最近本を読みたい欲が高まっている。


そんで
なにかとある本のタイトルを耳にすることが
多かったから
気になって買ってみた。



これ。



高校生の時に
学校にある図書室に置いてあったと思う。


同時にこの本も
その時読んだ記憶がある。





そこから養老さんにハマった。


あとこれは
前にも書いたと思うけど
この方の本も読んだ。





外山滋比古さん、
養老孟司さん、
池田晶子さん。


この御三方に出会ったのが
高校の図書室。


で、なんでこんな
小難しい文体の本を手に取ったかというと。




高校入学当時、
人生初の挫折を味わったんよね。

第1志望のところに落ちて
滑り止めのところに通うことになって

全く望んでいなかったところで
拗ね散らかしてた。



第1志望に入れなかったのは
自分でも当然、と薄々感じていた。

だって、
勉強してなかったんだもん。


明らかに学力が足りてなくて
合格に向けての勉強量も足りてなくて
勉強に集中する環境も整ってなくて
(家で親が日常的に喧嘩してるとかね)


そりゃあ落ちて当然よね
って状態だった。



頭の片隅ではそう思うし
自分に言い聞かせるんだけど

全くワガママな私は
納得したくないし
現実を受け入れたくなくて

滑り止めの高校に登校し始めた一年間、
登校の道すがらずっと考えていた。



なんで勉強するんだろう
なんで生きてるんだろう
なんで生きなきゃ行けないんだろう
なんで死んじゃダメなんだろう



まあ、一種の中二病かな?

高校生になってから罹ってるけどね。



特に

なんで生きてるんだろう



この問い。


不思議なことに
登校中だけ考えていて
学校に着いた途端
頭から離れていた。


だから問いかけるのは
朝学校に行くまでの間。


自転車で行く時も
歩いていく時もあったけど

記憶に残ってるのは
徒歩のとき。



悶々と一人で考え続けて
ある日、学校に着いた途端に分かった。


閃いた感覚に近い。



あ!
なるほど!
そういうことか!



って。

駐輪場に自転車を置いた瞬間に気付いて
小躍りしたくなるほど頭が軽くなった。


なんせ
一年間かけて問い続けた問題だからね。


答えのない問いを
自分に問いかけるということは
それまでの人生で無くて

この時初めて
答えのない問いに
答えが出るまで向き合い続ける、ということを
したんだった。





そうそう、それで
悩んで苦しんでいた時。


ふらっと図書室に寄って
なんとなしに本棚の背表紙をぶらーっと見ていたら

目に飛び込んできたのが
養老さんの解剖学教室へようこそ





まさかこの本を読んだ後すぐに
授業で養老さんの文章を取り扱うことになるとは
微塵も予想してなかったけど。




今、買ってきたこの本を
パラパラと捲って不思議に思う。


なんで高校生の私は
こんな小難しい内容と文体の本を手に取り
最後までおもしろく読んだんだろう?


って。


その問いに対する答えを
思い出したのがこれ。



当時は
なんで生きてるんだろう
という答えのない問いに
自分一人で向き合っていたから

少しでもそのヒントが欲しくて
無意識に抽象的な内容の本を求めたのでは
なかろうか。



このことを思い出したのも
宿で豪華な朝ごはんを食べていたとき。


今まさに
外山滋比古さんの本と
森博嗣さんの本を読んでるんだけど




セレンディピティに近いものがあるなぁと
思って書きたくなった。


考えて考えて考え続けた挙句、
何も関係ないことをしている時に
ふっとその答えが出てくる。


まさにそれよ。


そして
当時の私、
なんで
「なんで生きてるんだろう」の答えを
メモしておかなかった…!


今の私が気になるわ、そんなん。