奈良旅行二日目の平成31年(2019年)4月29日(月・祝)は、レンタカーで奈良県宇陀市にある室生寺に向かいました。

 

◇室生寺

 

 室生寺縁起によると、宝亀年間(770年から781年)、興福寺の高僧賢環など5人の僧が、皇太子の山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒の祈願を室生山で行ったところ、卓効があったことから、勅命により国家のために建立されたのが室生寺です。

 

 この建立の実務に当たったのは賢環の高弟の修円でした。

 修円は、法相宗の僧で興福寺別当も務めていますが、最澄から灌頂を受けており、空海とも親交がありました。

 

 それ以来、室生寺は、山林修行の道場として、そして、法相宗真言宗天台宗など、各宗兼学の寺院として、発展していきました。

 

 また、女人禁制高野山に対し、室生寺は女人の済度も図る真言道場として、女人の参詣を許していたことから、『女人高野』として親しまれるようになりました。

 

 宗派としては、室生寺は法相宗総本山の興福寺の末寺でしたが、元禄7年(1694年)に護持院隆光が拝領したことで、護国寺末の真言寺院となりました。そして、さらに元禄11年(1698年)に、護国寺から独立して、真言宗豊山派の一本寺となり、さらに昭和39年(1964年)に真言宗豊山派から独立して、真言宗室生寺派の大本山となり、現在に至っています。 

 

 

 さて、室生寺の駐車場にレンタカーを停めた私は、室生川に架かる太鼓橋を渡り、表門へ向かいました。

 

(室生川)

 

 表門からは入れなくなっていて、表門の前を右折した先に受付があります。 

 

(室生寺/表門)

 

 受付の先の改装工事中の仁王門を潜ると、その先に鎧坂があります。

 

(室生寺/鎧坂)

 

鎧坂を登った正面に、金堂があります。

 

 

(室生寺/金堂)

 

 金堂の正堂部分は平安時代前期(9世紀後半)に建立され、その後、鎌倉時代末期に大修理をし、その時に、多くの部材が取り替えられているそうです。

 そして、礼堂部分は寛文12年(1672年)に付け加えられたものだそうです。

 

 金堂は、令和元年(2019年)5月12日まで特別拝観ができるので、早速拝観させていただきました。

 

 金堂の須弥壇には、向かって左から、十一面観音菩薩立像(国宝)、文殊菩薩立像(重要文化財)、釈迦如来立像(国宝)、薬師如来立像(重要文化財)、地蔵菩薩像(重要文化財)が横一列に並び、それらの手前に、十二神将立像(重要文化財)が立っています。

 

 金堂の解説をしていただいた僧侶の方によると、特別拝観が終わると、国宝の十一面観音菩薩立像は、弥勒堂に安置されている国宝の釈迦如来坐像と共に、東京国立博物館の特別展に貸し出され、その後、仏像の多くは、今年(平成31年(2019年))完成した寶物殿に移されるため、金堂十一面観音菩薩立像文殊菩薩立像釈迦如来立像薬師如来立像地蔵菩薩像十二神将立像が全て揃っているのは、5月12日までの特別拝観が最後とのことでした。

 

 私は室生寺を訪れるのが初めてだったので、こんな貴重な機会に訪れることができて、感無量です。

 

 金堂内での写真撮影はできないのですが、仏像が素晴らしかったので、室生寺が所蔵している十一面観音菩薩立像(国宝)、釈迦如来立像(国宝)、釈迦如来坐像(国宝)、如意輪観音座像(重要文化財)の写真4点セットを購入しました(以下、仏像の写真は、私が購入した写真です。)。 

 

 こちらが、金堂に安置されている釈迦如来立像(国宝)で、平安時代前期のものと考えられています。

 

(室生寺/釈迦如来立像)

 

 朱色の衣の流れるような衣紋は漣波式と呼ばれる独特なもので、この様式は、室生寺式とも呼ばれているそうです。

 

 そして、同じく金堂に安置されている十一面観音菩薩立像(国宝)で、平安時代前期のものと考えられています。

 

 

(室生寺/十一面観音菩薩立像)

 

 

 金堂の拝観を終えた私は、隣の弥勒堂へと向かいました。

 

(室生寺/弥勒堂)

 

 弥勒堂は鎌倉時代前期に建立されたものですが、江戸時代に大幅に改造されています。

 

 堂内には、釈迦如来坐像(国宝)と、弥勒堂の御本尊の弥勒菩薩立像(重要文化財)が安置されています。

 

