合は同点で9回の裏の熊本工業の攻撃を向かえる。
一打サヨナラのチャンスで、バッターが放った打球がライト深めに守っていた右翼手の正面へ。
ワンアウトなので三塁ランナーはタッチアップの準備に入る。
十分にサヨナラ優勝の犠牲フライになる打球だ。
しかし右翼手はこれを好捕して、しかもホームでランナーを刺殺してしまうのだ。
大どんでん返しというべきダブルプレー。
ランナーの足は遅くはなかったと思う。
むしろ俊足だったのでは。
これが奇跡のバックホームと比喩されるシーンだった。
試合は、その後松山商業が延長で決勝点を入れて逃げ切り、優勝する。
偶然に見ていたシーンだがものすごくリアルに記憶している。
あの日大事な人とずっと話し合いをし、そして「お互いに子供だから、少し距離を置いてみよう」という話をして、そして別れたところだった。
自分のマンションには彼女の荷物が、いくらか運び込まれていたのだが、それを運び出すのに立ち会うのはなんとなく未練がうずくようだったし、お互いに顔をあわせるのもなんとなく…だったので、先に帰って運び出してください、その間、僕は時間をつぶしてるからと言うことで話がまとまっていた。
三ヶ月近く、ほぼ一緒に暮らしていたようなものだが、それでも荷物なんてたいしたものではない。
かばん二つ分程度だ。
昼下がりまで時間をつぶしてマンションに帰ったが、な、なんと、入り口で彼女とニアミスしてしまった。
後ろ髪を引かれまくる気持ちを押し殺し続けながらも、それでも泣く泣く、十分に時間をつぶしたはずだったけど…。
お化粧も落ちるぐらい泣いていたのが良くわかる顔で、でもその背中に何の声もかけられなかった。
茫然自失で見送るだけ。
銭湯の交差点を左に曲がってJR山科駅へと消えてゆく背中を追いかけることも、引き止めることもまったくできなかった。
あの日メイストーム吹き荒れる中を、笑うくらいにごっついカバンを抱えて、初めてこのマンションに来た道を、今度は逆に背中を見せて去ってゆく。
ドラマみたいにシーンだ(笑)。
なぜか涙は出なかったけど、体を引き裂かれているようで頭ん中がすごく痛かった。
あのシーンと、その後、気持ちガランとしたような自室で、とりあえずつけたテレビから流れてきたあのバックホームのシーンが、いつもリンクして蘇ってくる、諸刃の剣みたいに。
島本理生の「ナラタージュ」は、「冬ソナ」のオマージュを非常に上手に取り込んだ作品だなと感心した。
「ナラタージュ―」とは、映画などで、主人公が回想の形で過去の出来事を物語ること。
これは、結婚を控えた泉が語る物語。
時間の流れは残酷で、その残酷な流れの中で、ふと今まで抑えてきた感情がどうしようもなく溢れ返ってくることが誰にでもあると思う。
抑えていた分その勢いは、とても激しく、膨大で、そして暴力的なこともある。
自分でうまくコントロールできないことさえもある。
時に熱く、時に冷たく…。
軽いせめぎ合いがひたすら続き、自己を消耗させてゆく。
しまいには過去の感情が今の自分の感情を序々に凌駕してしまい、感情失禁みたく自分を染め上げてしまうのだ。
しかし苦しさに心を歪めながらも、最後ははたと気がつく、これではいけないと。
やがて残酷に引き裂かれてゆく「自己」と「感情」。
とても切なくも、美しい物語だ。
理由もなく、だめだとわかりながらも、だけどこらえきれずに惹かれあう「運命の恋」。
ラストは人間の脆さが十分に描かれていた。
しかもこのラストは「物語の新たなる始まり」なのである。
さてさて、この物語の主人公は冬ソナでいうところの「ユジン」、そして先生は「ヨン様」に、小野君が「サンヒョク」のオマージュに当たると思う。
冬のソナタは、どこにその人気の秘密があるのか確かめようと思い、一応全部見た。
確かにツボを抑えていて面白かった。
「YES」,「混ざり、ゆるやかになる、ふたりの色」,「アイニイクヨ」をクレオフーガにアップロード終了。
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