平成31年(2019年)4月28日(日)、ならまち通りの『旬菜香音』でランチをした私は、猿沢池の脇を抜けて、奈良国立博物館の『なら仏像館』へ向かいました。

 

◇なら仏像館

 

 『なら仏像館』の建物は、宮内省内匠寮技師であった片山東熊(かたやまとうくま)の設計により、明治27年(1894年)に完成した奈良で最初の本格的西洋建築で、昭和44年(1969年)には、『旧帝国奈良博物館本館』として、重要文化財に指定されました。

 『なら仏像館』と名称を変えたのは、平成22年(2010年)で、飛鳥時代から鎌倉時代にいたる日本の仏像を中心に、常時100体近くの仏像が展示されており、『なら仏像館』の公式ホームページでは、「国内の博物館では、もっとも充実した仏像の展示施設」と謳っています。

 

 

(なら仏像館)

 

 館内には、国宝の薬師如来坐像快慶作の阿弥陀如来立像(重要文化財)などの奈良国立博物館の所蔵品のほか、ランチの前に訪れた平城(なら)の元興寺から寄託されている十一面観音菩薩立像(重要文化財)をはじめ、兵庫県の浄土寺から寄託されている阿弥陀如来立像(重要文化財)、奈良の秋篠寺から寄託されている救脱菩薩立像(重要文化財)と梵天立像(重要文化財)など、他の寺からの寄託品も含め、多くの貴重な仏像を見ることができます。

 

 展示されている全ての仏像を鑑賞しましたが、まだ見足りないので、また奈良に来る際に、訪れたいと思います。

 

 

◇藤田美術館展

 

 『なら仏像館』の見学を終えた私は、隣の奈良国立博物館東新館・西新館へと向かいました。

 

(奈良国立博物館)

 

 目当ては、平成31年(2019年)4月13日(土)から開催されている『藤田美術館展』で展示されている、曜変天目茶碗です。

 

(奈良国立博物館/藤田美術館展チケット)

 

 大阪市都島区網島町にある藤田美術館は、明治時代に建設、土木、鉱山、電鉄、電力会社、金融、紡績、新聞などの事業を手掛けた藤田財閥の創始者である藤田傳三郎と、その息子の藤田平太郎藤田徳次郎のコレクションを所蔵する美術館で、今回の奈良国立博物館の『藤田美術館展』では、その所蔵品の一部である、茶道具、墨蹟、古筆、物語絵、肖像、仏像、尊像、羅漢、法具、仏典、歌舞伎や能などの面及び装束など、合計128点が展示されています。 

 そして、この128点のうち、9点が国宝、53点が国の重要文化財に指定されており、チケットにも、「国宝の殿堂」と銘打たれていました。

 

 国宝の9点は、応永12年(1405年)作の柴門新月図、平安時代作とされる深窓秘抄、鎌倉時代作とされる紫式部日記絵詞、鎌倉時代作とされる玄奘三蔵絵の巻第一乃至巻第四、保延2年(1136年)作で藤原宗弘筆による両部大経感得図、平安時代作とされる花蝶蒔絵挾軾(かちょうまきえきょうしょく)、平安時代作とされる仏功徳蒔絵経箱、奈良時代作とされる大般若経薬師寺経)巻五十七・二百五十一・四百四十六・五百・五百四、そして、今回の目玉である、南宋時代(12世紀から13世紀頃)の作とされる曜変天目茶碗です。

 

 その他、重要文化財も、古瀬戸肩衝茶入古伊賀花入雪舟自画像薬師三尊十二神将像など、ワクワクする出陳品がリストに名を連ねていたのですが、曜変天目茶碗だけ、特別な展示場所が用意されていて、最後尾という看板を掲げたスタッフの前に、長蛇の列ができていたので、まずは、この行列に並びました。

