奈良旅行三日目の平成31年(2019年)4月30日(火・祝)、福神堂でにゅうめんを食べ終えた私は、レンタカーで、奈良県天理市の石上神宮(いそのかみじんぐう)に向かいました。
◇石上神宮
石上神宮は、平成30年(2018年)9月の奈良旅行の際にも訪れて、とても居心地の良い神社だったので、今回も参拝することにしました。
境内の説明は、前回の平成30年9月のときの石上神宮についての記事と重複する部分が多くありますが、今回も、出雲口伝から石上神宮を紐解くために、敢えて同じ説明をさせていただきます。
さて、石上神宮に着いた私は、大鳥居の脇(北側)の第1駐車場に車を停めて、大鳥居から歩いて社号碑まで戻って、社号碑の写真を撮ってから、大鳥居を潜って、拝殿へと向かいました。
(石上神宮/社号碑)
社号碑から大鳥居に続く参道にも鶏がいました。
平成30年9月に石上神宮を訪れた際の記事でもご紹介しましたが、石上神宮で奉納された鶏を放し飼いにし始めたのは数十年前で、まだ歴史は浅いのですが、石上神宮の貼り紙には、なぜ鶏がいるかについて、次のように説明されています。
~神代の昔、天の岩戸開きの神話に、常世の長鳴き鳥を鳴かせて闇を払い夜明けを告げ、天の岩戸を開いたという神話により、鶏は神道と大変関係の深い吉祥の霊鳥とされています。
この謂れにより当宮には鶏を境内に放し御神鶏として大切にしております。~
by 石上神宮
(石上神宮/大鳥居)
現在の大鳥居は、昭和3年(1928年)の昭和天皇の御大典を記念して建立されたもので、石上神宮の公式HPによると、台湾の檜が用いられたそうです。
しかし、平成23年(2011年)3月に耐久性などを調査したところ、早急に修理が必要とされ、解体して柱や貫などを取り換え、同年9月に再建されたものです。
大鳥居を潜って参道を進むと、左手に参集殿、社務所、右手に鏡池があります。
(石上神宮/鏡池)
鏡池は、江戸時代の絵図によると、往古から石上池と呼ばれていたことがわかります。
この鏡池には、奈良県の天然記念物に指定されているワタカという魚が生息しています。
ワタカは日本特産の鯉科の淡水産硬骨魚で、琵琶湖とこれに接続する淀川にのみ産する魚で、奈良県では、天理市の内山永久寺の本堂池に生息していることが知られていましたが、池水の涸渇や濫獲で絶滅するのを恐れ、東大寺の鏡池と石上神宮の鏡池に移植され、現在、奈良県ではこの二池で繁殖しているのみとされています。
ワタカは、別名を馬魚(ばぎょ)といいますが、その由来について、石上神宮の公式ホームページによると、次にような伝説が伝えられているそうです。
~南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に御潜幸になる途中、内山永久寺の萱御所(かやのごしょ)に入御せられました。その時、天皇のあとを追って赤松円心等の軍勢も当神宮の辺に到着し、軍馬がしきりに嘶(いなな)きました。天皇の御乗馬がこれに応じて嘶こうとしたため、天皇の従者は円心等にさとられるのを憂い、御乗馬の首を斬って本堂前の池に投じました。その後、本堂池に草を食べる魚が住みつくようになり、人々はこれは御乗馬の首が魚になったのだと考え、「馬魚」と呼ぶようになったと伝えられています。~
by 石上神宮の公式ホームページ
鏡池の脇を進むと、左手に楼門、右手に天神社、七座社、猿田彦神社、出雲武雄神社などの摂社があります(今回は、摂社の写真は撮りそびれてしまいました。)。
(石上神宮/境内)
天神社の御祭神は、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)と神皇産霊神(かみむすびのかみ)です。
七座社の御祭神は、生産霊神(いくむすびのかみ。中央)、足産霊神(たるむすびのかみ。生産霊神の右)、魂留産霊神(たまつめむすびのかみ。生産霊神の左)、大宮能売神(おおみやのめのかみ。足産霊神の右)、御膳都神(みけつかみ。魂留産霊神の左)、辞代主神(ことしろぬしのかみ。右)、大直日神(おおなおびのかみ。左)です。
猿田彦神社の主祭神は、猿田彦神(さるたひこのかみ)で、 底筒男神(そこつつのおのかみ)、 中筒男神(なかつつのおのかみ)、 上筒男神(うわつつのおのかみ)、 息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、 高靇神(たかおかみのかみ)を配祀神として祀っています。
出雲武雄神社の御祭神は、草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂(あらみたま)である 出雲建雄神(いずもたけおのかみ)とされています。
石上神宮は、物部氏の総氏神ですが、これまでお話ししている出雲口伝から紐解くと、上記の摂社の御祭神に名を連ねている神々の名には、記紀(『古事記』と『日本書紀』)がひた隠しにしてきたヤマト王権成立の秘密が見え隠れするのですが、それについては、次回お話しする出雲口伝の続きを踏まえて、改めてお話ししたいと思います。
摂社の参拝を終えた私は、楼門(国の重要文化財)を潜って、拝殿(国宝)へと向かいました。
(石上神宮/楼門)
