奈良旅行二日目の平成31年(2019年)4月29日(月・祝)、安倍文珠院を後にした私は、レンタカーを返して、一度ホテルに戻ってゆっくりしてから、予約していた『つる由』を訪れたのですが、今回は、前回お話しした安倍文珠院の境内にある白山堂の御祭神である菊理媛神(くくりひめのかみ)についてもう少し掘り下げてから、『つる由』のお話をさせていただきます。

 ◇菊理媛神

 

 菊理媛神は、全国の白山神社で祀られている白山比咩神(しらやまひめのかみ)と同一神とされています。

 白山神社は全国に2000社以上あり、その総本社は石川県白山市三宮町にある白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)です。

 

 2000社以上もある白山神社で祀られていながら、菊理媛神は、『古事記』には登場せず、『日本書紀』でも正伝には登場せず、『日本書紀』の異伝に、たった一度だけ登場するだけの神です。

 

 伊邪那美(いざなみ。伊弉冉とも表記)は、火の神である軻遇突智(かぐつち)を産んだ際に陰部を火傷して、亡くなってしまったので、夫の伊邪那岐(いざなぎ。伊弉諾とも表記)は、伊邪那美に逢いに黄泉の国を訪れますが、伊邪那美の腐敗した姿を見た伊邪那岐は逃げ出してしまいました。

 

 『日本書紀』の正伝では、腐敗した姿を見られたことに恥をかかされたと大いに怒った伊邪那美1500の黄泉軍(よもついくさ。黄泉に棲む鬼達のこと。)に伊邪那岐を追わせ、自らも伊邪那岐を追いかけますが、黄泉の国と葦原中国(あしはらのなかつくに。地上世界のこと。)の間の黄泉比良坂(よもつひらさか)で、伊邪那岐が千人引きの大岩で道を塞ぎ、逢えなくしてしまいます。そこで、伊邪那美は、大岩の向こうの伊邪那岐に向かって、「愛しい人よ。こんなひどいことをするなら、私は1日に1000の人間を殺すでしょう。」と叫ぶと、伊邪那岐「愛しい人よ。それなら私は産屋を建てて1日に1500の子供を産ませよう。」と返し、伊邪那岐伊邪那美は離縁したとしています。

 

 これに対し、『日本書紀』の異伝(第十の一書)では、黄泉比良坂伊邪那岐伊邪那美が口論となった際に、泉守道者(よもつちもりびと)が現れ、「私は貴方と、既に国を生みました。なぜこの上、生むことを求めるのでしょうか。私はこの国に留まりますので、ご一緒には還れません。」という伊邪那美の言葉を取り次いで、伊邪那岐に伝え、さらに菊理媛神が現れて何かを言うと伊邪那岐は、泉守道者菊理媛神が述べたことを褒めて、その場を去ったと記しています。

 

 この異伝から、菊理媛神は、伊邪那岐伊邪那美の仲裁をした神と考えられ、男女の仲を取り持つ縁結びの御利益があるとも言われています。

 また、菊理媛神の名は、「くくりひめのかみ」と読みますが、「紐でくくる」という言葉のように、物事をまとめること、結ぶことを意味するとも言われています。

 伊邪那岐は、『古事記』や『日本書紀』では、天照大神月読命(つくよみのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)の三貴子を産んだ神格の高い神で、その伊邪那岐が、菊理媛神の言葉を褒めて、その場を去ったということは、菊理媛神も、神格の高い神であることが伺えます。

 

 しかし、全国2000以上ある白山神社の御祭神として祀られながら、『古事記』にも『日本書紀』の正伝にも登場せず、『日本書紀』の異伝に、わずか1回だけ登場し、伊邪那岐伊邪那美の口論を仲裁する重要な役割を果たしながら、その発した言葉も残されてないというのは、本当に不思議です。

 

 菊理媛神は、前述のとおり、白山比咩神と同一神だとされています。

 

 

 越前の麻生津出身の泰澄は、越知山で修行していたましたが、養老元年(717年)、泰澄は、九頭竜川をさかのぼり、白山(御前峰)に登り、白山妙理大権現白山比咩神)を感得しました。

 この白山比咩神は、白山の山頂にある池から、龍神である九頭龍王の姿で出現しました。

 泰澄は、「このような恐ろしい姿の龍が白山の女神の真の姿ではありますまい。仮の姿でありましょう。どうか真の姿を お見せください」と念じ続けると、九頭龍王は、十一面観音菩薩となったと伝わります。

 

 なお、この白山比咩神は、元々は伊邪那美であったとも言われていますが、現在は、菊理媛神白山比咩神とされており、白山比咩神社では、菊理媛神白山比咩神と共に、伊邪那岐伊邪那美が御祭神として祀られています。