 曜変天目茶碗のショーケースの前で1人ずつ鑑賞するようになっているため、長蛇の列になっていて、1時間待ちと書かれていたのですが、鑑賞している人の後ろのスペースから鑑賞するのは自由なので、自分の順番が近づいてきたら、後ろから鑑賞して他の展示の鑑賞に向かう人もけっこういたおかげで、1時間もかからず、私も鑑賞することができました。

 

 曜変天目茶碗は、南宋時代に中国で作られたもので、曜変を含む天目茶碗は、鎌倉時代から室町時代にかけて、日本へもたらされたとされています。

 曜変天目茶碗は、現存するものは全世界で三碗しかないと言われている名碗で、その三碗を所蔵しているのが東京の静嘉堂文庫美術館、京都の大徳寺龍光院、そして、大阪の藤田美術館で、全て日本にあります。

 藤田美術館曜変天目茶碗は、徳川家康が所蔵していたもので、その後、水戸徳川家、藤田家へと渡ったもので、国宝中の国宝とされており、これまで、藤田美術館外に出たことは、数回しかないそうです。

 

 奈良国立博物館の公式ホームページの『藤田美術館展』の曜変天目の紹介欄では、「瑠璃色の曜変と呼ばれる斑文は、まるで宇宙に浮かぶ星のように美しい輝きを放ち、優麗な華やかさを誇っています。」と紹介しています。

 

 本当に言葉にならない美しい茶碗で、その後、藤田美術館の他の出陳品も鑑賞したのですが、曜変天目茶碗の美しさに心を奪われ、他の出陳品の記憶がほとんどないくらいでした。

 

 織田信長に反旗を翻して居城の信貴山城に立て篭もった際、信長から渡せば命は助けると言われた茶釜の名器古天明平蜘蛛に爆薬を詰めて古天明平蜘蛛もろとも爆死した松永久秀の気持ちが、少しわかる気がします。

 美しい名器を渡して生き恥を晒すぐらいなら、その名器と共に華々しく爆死して、名器を、永遠に信長の手の届かない所に持っていくことで、松永久秀の名は、名器古天明平蜘蛛と共に人々の記憶に残り、松永久秀の魂は、永遠に名器古天明平蜘蛛と共に在り続けるわけです。

 

 そんな松永久秀の気持ちがわかるほど、曜変天目茶碗が美しくて、他の出陳品の記憶がうろ覚えなほどなので、いつか、藤田美術館を訪れてみたいと思います。

 

◇氷室神社

 

 藤田美術館展の鑑賞を終えた私は、奈良国立博物館の東新館・西新館のお向かいにある氷室神社を参拝しました。

 

(氷室神社/鳥居)

 

 鳥居の先の階段を登っていくと、四脚門があり、その左手に神饌殿、右手に直会殿(社務所、集会所)があり、いずれも四脚門とつながっています。 

 

(氷室神社/四脚門)

 

 四脚門は、元々は内裏の日華門だったのですが、応永9年(1402年)に現在の地に移築されました。

 

 

 

 そして、四脚門の奥に、拝殿・舞殿があり、そのさらに奥に本殿があるのですが、四脚門拝殿・舞殿が回廊が繋がっていて、しかも距離が近かったので、拝殿・舞殿を写真におさめることができませんでした。

 

 氷室神社は、和銅3年(710年)に平城京遷都された際に、元明天皇の勅命により、平城京の左京、春日の御蓋の御料山(春日山)に、氷神を祀ったのに始まります。

 そして、春日野にある氷池で厳寒に結氷させた氷を氷室に貯えて、翌年に、平城京に献氷させるようになりました。この氷室が、平城氷室御蓋氷室春日の氷室などと呼ばれました。

 和銅4年(711年)6月1日に初めて献氷の勅祭が行われ、それ以降、平安京に遷都されるまで、毎年4月1日から9月30日まで、平城京に氷が献上されました。

 

