まぁ ロシアで異常気象で小麦輸出規制で輸入小麦値上がり?な話

今回はまぁそういう話

サプライサイド経済学の観点から見れば 輸出規制とは忌むべき政策とされます

何故なら、何故農家は外国へ輸出するのか?
→交易条件がいい(早い話ゼニになるから)

→輸出規制をすればどうなるか
→農家は有望な顧客を失い、所得や利潤を低下させる
→農家の「やる気」インセンティブを喪失させ 農業生産が低下する

とされています。

ま 逆に量的拡大(生産量の増加)によって質的低下(利潤の低下)をカバーするかもしれませんが・・・・

つまり今回のケースはモラトリアム的ではありますが、モノ不足対策は、「利潤の増大」 例えば生産に対する補助金や貧困層へのフードクーポン等で海外より高価格での購入出来るようにしたそうがよさそうです。

が 現実は「輸出規制」 飢えを知る人々にとり 「食料を輸出する」という事が必ずしも支持できない政策であると言えます。

こーいう問題は江戸時代にもありまして 東北地方なんかしょっちゅう飢饉があるわけですが、比較的食料にゆとりがある西国諸藩は食料輸出制限をした訳です(コレを津留めといいます)
飢饉が起きれば食料価格が上がり 食料にゆとりがあれば一大ビジネスチャンスでもあります
が 飢饉を知る江戸時代の人には東北地方の惨状を聞くにつれ「今年は大丈夫でも来年は・・・・」「今のうちにストックを増やさなければ」となってしまいます。

この辺は石油の戦略備蓄にも言えますね

つまり 人は必ずしも経済的な合理的意志決定が出来ないという話

似たような話に「金融機関の不良債権処理」があります
かつて 巨大組織大蔵省では不良債権処理への無税償却の是非論がありました
無税償却、というのは不良債権処理によるマイナスを損金算入を認めるか?という話です。
一般に法人税額は 益金(収益)-損金(費用)=課税所得(利益) の40%(実効税率)と言われています。
で 不良債権処理の費用を損金にすれば 当然 課税所得(利益)は減りまして 「税金が安くなる」メリットがあります
つまり 不良債権処理費用を損金算入を認めれば 銀行側は税金が安くなるんで 積極的に行うだろう という計算があります。

大蔵省には2つの顔があります(もっとあるかも)
財政と金融(の監督)です
財政的見地では不良債権の無税償却は認めがたいです、何故なら銀行からの税収が減少するから
一方 金融監督という見地では無税償却は肯定的です、不良債権処理は金融機関と金融システムの健全化に繋がるからです。

そもそも 何故不良債権が問題か?
貸倒引当金を積むため利益が圧迫される事があります
そして もっと大きいのは BIS規制 その他で「銀行は一定以上の資産を持てない(持つ能力がない)」事です。
つまり 不良債権が多い→その分他分野へ投資できない、また資産圧縮の為貸し渋り 貸し剥がし をする→まともな企業へ資金が回らない→経済の疲弊
という事があるからです。

さて ここで財政と金融による(傍目では愚にもつかない)論争が始まる訳です
で 財政側の主張は「税金の公平性」つまり「バブルで鉄火場に注ぎ込んだクズどもに甘い顔をゆるすな」という話(真面目に税金を払っている企業の不利益では?との事)

確かに感情的にはそうだろう、税制的にも納得がいく(もし不良債権の損金算入を認めれば、利益操作が簡単になってしまう)
が、不良債権処理抜きに日本経済は回復できたのだろうか?
また税法とはもともと政策的側面(例えば環境への投資で税金減免)があるのではないだろうか?
そして議論は続き具体的な政策を打ち出せず 日本経済は疲弊の度合いを強めていく。