楼門は、棟木に記された墨書きによると、文保2年(1318年)に建立されたものです。
楼門の上に「萬古猶新」と書かれた木額がありますが、その文字は山縣有朋の筆によるものです。
楼門に比べて、廻廊の方が新しく見えるのですが、廻廊は、宝永4年(1707年)10月の地震で倒壊しており、現在のものは、昭和7年(1932年)に再建されたものです。
楼門の先に見えるのが、拝殿です。
石上神宮の公式HPによると、拝殿は、第72代白河天皇が、石上神宮の鎮魂蔡のために、永保元年(1081年)、宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進したものと伝えられているそうで、拝殿としては日本で現存する最古のものだそうです。
この拝殿の先には本殿があるのですが、元々は本殿はなく、禁足地があって、そこに御神体の神剣「韴霊(ふつのみたま。布都御魂とも表記)」が土中深く祀られているとの伝承があったそうです。
そこで、明治7年(1874年)8月に、当時の大宮司である菅政友氏が官許を得て調査をしたところ、多くの玉類、剣、矛などが出土すると共に、神剣「韴霊」が顕現したことから、明治43年(1910年)に本殿を建立し(完成は大正2年(1913年))、禁足地を北側に拡張したそうです。
◇石上神宮の由緒
平成30年9月に石上神宮を訪れた際の記事でもご紹介した石上神宮の由緒について、ここでも同じご説明をさせていただきます。
石上神宮は、日本最古の神社の1つとされており、『古事記』、『日本書紀』にも、「石上神宮」、「石上振神宮」、「石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)」などの名で記されています。
そして、『日本書紀』が「神宮」と記しているのは、天皇家の祖神とされる天照大神を祀る伊勢神宮と、この石上神宮だけです。
石上神宮の社伝によると、建御雷神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふっつぬしのかみ)が、葦原中国(あしはらのなかつくに。日本のこと。)を平定する際に使った布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)が、神武東征の際に、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと。後の初代神武天皇)が熊野で危機に陥った際、高倉下命(たかくらじのみこと)を通して神倭伊波礼毘古命の手元に送られ、それによって危機を脱することができました。
この布都御魂剣は、物部氏の祖である宇摩志麻治命(うましまじのみこと)によって宮中で祀られていましたが、崇神天皇7年に、崇神天皇の勅命で石上布留(いそのかみのふる)の高庭(たかにわ)に物部氏の一族である伊香色雄命(いかがしこおのみこと)が遷して、その御神体の布都御魂剣に宿る布都御魂大神を主祭神として祀ったのが、石上神宮の始まりとされています。
このような創建の由緒からも、石上神宮は、蘇我氏と並ぶ古代の有力豪族であった物部氏の総氏神とされています。
ところで、物部氏というと、崇仏派であった蘇我馬子に敗れて滅ぼされた廃仏派の物部守屋(もののべのもりや)が有名ですが、物部守屋の滅亡によって没落したわけではなく、石上氏として、その後もしばらく、朝堂の重要なポストを得ていました。
実はこの物部氏の祖は、『日本書紀』では、「神倭伊波礼毘古命よりも先にヤマトに舞い降り、ヤマトを統治していた」という趣旨のことが記されています。
先程述べた布都御魂剣を祀っていた宇摩志麻治命が、物部氏の祖とされていますが、この宇摩志麻治命は、饒速日命(にぎはやひのみこと)が、長髄彦(ながすねひこ)の妹である三炊屋媛(みかしきやひめ。別名「登美夜毘売」)を娶り、その間にできた子とされています。
そして、「神倭伊波礼毘古命よりも先にヤマトに舞い降り、ヤマトを統治していた」のは、この饒速日命のことを指しています。
その後、神武東征の際、ヤマトの豪族であった長髄彦は徹底抗戦しますが、神倭伊波礼毘古命(後の初代神武天皇)が天照大神の子孫であることを知った饒速日命は、妻の兄である長髄彦を殺して神倭伊波礼毘古命に恭順し、それにより、神倭伊波礼毘古命は、ヤマトを制圧することができたと記紀は記しています。
上記の石上神宮の由緒は、主に石上神宮の社伝によるのですが、記紀に寄せている部分が多分にあると思われます。
御神体の布都御魂剣が石上神宮で御神体として祀られるまでの経緯に不自然さを感じるのは、そのためだと思われますが、出雲口伝を踏まえて、石上神宮の由緒を再度読み解いていくと、いろいろなことが繋がっていきます。
そこで、次回は、前回までの大神神社と同じように、石上神宮に関係する部分を中心に、出雲口伝の続きをお話しさせていただき、それを踏まえて、次々回に、石上神宮について再考してみたいと思います。
◇次回予告
上記のとおり、次回は、出雲口伝の続きをお話しさせていただきます。
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