いつも素敵な音楽をアップしてくださる、よはなさんが、

今日は懐かしい Andy Williams が歌う 

酒と薔薇の日々、The days of wine and roses を

取り上げてくれていました。

Andy Williams の、何とも言えない甘い歌声、そして美しい英語の語感に

若き日の私は大いに魅了されたものでした。

 

でも、今日、この歌を聴きながら私の人生を振り返ってみると、

なんと、まさに、この2大悦楽の「酒」と「薔薇」こそが、

私の人生に欠けていたものじゃなかったか!と気が付いたのです。

つまり、私の人生は、"The days of (without) wine and roses"

ではなかったか!

お~、なんたるちあ、サンタルチア!(笑)

 

いや、もちろんわかっていますよ、

この歌詞の「酒」も「薔薇」も、きっと比喩的に使われていて、

「酒」は多分、陶酔するような、心地よい幸せな日々、

「薔薇」は多分、薔薇のように華やかで魅力的な彼女、

のことを言っているのだろうと思います。(^^;)

 

でも、文字通りに我が人生を振り返ると、

下戸で、酒は一滴も呑めなかった人生、

そして、情熱的な紅い薔薇を誰かにあげたことも、もらったこともない人生

でした。

 

では、あんたの人生は、The days of 何なのさ?

はい、私の人生は、”The days of Soda and Ann-mono"

でした。(^^;)

これじゃ、歌にもなりませんね。

 

やはり、Andy の歌に陶酔して、夢の世界に酔うことに致します。

よはなさん、ありがとう。(^▽^)

 

こんにちは。

ケイケイさんちの、リリーでございます。

 

 

さてさて、今日は5週ぶりのトリミングに行って来て、

さっぱりしました。

すると、ケイケイさんが、

「お~~、きれいになった。ちょっと写真を撮ろう」と言いまして、

パチリパチリ。

またブログにアップして自慢しようとしているようですが、

私ももう8歳半、人間様で言えば、もう中年の熟女ですよ。

どうです?

そう言われると、なるほどそう見える!ってなもんでしょ。(^^;)

 

でもね、幸せなことに、ケイケイさんはいつも、

(私は犬だって言うのに!)猫っ可愛がりに可愛がってくれて、

私はとても幸せな日々を過ごしておりますし、感謝しております。

そして、この幸せがずっと続きますよう、

ケイケイさんにも元気でいて欲しいと願っております。

 

ブログに上げるから、何か一言ご挨拶を、と言われたので、

一言、近況報告を兼ねて、ご挨拶申し上げました。

今後共、ケイケイさん共々、よろしくお願いします。(^▽^)

 

今日、また中央線国立駅に行く機会がありました。

3月22日のブログに書いた時は、

「今年もツバメが帰ってきました」という張り紙だけで、ツバメの姿は見なかったのですが、今日は賑やかな鳴き声が聞こえ「お、いるな!」とワクワクでした。

 

見上げると、監視カメラの上に一羽、その後方の巣の中に確かに雛がいるようでした。

折角、写真を撮ったのですが、何しろ迷カメラマンでして、全然、伝わりませんね。(^^;)

でも、いるのです。(^▽^)/

 

 

さらに、今日は後方からも鳴き声が聞こえるので、振り向くと、

なんとスピーカーの上にも、巣と、そしてツバメの親子らしき姿が!

でも、これも迷カメラマンのせいで、全く伝わりませんね。(^^;)

でも、いたのです。(こればっかり、、)(^^;)

 

 

そして、ここにも、巣の下には、フンを受ける棚が作ってあって、

下を歩くお客さんへの配慮がしてあります。

今年も、また国立駅の駅員さんたちに見守られて、子育てをしています。

遠からず巣立ちするのでしょう。

駅員さんたちの優しい心が、本当にうれしいです。(^▽^)

 

それに、いつも書いていますが、

ツバメは東南アジアまで何千キロも飛んで、

また同じ場所に、迷わずに帰って来るのですね。

奇跡的な能力だと、いつも感心します。

なんたって、先日、渋谷駅で、東横線に乗り換えるのに

道に迷った爺ですので、、(^^;)

 

昨日のことです。

 

小雨がパラパラと降ってきたので、私は折りたたみ傘を広げて、

バス停に向かって歩きました。

バス停に着くと、30代くらいの妙齢の女性の先客が一人、

立っていました。

今日は、曇りから晴れの予報だったせいか、その女性は傘を持っておらず、

小雨の中、頭の上にハンカチを乗せて、手のスマホを覗き込んでいました。

 

私はその女性の次に並んだものの、少しだけ間をあけて立っていました。

心の中では、よかったら一緒に、と、私の小さな傘を差しかけようか、でも、

気難しい人で、「いや、結構です」と言われるのも嫌だし、妙な誤解されても嫌だし、と、逡巡していたのです。

 

そうこうしているうちに、2~3人の人が私の次に並び始めたので、

私は列を詰める感じで、その女性に少し近寄って、さりげなく傘を半分ほど、

差しかけました。

差しかけたと言っても、小さい折りたたみ傘ですから、やっと女性の右肩と

私の左肩だけ雨に濡れないで済むくらいのことでした。

 

すると、その女性もさすがに気が付いたらしく、ちょっと驚いた顔をして、

「あら、もしかして、、すみません!」と、頭のハンカチを取りながら、

笑顔で言ってくれたのです。

私が「いえ、雨が降る予報じゃなかったですからね~。」と言うと、

「そうなんです。あ~、私、洗濯物全開で干してきてしまったのですよ!」と

一層明るく言ったのです。

なんだ、私が余計な気を回し過ぎただけで、

屈託のない人だったのだ、よかった~、とホッとしたものでした。

 

バスが来て、乗り込むときも、

「ありがとうございました!」と言ってくれたので、

「いやいや、傘が小さくてあまり役に立てませんでしたね」と言うと、

さらに恐縮した様子をしながらも笑顔を見せてくれました。

 

 

これが、もっと強い雨だったら、私も躊躇なく傘を差しかけるのですが、

小雨だったし、妙齢の女性だったし、余計なお世話かなと、ちょっと迷ってしまったという純情爺さんの話でした。(^^;)

本当に、いい歳をして、どこまで純情爺さんなんでしょうね~、

そう思いませんか?

 

昨日の「一日一純情」でした、とさ。(笑)

 

よく「年令なんか背番号みたいなもので、関係ない。人生、常に青春だ!と思って生きればいいのさ。」と言う人がいます。

確かに一理ある。生き方としては、そういう気持ちで生きるのが正解だろう。

でも、振り返ると、私はいつも年齢を意識し、感慨を覚え、年齢相応に成長し、それなりの人生観に到達すべきものだと考えてきた。

そこですぐに頭に浮かぶのが孔子の言葉です。

子曰く、吾十有五にして学に志す

三十にして立つ

四十にして惑わず

五十にして天命を知る

六十にして耳順う

七十にして心の欲するところに従えども矩を越えず

 

でもな〜、私の場合はずいぶん違うのさ。(^_^;)

 

吾十有五にして、自我に目覚め

三十にして親となって驚き

四十にしてまだまだ大いに惑い

五十にして全ては運命と知る

六十にして耳遠くなり

七十にして、心の欲するままに徘徊して道に迷う

(ざ、ぶ、と、、)

 

孔子の言葉は、なんと七十で終わりです。

では、七十五は何とする!

吾七十五にしてもはや如何ともし難し、ただ八十を目ざすのみ

そして、ようやく、歳など忘れよう、日々是れ新たなりで、生きていこう、の心境になれるのだろう、と思った。

 

おあとがよろしいようで、、😥