  

 このことから、少なくとも菊理媛神白山比咩神と考えられるようになって以降は、菊理媛神白山比咩神九頭竜王十一面観音菩薩であると考えられていることになります。

 神=仏(十一面観音菩薩)となっているのは、白山信仰は、白山の山岳信仰修験道が融合した神仏習合の信仰であるためです。

 

 

 ところで、菊理媛神は、瀬織津姫(せおりつひめ)と同一神だとする説もあります。

 

 瀬織津姫も、石川県金沢市の瀬織津姫神社を始め、全国の多数の神社で御祭神として祀られているにもかかわらず、『古事記』や『日本書紀』には登場せず、祝詞の一つである大祓詞(おおはらえのことば)の中に登場する神です。

 

 大祓詞の後半には、次のように記されています。

 

~遺る罪は在らじと(のこるつみはあらじと)
 
祓へ給ひ清め給ふ事を(はらへたまひきよめたまふことを)
 
高山の末(たかやまのすえ)
 
低山の末より(ひきやまのすえより)
 
佐久那太理に落ち多岐つ(さくなだりにおちたきつ)
 
早川の瀬に坐す(はやかわのせにます)
 
瀬織津比売と伝ふ神(せおりつひめといふかみ)
 
大海原に持出でなむ(おおうなばらにもちいでなむ)~

 

 瀬織津姫は、瀧や川を司る水神で、人の罪や穢れを、海に流してくれるとされています。

 

 瀬織津姫の正体は、諸説あるのですが、弁財天同一神ともいわれています。

 ヒンドゥー教の女神サラスヴァティが仏教に取り込まれ、弁財天と呼ばれるようになりましたが、弁財天眷属(けんぞく。神に仕える存在。)は、白蛇だとされており、弁財天サラスヴァティは、水神であると共に、龍蛇神(龍神と蛇神を合せた呼び名)でもあるとされています。

 

 このことからも、瀬織津姫と同一神との説のある菊理媛神も、龍蛇神であることが伺えます。

 

 

 龍蛇神は、水神そのものか、あるいは、水神の使い眷属であるとされているのですが、この龍蛇神信仰は、古代出雲王国の信仰であるとされています。

 

 出雲大社の大注連縄や、出雲由来の神が祀られている諏訪大社の大注連縄は、蛇が交尾している姿を現しているとも言われています。

 

 なぜ、古代出雲王国が龍蛇神を信仰していたのかについてお話しすると、かなり長くなりますので、またの機会にお話しさせていただきますが、日本各地の神社で祀られていながら、『日本書紀』の異伝にしか登場しない菊理媛神、大祓詞にしか登場しない瀬織津姫は、龍蛇神であることから、古代出雲王国で信仰された神、または古代出雲王家の姫である可能性もあり、そのため、『古事記』、『日本書紀』から消され、菊理媛神は、伊邪那岐伊邪那美の口論を仲裁した神格の高い神であるにもかかわらず、その時に発した言葉も、『日本書紀』の異伝から、消されているのではないかと思えてしまいます。

 

 安倍文珠院のお話の中で、なぜ、菊理媛神を掘り下げ、古代出雲王国との関連をお話ししたのかというと、安倍文珠院を創建した安倍氏が、奥州安倍氏と同族かは諸説あるのですが、少なくとも奥州の安倍氏は、古代の出雲王朝東王家である富家(とびけ。向家。)に伝わる歴史(いわゆる「出雲口伝」)によると、古代出雲王家の一族だとされています。

 安倍文珠院に、古代出雲王国が信仰した龍蛇神である可能性のある菊理媛神を祀る白山堂があることは、安倍文珠院を創建した安倍氏も、もしかしたら、古代出雲王家と何らかの関係があるように思えてならなかったのです。

 

 

◇つる由

 

 さて、安倍文珠院の参拝を終えた私は、レンタカーを一旦返却して、ホテルに戻って少しゆっくりしてから、予約していた『つる由』にお邪魔しました。

 

 『つる由』は、前回の奈良旅行で初めて訪れて、とても良かったので、今回、再訪させていただきました。

 

(つる由)

 

 今回も、前回と同じ、カウンター7席のうちの、左から3番目の席に通されました。

 

 いつもなら、最初にビールを注文するところですが、今回は、奈良の地酒を堪能したかったので、いきなり日本酒を注文しました。

 

 

(つる由/トリガイ)

 

 

 

(つる由/サヨリ)

 

(つる由/蝦夷馬糞雲丹)

 

