いつも、とってもオシャレな言葉、深い言葉が散りばめられている
カシスさんの昨日のブログを、リブログさせていただきます。
この中に、日頃、運命論者の私にとって、
「ガーン」と一発殴られたような言葉がありました。
「誰だって背中に羽根がないだけで、心に翼が生えていることを忘れている。」
なるほど、いちいちごもっとも、そして、確かに私も忘れていたが、
「ガーン!」は、その次です。
「運命なんて どけ、 そこ、通るから」
この一言、
私にとっては、まさに、天からの声、神からの声、鬼からの声、に聞こえました。
この強さ、自由さ、強烈パンチでした。
私は今まで、人生のすべては、自分では知ることは出来ないが、
実はそれぞれが持って生まれた宿命の中を、必然の中を、
生きているとしか思えない、いわば運命論者なのです。
それに対して、
「運命なんて どけ、 そこ、通るから」
と言うのだから、天地がひっくり返りました。
「背中には羽根はないけれど、心には翼が生えている。誰だって自由に、自分らしく翔べる」と。
誰も私達の心までは、縛ることはできないのですね。
心は自由だと、カシスさんは言う。
そう言われてみれば、私は自分で自分の心まで、がんじがらめに縛っていたようにも思う。
たしかに心は自由だね。心は自由に翔んでいいのだね。
そして、
「どけ!」という命令調が、また素晴らしい。
「そこ、通るから」 と、「運命」をスズメの子くらいに、邪魔者扱いしているところも素晴らしい。
私の人生でも、一二を争う言葉として、心に響きました。
では、私は運命論者返上か?と問われれば、いや、それは変わらないのです。
この歳になっての、この言葉との出会い、そのことさえも私にとって必然の一つなんだと思う、
ガチガチの運命論者なのでございます。
でも、この言葉との出会い、嬉しい必然でありました。
カシスさん、ありがとう。