「パレード」...この曲は、最初は2011年夏にできました。
四万十市にいる頃です。
その年の3月に東日本大震災が起こり、原発事故による汚染が大問題と化している最中でした。
反原発のデモ「四万十行動」に、師であり、神でもある知り合いのプロミュージシャン・浜田裕介さんらと参加していました。
個人的にも原発には嫌悪感を否めませんし、やはりいらないに越したことはないんじゃないかという考えにはブレはありません。
そういう経緯もあってデモに参加していたのですが、あるときふとそういう自分にとてつもない疑問を抱いたことがあります。
自分がデモに参加していることの意義とか意味について、それは実は、在特会やネオナチなんかのグループが行っているものとそう大差はないのでは..と。
ベクトルの向きが異なるだけで、実は自分の憂さや鬱積したモヤモヤ感を晴らすため、あるいは人とつながる手段として、だからなのではないかと。
自分の考えにどうしようもなく疑問を感じたのです。
別に反原発でなくても、動物愛護でも、ロマ排斥でも何でもいいんじゃないか、デモに「まず参加することに意義を見出す」だけならやめたほうがいいとも思いました。
まずは自分のそういう姿勢にすごく危険な匂いを感じましたし、また真剣味が足りない自分の行動に対して、羞恥心を禁じ得ませんでした。
お祭り的な「パレード」に参加する気分で、社会的な思想哲学の元に執り行われる「デモ」に参加するという自分のいい加減さ、もしくは愚かさ。
こういうことを無意味に積み重ねていく人生はもう卒業だと思い、以後、その手のデモには一切参加していません。
自分には参加資格はないと判断したからです。
プリプロとして、長らくバックアップ用のディスクに眠っていた作品でしたが、新たに歌詞を、まったく別の視点から俯瞰して書き直し、それぞれのパートも録音しなおしたり、あるいは新たなパートを付け加えたりしながら完成させました。
「自分のためだけにデモに参加する人々を、決して頭ごなしには否定できない」と言うことがテーマです。
歌詞改訂の最重要点のモチーフは、ノンフィクション作家安田浩一さんの「ネットと愛国」にあります。