テニスの試合での話です。

私はテニスの4大大会は、欠かさずテレビで見ているテニスファンです。

今、まさしく全米オープンの真っ最中で、テレビ観戦していますが、

一つ、コロナ禍以来、変わって良かったと思うマナーがあります。

 

それは、試合中、ポイントの間、サーブをする前などに、汗を拭くため、

コート隅に置いてある自分のタオルを自分で取りに行くようになったことです。

自分でタオルの場所まで行って、顔や手を拭いて、またその場に置いて、

サーブの位置に戻るのです。ほんの数メートルのことです。

 

当然のことのように思うでしょうが、コロナ禍の前まではそうではなかった。

タオルを使いたいときは、ボールボーイの方をちらと見て、ちょっと頬を拭くような仕草をするのです。「タオル!」とジェスチャーで示すと、ボールボーイは素早く

タオルを持ってくる。そして顔や手を拭いて用が済むと、傍で待っているボールボーイの顔も見ないで、「よし、持って行け!」とばかりに、後ろ向きにタオルを投げ返す。そしてサーブやレシーブの位置に構えるのです。

 

それが、コロナ禍になって、他人が使ったタオルに触れないように、ということで、

自分のタオルは自分で取りに行って使う、ボールボーイに触れさせない、ということになったのだ(と思います)。

 

昨日、数年前の錦織の試合をテレビで放送していて、その「タオル!」とアゴで命じて、そしてタオルを後ろに投げ返すシーンがあって、ありありと思い出したのです。

いや、錦織はとても好きな選手ですし、彼が特に傲慢だと言っているわけでもなく、コロナ以前は、どの選手も同じようにボールボーイにタオルを持ってこさせていて、それが当たり前のことでした。

ただ、私は、いくらそれが普通の習慣だったとしても、当時から、ボールボーイを下僕のようにアゴで使っている感じがしていて、あまりいい気持はしていなかった。

 

というわけで、コロナ禍以後は、選手が自分でタオルを使いに行くようになって、何かスッキリした気持ちになったという話です。

まあ、こんな細かいことを感じているのは、この広い世界中でも、どこまでも心優しき(笑)ケイケイ爺さんくらいのものでしょう。(^^;)

 

以上、なんのこっちゃ、てな話でした。

 

またまた以前のブログの再掲です。

例によって、アメブロから「4年前の9月に書いたブログがあります」のお知らせがあったので、振り返ってみたのです。

すると、自分が書いたものでありながら、読んで面白い記事と、聴いて楽しい歌をアップしていました。(自分で言うか!)

実は最近、忘れ物や探し物が多くなっておりまして、この記事のことも、すっかり忘れていたのですが、面白かったので今一度、再掲した次第です。(^^;)

でも、既に、この記事に多くのブロ友から「いいね」や、楽しいコメントをいただいていました。懐かしく嬉しいことでした、(^▽^)

よろしければ、歌だけでも聴いていただければ、、これも懐かしく楽しい歌です。

 

 

とても不愉快なニュースを読んでしまいました。

長文の記事なので、概略だけ書いてみます。

 

 

・奄美大島で、毒蛇のハブやネズミの駆除目的で1979年にマングース約30匹が導入された。

・しかし、ハブは夜行性、マングースは昼に行動するので、接点が無くハブ退治に効果が無かった。

・それどころか、マングースは、希少な在来の動物などを捕食して、分布を広げ、生息数が2000年には約1万匹まで増えた。

・国の特別天然記念物のアマミノクロウサギなど一部の絶滅危惧種はさらに減って、マングース導入前の2割まで減った。

・そこで、今度はマングースの根絶に乗り出し、これまでに約3万2600匹を捕獲した。そして、奄美大島での侵略的外来種のフィリマングースの「根絶」を宣言する見通しとなった。

・島内では農作物被害が減り、在来種の生息数も徐々に回復した。

・国立環境研究所の主任研究員は「(根絶は)世界に誇れる成功事例。在来種が回復し、生物多様性保全の面でも大きな成果だ。」と言っている。

・根絶に至るまでには多くの代償も払った。環境省の事業対策費24年間で36億円に上る。

・環境省外来生物対策室の室長は、「そもそも人がマングースを持ち込まなければ対策は不要だった。犠牲になる在来種や捕殺されるマングースもいなくて済んだことを忘れてはいけない」と話す。

 

 

以上、何ともはや、漫画のような話ではありませんか。

ハブ対策にマングースを導入したが、うまくいかず、逆にマングースが増えて、

困ったら、今度は「侵略的外来種」のマングースの根絶に乗り出し、無事、「根絶宣言」出来るところまで来た、しかも、「根絶は世界に誇れる成功事例」だと誇っているのです。私はのけぞりましたよ。

