尖閣諸島での漁船船長逮捕事件を受けて、中国での反日デモが続いている。
 日本共産党として尖閣諸島の領有権については、すでに1972年に公式な見解として日本に領有権があることを表明している。1884年にこの諸島を初めて探検した日本人の古賀辰四郎が政府に貸与を願いでて、後日認められ一時は160人近い人も住んで「古賀村」と呼ばれていた。又、1919年には中国福建省の漁民がその一つである釣魚島近くで遭難し,その島に避難した31人を住民が救助して、後日中華民国の長崎駐在領事から感謝状も届いている。大戦後に沖縄はアメリカの施政権下に置かれたが、尖閣列島は沖縄の一部という位置づけにアメリカでもなっている。中国や台湾が領土だと主張しだしたのは、石油天然ガスなどの海底資源があることが分かった1970年代からである。わが党は、竹島(戦争過程での領有で韓国との話し合い要の立場)にしても、千島列島(北方領土だけでなく)にしても歴史的事実を分析した上での、日本共産党として個々に歴史的経過を踏まえた領土問題での見解を出している。

  ※千島問題の歴史的経過
 特に千島列島問題においては、日本共産党が旧ソ連やロシアの手先だと思って北方領土返還に反対しているという人がおられるみたいですが、千島列島はロシアとの間で1875年に千島樺太交換条約で日本の領土となりました。しかし、終戦間際にソ連の対日参戦の代償としてヤルタ協定(イギリスのチャーチル・ソ連のスターリン・アメリカのルーズベルトの三国)で千島列島をソ連に与えるという秘密協定が結ばれました。そうした中で戦後、サンフランシスコ条約が結ばれて二条C項で日本は千島列島を放棄してしまったわけです。戦後処理においては本来交戦国の全てと講和条約を結ぶのが望ましいわけですが、沖縄をアメリカの施政権においたり千島列島を日本に放棄させたりするなどの問題があるということが理由ではなく当時の諸事情があったみたいですが、インドや中国・ソ連などは締約していないために単独講和(複数国が結んでも一国でも反対した場合は単独講和と呼ぶ))になってしまったわけです。
 だから日本がサンフランシスコ条約締約国に条約二条C項を廃棄することを道理に基づいて締約国と交渉していけば、千島列島は日本の領土と国際的にも堂々と主張できるわけです。

 その後、ヤルタ協定当事者のアメリカと安保条約を結んだ為に日本はそのことを主張できず、アメリカもソ連に対してヤルタ協定で約束しているから日本応援をするわけにもいかず、その後冷戦でアメリカはソ連を目の敵に(形の上では)していたこともあり、苦慮をした自民党政府は、元々歯舞諸島や色丹島は北海道の一部であるのに、それに国後島と択捉島を合わせて北方領土と呼んで右翼などを使って反共産主義キャンペーンを行ってきたのが真相です。