真実(ほんとうのこと)を潔く語ろう | 融通無碍(ゆうずうむげ)

融通無碍(ゆうずうむげ)

自由に無邪気にのびのびと。
死ぬまで学び続けたい。
モットーは「良い悪いではなく好きか嫌いかで選ぶ」
そんな人生ありのままを綴ります。

今は昔、生きづらさを感じていたワタシの駆け込み寺は“瞑想”だった。お風呂場での瞑想。湯船に浸かっての瞑想。


最大限丁寧に柔らかくまぶたを閉じる。ふーっ、一息吐く。大きく息を吸って胸から肩をググッと上げる。少しずつ息を吐きながら肩を下ろすとともに全身の力が抜けるのを感じる。


次に息を吸うときにはもう呼吸への意識が薄れ、お湯に浸かっている皮膚感覚も何処へ。遂には呼吸していることすら忘れる。顔の筋肉が緩む。口角が上がり頬の筋肉に心地よい刺激を感じる。ニヤリ。これが“入った”合図だ。


いわゆる雑念と呼ばれるものは次々に湧き出てくるのだけれど、いちいち取り合わない。それこそ“右から左に受け流す”(ワタシの場合、左から右に流れているような気もするが)。

隣の家から声や物音なども聞こえてくるけれど、ただただ聞こえてくるに任せる。


天から引っ張られるように螺旋を描き始めるカラダ。(カラダを感じているわけではないんだけど、カラダとしか言いようがない)

気がつけば、静寂。

実はいつもそこに在ったのだとわかる、無。



「ほんとうのことを ちからづよく かたろう」



聴こえた、わけではない。

頭に浮かんだ、わけでもない。

一瞬にして理解した、とでも言おうか。


ツツツツツーッ。

柔らかく閉じた目から涙が溢れ、流れ落ちる。

流れ続ける。





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あれから幾年も経ち

語りたいことの片鱗が見えつつある。


“力強く”  から “潔く”

心持ちが変化した。