唯一、最後の室長の言葉「そもそも人がマングースを持ち込まなければ、犠牲になる在来種や捕殺されるマングースもいなくて済んだことを忘れてはいけない」だけが、

唯一まともな言葉に思えますが、それとて、最後は「忘れてはいけない」ではなく、

「反省しなければならない」と言うべきでしょう。

 

そして、この記事の中に、ワナにかかったマングースの写真がありますが、

なんとも憐れで、人間の身勝手さ、罪深さばかりを感じるのです。(^^;)

 

 

奄美大島でマングース「根絶」 環境省が宣言へ ハブ対策で導入失敗 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

 

 

・「車通り」

昔から「人通りが多い」とは言うけど、

「車通りが多い」とは、最近聞くようになった。

「車の往来が多い」とか、単に「車が多い」と言っていた気がするが、、。

 

・「救助したが、死亡が確認された」

最近のニュースで、「5人全員が救助されたが、そのうち3人の死亡が確認された」

「5人全員救助された」と聞いて、全員助かったのかと思ったが、

一応、「発見し、収容した」という意味だったらしい。

この場合でも、まずは、「救助した」と言うのか?

 

・「同一犯の犯行の可能性も視野に、、」

「数日の間に、限られた地域で、数件の放火事件があった。警察は、同一犯の可能性も視野に捜査している。」

こんなもの、まず同一犯とみるのが常識で、「同一犯の可能性が高い」と言うべきところだろう。それを「可能性も視野に、」とは、どこまで慎重過ぎる言い回しか。

 

・「自首してきた男が、取り調べに対し、容疑を認めているということです」

あのね、自首してきたのでしょ!「容疑を認めている」って当然でしょう!

自ら「自分がやりました」と出頭することを「自首」と言うのではないのかね。

 

・「~すればいいかな、というふうに思います」

はい、最後は私のいつもの愚痴です。

日本人の話し言葉の語尾が、ほとんど「~な」「~かな」になってしまった。

「~すればいいなと・・・」「~すればいいかなと、、」

「~すれば、うれしいかなと、、」「残念かなと、、」

「注意していただきたいかな、と、、」「警戒していただきたいな、と、、」

もういい加減に止めてくれたらうれしいかな、というふうに思います。(^^;)

 

以上、日々、私が気になる日本語のいくつかを書きました。

こんなこと書いても、どうなるわけでもないのですが、

時々、発散してストレス解消であります。

失礼しました。(^^;)

一昨日、和歌山県の水族館の人口産卵場で、

「アカウミガメの赤ちゃんが続々と誕生している」というニュースがありました。

そして、生まれたばかりのアカウミガメの赤ちゃんたちが、早くも水槽の中を元気に泳ぎ回っている様子が映し出されていました。

 

そのウミガメの姿を見て、何とも不思議な感慨を覚えました。

「ウミガメは成体では体長1.3メートル、体重100キロ」にもなるそうですが、

「赤ちゃんは体長6.5センチ、体重20グラムほど」だそうです。

不思議と言うのは、その赤ちゃんウミガメ、小さいだけで、姿はもうすっかり

ウミガメです。背中の甲羅、大きな前足のヒレ、長く伸びた首。小さいだけで

その姿はもう間違いなく見事なウミガメの姿で、その大きなヒレで、早くも

スイスイと泳いでいるのです。

 

この「ウミガメ」は、他の何物でもない「ウミガメ」として生まれ、そして、

ウミガメの本能に従って、ウミガメとしてこれからの一生を生きていくのだね。

そのことが何かとてもいじらしく感じたという、不思議な感慨でした。

 

しかし、思えば、犬だって猫だって、牛だって豚だって、もちろん人間だって、

本人の意思でも望みでもなく、その「種」の命の連続として、この世に産み落とされ、生きよう生きようとする生命活動をしながら、生きているに過ぎないのだね。

 

たまたま人間として産み落とされた私達は、人間の姿をして、人間としての本能のままに生きていく。どんな偉人だって、どんな独裁者だって、生まれ落ちてからは、母に抱かれ、母の乳首に吸い付いて、育ってきたのさ。

たまたまウミガメとして産み落とされたウミガメは、早くもウミガメの姿をして、

ウミガメの本能に従って生きていく。

たまたま鳥として生まれた鳥たちは、親が運んできた餌を口移しでもらって、

成長して、大空を飛び、鳥としての本能に従って生きていく。

 

全ての生き物は、自らの選択ではなく、与えられた種の、与えられた命を全うするしかなく、全うしているのだね。

人は人として、犬は犬として、猫は猫として、カメはカメとして、

カモメはカモメとして、、。