 こちらが、弥勒堂釈迦如来坐像(国宝)です(購入した4点セットの写真の1枚)。

 

(室生寺/釈迦如来坐像)

 

 平安時代前期のものと考えられております。

 釈迦如来坐像衣紋は、翻波式衣紋というそうです。

 弥勒堂の御本尊は弥勒菩薩立像(重要文化財)なので、釈迦如来坐像は、客仏として御本尊に向かって右側に安置されています。

 この釈迦如来坐像も、特別拝観が終わると、東京国立博物館の特別拝観に貸し出されるそうで、次に戻ってくるときには、完成した寶物殿の方に安置されることになっているかもしれません。

 

 

 弥勒堂で手を合わせた私は、金堂の先の階段を登り、灌頂堂(本堂)へ向かいました。

 

(室生寺/灌頂堂)

 

 灌頂堂は延慶元年(1308年)に建立された、灌頂が行われるお堂で、国宝に指定されています。

 

 灌頂とは、頭頂に水を灌いで諸仏や曼荼羅とご縁を結び、種々の戒律や資格を授けて、正しい継承者であることを証する儀式です。

 

 灌頂堂には、平安時代中期のものとされる如意輪観音菩薩坐像(重要文化財)が安置されています。

 

 こちらが如意輪観音菩薩坐像です(購入した4点セットの写真の1枚)。

 

(室生寺/如意輪観音菩薩坐像)

 

 この如意輪観音菩薩坐像は、観心寺神咒寺(かんのうじ)の如意輪観音菩薩と共に、日本三如意輪の1つに数えられています。

 

 灌頂堂で、如意輪観音菩薩御朱印をいただきました。

 

(室生寺/灌頂堂の御朱印)

 

 灌頂堂を後にした私は、灌頂堂の脇の階段を登り、五重塔へと向かいました。

 

 

(室生寺/五重塔)

 

 五重塔は、延暦19年(800年)頃に建立されたもので、屋外にある木造の五重塔としては、法隆寺の五重塔に次ぐ日本で2番目に古い五重塔で、国宝に指定されています。

 

 階段を登り切って、五重塔を見上げると、金堂の脇から見上げた五重塔の印象と比べて、意外と小さく感じます。

 

(室生寺/五重塔)

 

 実際、屋外に建つ国宝・重要文化財に指定されている五重塔の中で、最も小さく、その小ささから、「弘法大師一夜造りの塔」とも称されているそうです。

 

 最上部の相輪は、久和の上の水煙を置く部分に、受花付きの宝瓶(ほうびょう)が備えられており、さらに、天蓋龍車宝珠をあげています。

 

 寺伝によると、創建の実務にあたった修円が、この宝瓶室生龍神を封じ込めたと伝わっています。

 

 室生の地は、奥深い山と渓谷に囲まれていて、火山活動によって形成された室生火山帯の中心部となっているので、古くから龍神信仰があり、室生寺から室生川を少し遡った先に、室生龍穴神社があり、その奥宮吉祥龍穴があります。

 興福寺の高僧賢環など5人の僧が、山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒を祈願した場所は、この龍穴ではないかともいわれています。

 

 修円は、この室生龍神を、宝瓶に封じ込めたというわけです。

 


 五重塔から、さらに奥の院へと階段が伸びています。 

 

(室生寺/奥の院への参道)

 

 これまで、金堂の手前の鎧坂金堂の脇の石段、灌頂堂の脇の石段と、ずっと石段を登って来たのですが、この五重塔の先の無明橋を渡ると、そこからさらに奥の院まで370段余りの石段があります。 

 

(室生寺/奥の院への参道)

 

 無明橋の先の石段は傾斜がきついのですが、私は荷物をレンタカーに置いたまま、御朱印帳袋に入れた御朱印帳のみの軽装だったこともあって、快調に登ることができました。

 

 階段の先に、見える長い柱の建物が、懸造の位牌堂常燈堂)です。

  

 位牌堂は、昭和10年(1935年)に建立されたもので、室生寺の中では比較的新しい建物です。

 

 

(室生寺/位牌堂からの眺望)

 

 位牌堂の先には、御影堂があります。

 

(室生寺/御影堂)

 

 御影堂は、弘法大師空海)を祀るお堂で、大師堂とも呼ばれますが、鎌倉時代後期に建立されたもので、全国の御影堂・大師堂の中でも、最古のお堂の1つです。

 