 平安京に遷都され、献氷の制度は廃止されますが、清和天皇の御世の貞観2年(860年)2月1日に、現在の地に奉還され、この時に、氷の作り方を教えた闘鶏稲置大山主命(つげのおおやまぬしのみこと)に、天皇に氷を初めて献上した額田大仲彦命(ぬかたのおおなかつひこのみこと。第15代応神天皇の皇子。)、氷を献上された大鷦鷯命(第16代仁徳天皇)の左右二座の神を増して、祀りました。

 

 社殿が建立されたのは、健保5年(1217年)とされていますが、本殿は、文久年間(1861年から1864年)に再建されています。

 

 現在、氷室神社は、氏子のほか、日本全国の製氷・販売業者によって支えられていて、献氷祭には、その製氷・販売業者が参列し、業績成就を祈願するそうです。

 

 御御籤の番号をひいて、その番号の御御籤を取り、氷に乗せると、文字が浮かび上がる氷みくじというのがあったのですが、氷を見たら、かき氷を食べたくなってしまうので、氷みくじは引かず、拝殿で参拝だけさせていただきました。 

 

 

◇奈良県立美術館

 

 氷室神社の参拝を終えた私は、奈良県立美術館へ向かいました。

 

(奈良県立美術館)

 

 今回、特別展『ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅』が催されていたので、それを鑑賞することにしました。

 

 ヨルク・シュマイサーは、ドイツに生まれ、ハンブルグに学び、京都に留学し、後にキャンベラに移住し、オーストラリアの版画教育に尽力した銅版画家です。
 特に、
京都ヴェネチアは、シュマイサーは繰り返し訪れているのですが、京都に留学した際に、奈良にも惹かれたそうで、奈良県立美術館の壁に貼られていたポスターは、シュマイサーの描いた奈良の東大寺です。

 ちなみに、シュマイサーの奥様は奈良県出身の日本人です。

 

 シュマイサーはさらに、日本の古典文学を親しみ、水墨画も学びました。

 

 銅版画は、私はあまり馴染みがなく、どうしても、白黒の木版画をイメージしてしまうのですが、シュマイサーの銅版画は多色刷りで、華やかでした。

 

 私は、奈良県立美術館の常設展を鑑賞しようと訪れて、たまたまヨルク・シュマイサーの特別展をやっていたので、鑑賞したのですが、恥ずかしながら、ヨルク・シュマイサーという銅版画家を、ここで初めて知りました。

 しかし、その初めて知ったヨルク・シュマイサーの特別展を鑑賞して、正解でした。 

 

◇白

 

 ヨルク・シュマイサーの特別展を鑑賞した私は、一旦ホテルに戻り、チェックインして、少しゆっくりしてから、予約していた『(つくも)』を訪れました。

 

 前回の奈良旅行でも、この『』と、今回の奈良旅行の二日目に訪れる『つる由』を訪れようと思っていたのですが、電話をしたのが直前だったので、『』は両日とも満席で予約できず、『つる由』は、7席のカウンターが運良く1席だけ空いていたので、入ることができました。

 今回は、その轍を踏まないように、再度の奈良旅行を決めた直後に、『』と『つる由』に電話し、無事に予約することができました。

 

 『』は、ミシュランガイド奈良2017特別版二ツ星を取った日本料理店です。

 

 

(白)

 

 入口には、杉玉が飾られていました。これは、前回の奈良旅行でも訪れ、今回も二日目に訪れた大神神社(おおみわじんじゃ)発祥の文化ともいわれています。

 大神神社の御祭神である大物主神少彦名神(出雲口伝では「少名彦」)は、お酒の神様としても有名なので、この杉玉は、酒蔵で祀らるようになりました。

 日本料理店で杉玉が飾られているということは、日本酒に敬意を表しているお店である可能性が高いので、期待が高まります。

 

 そのため、最初、生ビールで喉を潤してから、それ以降は、奈良の日本酒を中心に、日本酒で通しました。

 

 まずは、ホタルイカカラスノエンドウなどの先附から始まりました。

 

(白/先附)