結局 無税償却は認められたが これにより国が受け取れなかった法人税 38兆7131億円、余りにも高い授業料であった
そして考える、仮にインフレが起き国債の価値が目減りする事態になれば 国民は再び銀行への支援を許すのか?と
計算上 インフレ1%で銀行の負担は38・5兆円とされる(勿論インフレ下での株価や不動産上昇でカバーはされる)

なるほど、先程の不良債権問題で「財政側」の人物であった野口悠紀雄ですら、「無税償却抜きでは不良債権問題が解決せず、国民は多大な負担を強いられていたかもしれない」と認めています。

が 国債にリスクがある事は国債に投資した事のある人間ならみな知っている事ではないだろうか?
なぜ 銀行ばかり助けなければならない?長期債をもつ一般企業や国民はどうなる?我が家のトラノコは?
となります

「損失補填?」株式同様 債券も平等であるはずでは?

寝言は墓の中で言え!

と 成り兼ねないという話
既にコチラのサイトには「おバガな銀行がインフレで資産毀損するのは自業自得」との論調が見られますhttp://www29.atwiki.jp/j-economy/pages/56.html
一部の人が言うような「国家が銀行へ国債購入強要」しているならなんと楽なんだろうか? 何故なら責任転嫁出来るから
自分の意志での行動、大人は余り触れたがらないが それは「責任を受け止める」という話
つまり「デフレでなく国民・企業の代わり銀行が泣け」となります

何がいいたいか 何にもわかっちゃいないこと(無知の知)
世の中不思議なもので
1)100万円を年利3%で10年投資する
2)100万円を年利3%で1年おきに借換える これを10年する
のでは 受取金利が違うんですよ

何故なら 1)は 100(万円)×0・03×10=30(万円) ですが 2)は 100(万円)×(1+0・03)^10-100(万円)≒3・44(万円)になります
ハイ 単利と複利の違いです。

また、1)に比べ2)はリスク管理面で優れています 何故なら 1年以内にトラブルが発生するリスクは10年以内のそれより明確で低いからです。
1)の場合 10年先まで覚悟が必要ですが 2)の場合は1年先までです。
1年たって 次の1年が怪しければ投資案件を変える事が出来ます

つまり1)の立場の人間は その分リスクを背負う以上、金利の上乗せ(リスクプレミアム)を要求できます

ハイ、何故 長期金利>短期金利 かといえば
・短期金利の複利分を長期金利に加算できる
・長期運用のリスク分 長期金利に上乗せできる
からです。

これを使っているのが住宅ローン、つまり 預金者から短期の借換で資金を得て 長期の貸出で利鞘を稼いでいます。
これを ミツゴなりに式に表しますと
長期金利=(1+短期金利)^年数+リスクプレミアム+特殊要因

特殊要因 とは、例えば 70年代アメリカのように インフレに伴う短期金利が異様に高く 将来的にインフレ低減による長期金利の割安な環境 等を考えています。

さて ここからが本題
Q何故 国債が積みますとまずいのか?
A 手持ちの収入払えなくなるから

Q国債を減らす、税収を増やす(どちらも非常に困難)以外に何か手はないか?
A国債の償還期間を延ばして 毎年の返済額を減らす

という話
と 返済期間を 10年 30年 60年 と伸ばす訳ですが 究極系が「返済期限が無期な」国債 つまり「返済しない」国債です(正確にはある時払い国債)

ハイ イギリスのコンソル債です。
何しろ 最初の発行は18世紀中頃 アノ ネイサン・ロスチャイルドがナポレオン戦争で買った とかの時代のモノで 返済はサッチャーかブレアの時代(ざっと250年!)
経済学で流動性選好の説明で使います。

で何が問題かと言えば 先程のミツゴ式
長期金利=(1+短期金利)^年数+リスクプレミアム+特殊要因
で コンソル債は「年数は無限」です
これを長期金利計算に使えば・・・・・やっぱり無限になります。

まぁ実務では有り得ないと。

が ソレでは芸がないので1つ
例えば 銀行も株式に投資し配当を受け取りますが、株式も「償還」はされません、売却はされますケド
そーいう事、つまり コンソル債は株式のような性格を持つ(法的には株式のソレの援用)となります
特に 議決権制限株式(配当を高めにする代わり、株主総会の議決権を有しない株)の性格でしょうか?