 『つる由』は、カウンターの前で大将が黙々と料理をし、その料理のサポートしている大将の弟さんが、主にお客さんとお話をしながら、場を盛り上げる感じなのですが、そのお話を伺っていると、私の左側にいる二人は、地元の企業の社長と、東京に住んでいる社長の娘さんで、娘さんが奈良に帰省しているので、社長が『つる由』に案内したようでした。

 

 私の右側の四人は、一番右側にいる高齢のご夫婦のご主人は、「会長」と呼ばれていて、東京都世田谷区にある某病院の院長と親しいようだったので、会長も、病院か、あるいは医療関係の企業を経営しているようでした。

 

 私の左側にいる地元企業の社長も、右側にいる会長ご夫妻や、私の隣にいる会長の友人(又は仕事仲間)も、『つる由』の常連でした。

 

 

 私は、スマホで翌日訪れる寺社仏閣などを検索して、ルートを検討しながら、料理の写真を撮りつつ、聞こえてくる大将兄弟と、常連さんたちの会話を聞きながら、『つる由』の美味しいお料理と、奈良の美味しい地酒をじっくり堪能しました。

 

 

(つる由/鰻)

 

(つる由/鱧)

 

 『つる由』の料理は、過度に手を加え過ぎず、素材の良さを引き出すシンプルな調理をしたものが多く、味の塩梅も程よく、食べ飽きない味です。

 

(つる由/鱧と白舞茸の椀物)

 

 『つる由』は、奈良以外の日本酒も揃えているのですが、私は、せっかくなので、奈良の地酒を順番に1合ずつ注文して、飲んでいたところ、左隣の地元企業の社長から、「もしかして、料理人さんですか?」と聞かれました。

 一人で訪れて、最初からずっと奈良の地酒を注文し続け、料理の写真を逐一撮っていたので、料理人が勉強のために食べに来たのだと思われたようです。

 

 私が、「いえ、料理人ではないです。」と話したら、今度は、右隣りの男性から、「学者さんですか?」と聞かれました。

 

 私がスマホで、この日に訪れた寺社仏閣の写真を見たり、次の日に訪れる寺社仏閣のルートを調べながら食事をしていたので、学者が奈良に調査で訪れたのだと思われたのかもしれません。

 

 そのような会話を聞いていた大将と大将の弟さんが、「前回いらしたときもおひとり様で、話しかけづらくて、少ししかお話ができなかったので、社長が話しかかてくれて、やっとお話ができました。」とおっちゃっていただき、その後、カウンター席の皆さんと、大将兄弟とで、いろいろお話をして盛り上がることができました。

 

(つる由/てっさ及びてっぴ)

 

(つる由/鮪の握り)

 

(つる由/クエ)

 

 その後、右隣りの男性とさらに話していたところ、右隣りの男性は、奈良県橿原市出身で、某製薬会社に勤めていて、東京に14年間単身赴任しているとのことでした。

 私が、聖徳太子蘇我氏物部氏神武天皇神功皇后などの足跡を辿りたくて、奈良の寺社仏閣を訪れたこと、『つる由』が、前回とても良かったので、再訪したことなどを話していたら、何とこの男性は、皇学館大学卒で、神職の資格も持っており、私が同業者同期のK井さんと何度も訪れた熊野本宮大社の宮司ともお知り合いとのことで、かなりの歴史好きでした。

 

(つる由)

 

 この筍のような形をした器は、上の蓋を取ると、中に筍の木の芽和えが入っていました。

 

(つる由/筍の木の芽和え)

 

 その後、自家製のあん肝が出て、最後の締めの食事となります。

 

(つる由/あん肝)

 

 締めの食事は、稲庭うどんやお茶漬けなどから選べるのですが、私は前回選んで美味しかったすっぽん雑炊をいただきました。

 

(つる由/すっぽん雑炊)

 

 私が後半ずっとお話ししていた隣の男性は、T岡さんといいますが、東京のお店もけっこう知っているとのことで、東京でまた飲みましょうと誘っていただきました。

 T岡さんは、その日は名刺を持参していなかったそうで、私の名刺をいただきたいとおっしゃっていただき、お渡ししたところ、東京に戻ってすぐにメールをいただき、その後、私の事務所の近くで飲むこととなりました。

 今回の『
つる由』と『白~Tsukumo』の予約をした際、今回はかなり前に予約の電話を入れたので、どちらの店も、両日とも予約が空いていたのですが、特に理由はなく、奈良旅行二日目を『つる由』にして、初日を『白~Tsukumo』にしました。

 その何気ない選択のおかげで、T岡さんと知り合うことができました。

 

 そのようなご縁をいただいた、『つる由』にも、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

◇次回予告

 

 翌朝は、再びレンタカーを借りて、最初に當麻寺(たいまでら)を訪れたのですが、次回はそのお話からさせていただきます。

 

 

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