 

  トリガイサザエホッキなど貝類と吉野葛の御椀は、絵画のような美しい盛り付けで、目でも楽しませてくれます。

 

(白/御椀)

 

 そして、御椀の後に、石鯛2種(江戸前となれ寿司)の握りが出てきました。

 

(白/握り)

 

 握りの後に、ランプ肉の焼き物が続きます。

 

 

(白/焼き物)

 

 3皿目で握り、4皿目でランプ肉が出てきたので、この後、どんな展開になるのか、全く読めない中、5皿目は、ほっと一息つける自家製の春雨が出てきました。

 

(白/春雨)

 

 そして、その後、巨大なアスパラガスのパン粉と碾茶の衣揚げが続きます。

 

(白/アスパラガスのパン粉と碾茶の衣揚げ)

 

 そして、毛蟹春野菜を添えた一皿が出てきました。

 

(白/毛蟹と春野菜)

 

 そして、締めのご飯は、四万十川の天然鰻と筍ご飯でした。

 

(白/天然鰻と筍ご飯)

 

 実は、締めのご飯はもう1皿あり、大和牛白味噌十七味のご飯が出たのですが、この時点で日本酒をかなり飲んでいて、写真を撮りそびれてしまいました。

 

 最後のデザートは、うぐいす餅パイ生地巻き(イチゴのチョコレートが入っていたと思います。)でした。

 

(うぐいす餅とパイ生地巻き)

 

 白の料理は、全体的に繊細な味付けの料理ばかりで、塩分が好きな酒飲みの私には、少し物足りないようにも思えたのですが、しかし、盛り付けも美しく、その繊細な味付けが素材の良さを引出していて、とても美味しくいただけました。

 そして、店内で一人で訪れているのは私だけだったのですが、女将さんが料理を提供するときに話しかけてくれたり、他の店員さんも、とても丁寧で気配りの行き届いた接客をしてくれたりで、とても居心地の良いお店でした。

 

 

 ところで、志賀直哉は随筆『奈良』の中で、奈良への愛を語りながら、「食ひものはうまい物のない所だ」と書いています。

 

 これは、この言葉だけが一人歩きしてしまっているのですが、実際は、「食ひものはうまい物のない所だ」に続けて、「私が移つて来た五六年前は牛肉だけは大変いいのがあると思つたが、近年段々悪くなり、最近、又少しよくなった。」と書き、さらに豆腐雁擬(がんもどき)は良いと褒め称えています。

 

 前回の奈良旅行で訪れた『つる由』は美味しかったので、今回の奈良旅行でも二日目に訪れましたし、今回初訪問となった『』も、とても良かったです。

 奈良には、まだまだ美味しいお店がいっぱいあると思います。

 

 

 ちなみに、『』と書いて、なぜ『つくも』と読むのかというと、『』の公式ホームページによると、次のように書かれていました。

 

~「白」と書いて「つくも」と読みます。この店名には様々な想いが込められ、そして結び付いて生まれたものです。

 我々の国には、九十九年目の生誕の日を祝う習わしに「白寿」があります。百から一を、取り除いた字が「白」そして引いた数が九十九(つくも)です。

 限りなく完璧に近いが僅かに足りず。しかし九十九と百との間には永遠が存在します。

 また、古くは先人の方々から受け継がれてきた感性に、完璧を良しとせず敢えて未完成に仕上げる「未完の美」という美意識が存在します。

 そこには遊び心があり、そしてその先に未来を感じる事ができます。

 さらに「白」一語に色彩を始めとして、多くの意味が存在します。

 物事の始まり、純粋、神聖、誠実、美しさ、儚さ

 ・・・そして、無の境地です。~

  (by 白の公式ホームページより引用)

 

 また折を見て、『』を訪れてみたいと思います。

 

◇次回予告

 

 翌日は、レンタカーで室生寺を訪れたのですが、次回はそのお話からさせていただきます。 
 

 

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