 奥の院にも納経所があり、奥の院の御朱印をいただくことができます。

 

(室生寺/奥の院の御朱印)

 

 

 奥の院の参拝を終え、来た石段を下って戻ったのですが、上から見る五重塔も素敵でした。

 

(室生寺/五重塔)

 

 そして、登りのときに気付かなかったのですが、五重塔の近くに、五輪塔が立っていました。

 

 その五輪塔の前に、「伝北畠親房之墓」と刻まれた石柱が立っていました。

 

 

(室生寺/北畠親房之墓の石柱)

 

 この五輪塔が、北畠親房の墓と伝わっているそうで、国の重要文化財に指定されています。

 

(室生寺/北畠親房之墓)

 

 北畠親房は、南北朝時代、南朝の後醍醐天皇後村上天皇に仕えた側近の公卿で、歴史書『神皇正統記』の著者としても有名です。『神皇正統記』は、中世の歴史書で、慈円の『愚管抄』と双璧をなす、評価の高い重要な歴史書とされています。

 

 この北畠親房の三男(一説には養子)で、後に伊勢国司となり、伊勢北畠氏の祖となった北畠顕能(きたばたけあきよし)が、この室生寺のある大和国宇陀郡も勢力下におさめていたのですが、北畠親房自身は、賀名生(あのう。現在の奈良県五條市)で最期を迎えており、墓も、この賀名生の地にあります。

 しかし、室生寺の五輪塔は、かなり古くから北畠親房の墓だと伝えられていたことがわかっているので、もしかしたら、三男の北畠顕能かその子孫が、北畠親房を偲んで立てたのかもしれません。

 

 北畠親房の墓の先に、灌頂堂があります。 

 

(室生寺/灌頂堂)

 

 灌頂堂に向かう参道は、登りの時は東側の石段を通り、下りの時は、西側の石段を下ったのですが、西側の石段から見る灌頂堂も、趣がありました。

 

 灌頂堂を過ぎた後、そのまま、弥勒堂金堂の前を通ってもと来た道を戻ることもできたのですが、西に向かう別のルートがあったので、そちらに入ったところ、護摩堂がありました。

 

(室生寺/護摩堂)

 

 護摩堂の先に西側に本坊があり、さらにその西側に慶雲殿があります。

 

(室生寺/慶雲殿)

 

 慶雲殿は、写真のとおり、入口が閉まっていたのですが、立秋の日に、虫干しを兼ねて、室生寺の宝物を公開する際に利用されるそうです。

 

 慶雲殿の前を通り、道なりに歩いて行くと、太鼓橋の前の表門に着きました。

 

(室生寺/表門)

 

 私は、寺社仏閣、美術館、博物館など、比較的早いペースで回る方なのですが、今回、奥の院までの石段にそれなりに時間を要することもあるものの、国宝、重要文化財の仏像が今回の特別拝観でお目にかかることができ、五重塔を始めとする堂宇も美しいものが多く、非常に見応えのあるお寺だったとこともあって、受付に入ってから一通り回って表門に戻ってくるまで、1時間15分かけて、拝観させていただきいました。

 

 東京国立博物館に貸し出された仏像が戻ってくるときには、新しくできた寶物殿に安置されるものもあり、今回と同じお堂では見ることができないものもありますが、また特別拝観の時期に、室生寺の美しい仏像たちの御尊顔を拝見しに来たいと思います。

 

◇中村屋旅館

 

 室生寺の参拝を終え、駐車場に向かう途中、中村屋旅館の前にランチメニューの看板が出ていて、そこに、私の好きな温かいそうめんにゅうめん)があったので、ここでランチをすることにしました。

 

(中村屋旅館)

 

 中村屋旅館の温かいそうめん(にゅうめん)は、山菜がたっぷり乗っていて、とてもヘルシーでした。

 

(中村屋旅館/そうめん)

 

 1時間15分、室生寺の境内を歩き回ってお腹のすいていた私は、あっという間に完食してしまいました。

 

 前回の奈良旅行の記事でも書きましたが、奈良の三輪そうめんは、日本のそうめんの発祥と言われています。

 私も、各地のそうめんを食べてきましたが、三輪そうめんは、大好きなそうめんの1つです。

 

◇次回予告

 

 中村屋旅館でお腹を満たした私は、奈良県桜井市多武峰にある談山神社に向かったのですが、次回はそのお話からさせていただきます。

 

 

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