14日、熊本地震からちょうど1年が経ちました。

まだ1年。2万世帯以上が崩壊し、熊本城も復興まで20年。

そして道路の寸断はいまもそのまま。おちてしまった阿蘇大橋もそのまま。最後の最後までただ一人行方不明だった熊本学園大学の学生さんも震災から3か月くらい後にやっと両親のもとに無言の帰宅をしました。

 

阿蘇の立野という地区は、阿蘇大橋の崩落により今もライフラインが戻らない状態なんです。昼間は自宅に戻ることもできるものの住むことはできません。

仮設に入っている人たちもすでに孤独死者が出ているし、決まった一か所に建てられてるので、これまでのコミュニティを離れてる方々が多く学校に通うのもものすごく遠くなっていたり、職場も遠くなったり、何より遊ぶ場所もない・・・仮設でお店を開いている方々も、元あった場所で商売を再開することができない人が多くなっています。

 

農村部の被害はあまり報道されないけど深刻です。畑や田んぼの中に現れた断層の大きなズレが、畑仕事を困難にしています。

出荷できない、作業できない・・・そして震災後の大雨、阿蘇山の大噴火による火山灰の被害・・私の親戚もみな農作物をすべてやられてしまいました。昨年11月に母の葬儀に来てくれた親戚たちはその被害の大きさを話しつつも笑っていました。下向いても泣いても何も変わらないから笑おうっていう姿勢。

 

解体された家屋のがれきの山。そして震度7を2度経験するという前代未聞の出来事が子供たちの心をむしばんでいる問題も。

何もまだ解決できないまま人々は前を向いていこうとしています。

 

東北の被災者の方が「忘れられるのが一番つらい」とおっしゃっていた気持ちが今私には痛いほどわかります。

たった1年で、かなり忘れ去られている現状を見るにつけ、悲しさと虚しさを感じます。大切な故郷を守りたい・・その気持ちでいっぱいです。

これからもずっと自分にできる支援を続けたいと思います。

 

被災者に思いを馳せ、亡くなった方々のご冥福を祈りながら熊本の復活を心から願っています。