宅録ミュージシャン雑記  11月某日  | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
HP https://www.music-scene.jp/triflingbeetle/


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 僕は、特に歌唱力もなく、演奏技術もないアーチストだと思っています。投手に喩えるなら決して本格派ではなく、あくまで緩急差やコーナーワークでだましだまし、のらりくらりとかわす超軟投派です。

 そういう自分の持ち味って、あえて言うならば独特な空気感とか、邪道のようなメロディ、コードワーク、そしてアレンジワークなのかなと。まあそればっかりでもどうよって感じなんですが(笑)。



 そういう自分の作品をネットにアップロードし始めたのが2006年ころだったでしょうか。音楽仲間に教えてもらったMuzieというサイトです。


http://www.muzie.ne.jp/  


 それまでは自分の作品を、不特定多数な人に聴かせるなんてことは恐れ多くて、全くと言っていいほど考えたことがありませんでした。なので僕にとってMuzieは原点中の原点です。故郷です。


 そのMuzieの公開掲示板に、自分の作品についての感想等を書き込んでくださる熱心な方が何人かおられます。

 作品に対しての純粋な批評・批判的な感想なども、もちろん勉強のために聞いてみたいのですが、しかしながら非常に嬉しく、かつ、なんか逆に居心地が悪くなるというか、そう、逆に自分の技量がとても恥ずかしくなるほどの素敵なコメントばかりであり、もうこの嬉しさをどう表現したらいいのか、自分はまったくわからない次第なのです。

 「ミンナノオススメ」という公開掲示板という性格もあり、ひとつひとつに対して、ちゃんとお返しできないことが、本当に残念でなりません。邪道中の邪道というべき、自分の「取るに足らないオンガク」を、こんなに熱心に聞いてくださる方がいるということだけで、僕は本当に胸が熱くなります。


 実はお恥ずかしい限りなのですが、僕の作品を聴いていてくれる存在というものを、ほとんど意識したことがありませんでした。誰もこの程度のものは真剣には聴いてはいないんだろうなと、自嘲的に、諦観のようなものを携帯しながら、アップロードをし続けてきたからです。

 それって、とても非礼極まりない態度だったんだと、今更ながら猛省しています。

すみませんでした、本当に。申し訳ありません。


 と、同時に、決して自己満足に陥ることなく、聴き手を常に意識して、襟を正しつつ、前進してゆかないとあかんよなぁ~と痛感しています。とても強く、感じています。 

 これからも、命がある限りは、僕の独特の作品を作り続けてゆくつもりです。

こういう変な音楽しか作ることができませんし、代わり映えはしないだろうけど、でも、聴き手さんが、そんなものから何か懐かしいものを感じたり、世界観を共有できたり、はたまた何らかの感情...喜怒哀楽を想起させてくれたり、そういう機会が一つでもあればとてもいいなぁ~と、僕は、この先も思い続けて行こうと思っています。

 

 この場をお借りして、感謝の気持ちを伝えることにしました。






from trifling beetle 2013.11.25


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「敗因と」は、ドイツワールドカップでのサッカー日本代表のルポである。


かなりショッキングなことも書かれており、やはり、報道されていた以上に、チームは揉めに揉め、そしてどうしようもなく混乱していたという事実を、これでもかと認識させられてしまう。



サッカーワールドカップ・ドイツ大会、つまりジーコ率いたサッカーチームはトンデモナイ失敗作品だったと思う。

あんなに見事にチーム作りに失敗した例は珍しい。


チームの中心にヒデを据え続けてしまったことは、責められないのかも知れないが、しかし、やはりそこを根本原因としてすべての歯車が狂っていたのだと自分は思うのだ。


自分は、ヒデは、グランド内でのリーダー的存在を張れる選手ではないと思う。

リーダーの元にいて、エゴにふるまうタイプだと思うのだ。

それでナンボだと思うし、その判断を、まずはジーコが間違えていたと思う。

まあ、間違いには気がついていた節もあり、でももうどうしようもなかったんだろうな。


戦い方として、凄く攻撃的に行くという事を協同認識としていたようだが、これではまず無理だと思う。

ボールポゼッションを上げて手綱を緩めず波状攻撃する..それは理想だ。

あくまでも「理想」でしかない。

それは火を見るよりも明らかで、次の大会で岡田が取った「超守備的」な戦法、これがやはり正解だと思う。

ボールは相手の持たせて好き放題攻撃させておき、一瞬のスキをついてカウンターを決めて、あとは守りに集中して逃げ切る。

これだ。

岡田はトリプルボランチや、ゼロトップという闘い方で見事に結果を出した。


そうなのである。攻撃的に行って結果が出るほど日本は強くもなんともないのだ、2010年も、2006年も。

だからあまり好きな選手ではないが、守備の要に指名されていた宮本の意見、「最終の守備ラインはかなり低く」は、結果論ではあるが大正解だと感じる。



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最終ラインをできうる限り上げて、それで打ち合いに持ち込み、最後には勝ち切れる地力があるんだと、ものの見事にカンチガイしていたことは、本当に恥ずかしい限りだ。

無理だ、所詮打ち合いに持ち込んでも、勝てないのが日本だ。

ヒデは当然攻撃の選手だから攻撃的に行こうと主張する。

当たり前だ。

むしろ、そういう主張が彼から出なければチーム機能としてもおかしいと思う。


ただ、それを制して超守備的に行くコンセンサスでまとめうるリーダーシップというものが、監督にはなかったのだ。

「自由に行かせる」、とても素敵な言葉だが、それは自由に行く上での根底があればこそのことだし、自主性を重んじることと放任は紙一重だ。

これの見極めがあってこそなのだ。


それは、ジーコ監督には残念ながら無く、自由と束縛との判断もまた、チームにはそぐわないものばかりだったといえまいか。

残念なことは無い。

あのチームは惨敗しか道はなかったと思う。

そしてそれをフィードバックさせるか否かが、次へのステップへとなり得る。

ドイツ大会での惨敗は必然だったのだ。


この大会が異様に心に残っているのは、大好きな中田英寿の現役最後の大会だった、というのも多分にある。


「ナカタ、ひで」は自分の「ある時期」のシンボルだから。

20で代表デビューして、フランス大会、日韓大会では地味ながらも鋭い輝きを放っていたし、イタリアでの活躍は、毎週の速報をワクワクしながら心待ちにするという楽しみを与えてくれた。

特にペルージャ時代は、思い出しただけで涙が出そうになる。

本当にいい時間を与えてくれた。

あんなにサッカーを好きになったことはなかったのだ。


いつまでも、死ぬまで、ユニフォーム姿のあのヒデを、自分は忘れない。




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