コレですといくら増発しても国の負債は「実質的」には増えません 何故なら負債とは「将来的に支払う金額」の事ですからね

しかし、1つ問題が
国債の魅力って「償還まで持っていれば元本+表面利回りは保証」という事
コンソル債は償還がない以上、元本保証もない訳ですから、価値は債権市場に委ねられる訳です
また 株式と違い国家は営利団体ではなく 安定成長による価値増大も考えにくい訳ですね(株式は会社が成長したり利益を増やせば株価は上がるが、国家は利益を出さない、自律的な成長は考えにくいから、何故なら自律的な成長→民需圧迫になる、国の経済成長を越える政府の成長には制約がある)
つまり 元本保証や成長期待がない分、リスキーになるため 利払い通常国債より割高に設定せざる得ない となります
三つ子のキャットシットワンのブログ-100821_2240~01.JPG

BGMは月の繭(ガンダムの曲)を推奨

藤子・F・不二雄の傑作の1つ「老年期の終わり」です
ヨウツベなんかにまとめがありますんで 興味のある方は是非

内容は 宇宙に広がった人類が衰退し、やる気を失い、再び地球へ帰り出した時代
遥か過去、人類が宇宙進出に燃えていた時代に異星人とファーストコンタクトを求めて宇宙に旅立った青年がたどり着く
6000年の月日をかけ、全てを棄てて旅立った青年がたどり着いた 衰退した人類の世界
皆が地球へ帰ろうとするなか、青年と現地で知り合った少女はこの時代の人類が失った「好奇心」や「探求心」をもって 再び宇宙に旅立つ
そして 少女の祖父は生まれ育った故郷へ一人留まる

この画は2隻の宇宙船は「地球に帰る船」「新たに旅立つ船」 老人は「1人故郷に留まる」
「過去」「未来」「現在」を1枚にまとめた、F氏の構成能力の高さを表す形になります。

さて 我々は何処から来て 何処へ向かうでしょう? クォヴァティス、というヤツです。

日本人の起源には色々ありそうですが、おそらく最初は「住みやすい」土地、例えば農耕をしだした時は 水と土壌に恵まれた平地に住んでいたと思います
それから人口が増え、技術が発達しだすと 森林を切り開き 堤防を作り 人が住めない地域にも進出しだしたのでしょう
例えば平安時代の源平合戦も開発が進んだ関東に基盤をおく源氏や東北地方の奥州藤原氏が台頭します
江戸時代になると平和な時代で資本に余裕が生まれ 新田開発という形で再開発がブームになります
明治になれば北海道の開発が始まり、やがて大陸に進出します。
終戦後は人口は都市へ集中し、現在3大都市圏で日本の人口の過半数を占めます。

これからどーなるんでしょうか?

人口が減ると人々は 「住みやすい土地」へ帰ってくると思います
住みやすい土地=人が大勢住んでいる=都市部 となるでしょう だいたい都会って天候や資源へのアクセスに恵まれていますよね?

では 祖先が切り開いた「住みにくい」土地はどーなるのでしょうか?
その1例が限界集落でしょうね

祖先が数百年かけて切り開いた土地が森に帰り 我々は揺籃の地にかえるのか となんだか感傷的になります

今だから言うよ
このblogのアドレスのtride 実はtriade(イタリア語で3)の間違いなんだ

何故3かというと パキ ラツ ボタ の3匹のうさぎという意味と dolce triade(LAST EXILEというアニメの音楽担当のグループ)から取ったんだよ

ノリで決めるんじゃなかったね

ま 愛嬌という事で頼まぁ

ちなみに「頼まぁ」は深夜食堂 「頼まさ」は傭兵ピエール(のトマ)から取ったモノ

知り合い、いわく 「複数の方言が混ざって三つ子語」になっているとの事

なんか尺的にアレだな

キングダムの話でもしよう
蒙恬可哀相 最後 罠に嵌められ自害させられんだぜ
あと 昌平君 楚の力借りて反抗する、つーか 昌平君 楚王族(公子)の1人だから 滅亡寸前のトコロ 担がれた (担いだのは項羽のパパか親戚)訳ですが

春申君といい楚人はイケメン設定なのかな

あと 李信、アイツ読み書き出来んの?
李信のいい所は 「自分が万能ではない」って知っている点(だからキョウカイとかに色々頼む)だけど 千人将で文盲は流石にまずいんでねーの?
確か 初期に文盲チックな描写あったな(魏遠征のお触れ、貂に読んでもらってた)

まぁ実在の英雄にも文盲はいるけどさ(ティムールとか)

あと李信にって性欲あんの?
いや 「デカイ屋敷すんで名家のヨメ侍らせて」みたいな事言ってたが アレ アクセサリーって意味でしょうし

政暗殺の時 宮女に「カカカお楽しみの所残念だったな」みたいな発言ありましたね
オレ こーいうの大好き

知り合いが「キングダムPSPでゲーム化するよ」っていったら「顔濃すぎて処理落ちする」なんて言われた ヒデー

あと 壁 千人将のままだと李信と同格ってまずくないか?(この人後に将軍になって反乱起こす)

そろそろロウアイも必要だろうし

そーいや 始皇帝 呂不イ親子説ってどーなんだろ?
最後「立派になったな我的大王」とか言ったり

書評 というかデムパ
たたき台は 浅野裕一の「古代中国の文明観」

この人 アンチ孔子として有名らしいんです
何しろ孔子の事を「ド田舎のドサンピン出身で宮廷中枢の事なんざ知っている訳無いのに“俺は宮廷の事知っているから、俺に教われば宮廷へ就職出来るぞ”といってデタラメ教えて授業料掠め取った」見たいな事書いてありますから

さて本題、何故「経済」かと言えば経済って「有限な資源の獲得、分配、消費のプロセス」という側面があるから
環境と資源にたいするアプローチを見てみよう、という考えです

簡単に
儒家
元々 「天」は人間が必要な富(資源)を配布している
→天は人間間の身分秩序を肯定している
→また 身分秩序の明確化は資源の使い方に現れる(王侯は贅沢、奴隷はカツカツ)

→故に王侯が贅沢するのは天が認める所にあり、それだけの資源は世界にある


・墨家
資源には限りがある
→誰かが浪費をすれば誰かが割をくう
→よって資源のムダ使いは辞めるべきである


・荘子
自然とはあるべき姿があり 文明(経済活動)は自然の秩序を破壊するモノである
→よって 文明(自然にたいする経済的アプローチ)は控えるべきである


これを見て思うのは 皆 「あるべき姿」と「それに対するアプローチ」という点でしょう

儒家は「特権階級が贅沢するだけの資源があり、社会秩序構築の為贅沢をすべき」と考え、墨家は「資源が有限である以上、ムダ使いは控えるべき」と考え 荘子は「そもそも資源へのアプローチは自然を歪める」と考える訳ですな

儒家の思想の背景には「天は偉大であり、その本質は我々に理解できない、人間が正しく行えば天も恵みをくれる」(荀子「天論篇」)という思想があります。
ここでね「正しい行い」とは「王は王らしく、奴隷は奴隷らしく」という秩序の事ですね
この考えは 神権政治とも通じまして、神官である王が天にアプローチをして 天(天候)と天とリンクする地を治め 農業生産を増やす、というヤツです
殷王朝最後の王、紂は儀式を疎かにし(負担を減らした、とも)故に滅んだ という解釈でしょうか?