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~TRIANGLEの中心で生まれる物語~

女性社会人2人によるリレー小説です☆☆

←←好きになる人 第三話

大森純一は、その夜も同僚と、浴びるほど酒を飲んでから帰宅した。

タクシーを降りてふと腕時計に目をやると、深夜一時半を回ったころだった。

大森には、28歳の娘と23歳の息子がいる。娘は二年前にお嫁に行き、今は旦那の仕事の都合により仙台市で暮らしている。今年から社会人となった息子は、父とは全く違う道を選び、大阪で営業マンをしている。


三年前までは、この家も賑やかだったなぁ・・・


娘の結婚が決まったときは、家族4人で記念写真を撮りに、駅前の「にしむら写真館」へ行った。息子の内定が決まった日の夜には、手巻き寿司と日本酒でお祝いをした。子供の成長や巣立ちは、親にとっては嬉しいものだが、過ぎ去ってみるとこんなにもあっけなく、歓喜よりも悲哀のほうが遥かに勝る。


今、この家に住むのは、私と妻の二人だけだ。下の息子が小学校に上がるとき、私が42歳のとき、この家を建てた。念願の戸建だった。警察官は他の職業と比べて給料は安く、勤務体制も不規則で、妻には本当に苦労をかけた。だから、いつか必ず戸建の家を建てて、子供たちには一人一つずつ、小さくてもいいから自分の部屋を持たせてあげたかった。

でも今はもう、その部屋を埋めていた娘も息子も、せいぜい正月の3日間だけ顔を出す程度だ。家全体のうち、人間の息がかかる部分を数えたら、おそらく3割程度だろう。それでもなお、妻は毎朝誰もいない子供たちの部屋に掃除機をかけ、窓際に置いてある観葉植物に水をやる。



「あの窓辺のお花の世話をするのが、子供の世話をするみたいなもんかもねぇ」



と以前妻は言っていた。

笑った顔には、年のせいか、心なしか悲しみがよぎる。


玄関には電気が点いていた。出来るだけ寝ている妻を起こさないように静かな足取りで居間へ行くと、そこにはいつものように置手紙がある。



「お仕事お疲れ様です。あまり飲みすぎないでくださいね。先に休みます。景子」



たった一人で食事を作り、たった一人でご飯を食べ、たった一人で寝床に着く妻。その小さな背中を想像して自己嫌悪に陥るのは、もう何度目だろうか。還暦まであと二年、リタイアしたら、妻とどこか旅行にでも行こう。世界一周まではやりすぎだが、日本一周くらいなら、出来るかもしれない。




風呂から上がり、いつものように首からタオルを提げ、歯を磨いていたときだった。突然大森の脳裏に、昔の記憶がぱっとフラッシュバックした。

思わず左右に動かしていた手を止め、じっとしながら記憶を整理し始める。

今日の朝、交番に届いた財布に入っていた、大きくて錆びた一本の鉄釘。

あのときは、危険だなとしか思えなかったあの釘。




釘、釘、釘・・・。




そのとき、急速に巻き戻った大森の記憶は、目の前に座る小さな男の子の残像のところでストップした。

あの子の名前は確か・・・。


急いでうがいをし、半渇きの髪も気にしないで、大森は書斎へ向う。本棚に立てかけられている一冊のファイルを探した。1999年~2000年と背表紙に書かれた赤いファイルを手に取り、逸る気持ちを懸命に落ち着かせてページをめくった。ファイルの中には、新聞の記事や、当時刑事だったころの大森の直筆の手記や聞き込み調査をしたときのデータや資料がごちゃ混ぜになって綴じられている。


ふいに、ページを捲る手が止まる。



「男子高校生事故死 釘踏みパンク、即死」



と書かれた新聞の切り抜きだった。次のページには、当時調査をしたときのメモが残っていた。



「道路に鉄釘、並べたのは小1男児、キノシタテッペイ」



この事件は、大森が刑事として働いていた最後の年に起こったものだった。この手の事件の辛いところは、悪意が無いことだ。悪があれば、人はそこを狙って攻撃することが出来る。でも悪が無ければ、人はただ目の前の喪失に咽び泣くことしか出来ないのだ。ほんの出来心で釘を置いた少年は、確かに許されないことをした。でも、そこに悪意は無い。高校生の息子を亡くした家族の悲しみは、勿論計り知れないほど大きなものだが、一方で、些細な悪戯で人を殺してしまったという十字架を、たった7歳という年齢で背負わなければならなくなったその少年に対しての哀れみも、やはり大きいのだ。

大森にとっても、最後に関わった事件として、とても後味の悪い事件だった。



「この子だったのか・・・」



今日の朝の出来事を、大森は必死に思い出していた。木下の言動、木下の財布の中身、そしてその財布を拾って届けに来たあの女子高生のことも。

その日、大森はなかなか寝付けなかった。






                                  





「てっぺー、なんだったの?朝のメールは」


夕方の駅前のマクドナルドは、客の8割が高校生だ。二階の一番窓際の席で向かい合って座っている秀美と鉄平は、放課後にここで待ち合わせて、二人で一つのポテトとコーラを分けながらおしゃべりするのが、週に3回の日課になっていた。


「メールって?なんだっけ?」


「だから、これだよ、これ!」


大小・長短問わず数え切れないほどのストラップをジャラジャラと鳴らしながら、秀美は自分の携帯電話を鉄平の顔の前へ差し出す。


「あー、それね。そういうことだよ」


と鉄平は秀美をからかうようにヘラヘラと笑いながら言う。


「はー?もう、テッペーほんと意味わかんない。私はもうその時間には学校にいたっつーの!」


目をぱちくり動かしながら憤慨する秀美をよそに、鉄平はコーラを一気に飲み干した。


「えー!なに一人で飲んでんの?信じらんない。もうポテトあげないからねー


秀美と鉄平は、2ヶ月前に友達の紹介で知り合った。秀美の友達が通っていた塾の友達が、ある日鉄平を連れてきたという。その3人がここのマックでしゃべっていたとき、秀美は別の友達と待ち合わせをするために、ここへやってきた。その時に出会ったのだ。ど真ん中だった。秀美は一目で恋をした。友達伝いで恋心を打ち明け、次の日の夕方、この場所で正式に告白をした。それに対して、鉄平はいとも簡単にOKした。足も手も震え、声もビブラートをかけながら必死で思いを伝えた秀美だったが、思いもよらぬあっさりOKに、思わずぽかんとしてしまった。

それからというもの、鉄平はいつも同じ調子だ。付き合っているはずなのに、メールは意味不明で、電話も1週間にたった5分程度。手は繋ぐけど、「暑い」と言ってすぐに離されては、秀美の不安ももう限界だった。今日こそは進展させる!と意気込んでやってきたが、目の前で二人で分けるはずだったコーラを突然飲み干されては、もうどうしたらいいか分からなかった。


「なに?秀美泣いてるの?」


それまで窓の外を見ていた鉄平が、ふと前に座る秀美に顔を向けたとき、秀美は声を出さずにしくしくと涙を零していた。


「だって、だって・・・鉄平は私のこと本当に好きなのか分からないんだもん・・・手だってあんまり繋いでくれないし、キスだってしてくれないじゃん。友達はもっと彼氏といろいろしてるよ・・・ひくっ」


鉄平は何を思ったか、おもむろに秀美の手を取る。



「じゃあ、行こう」





鉄平の握力は凄かった。手を離したら、きっと紅葉みたいな赤い痕が残るだろう・・・鉄平に引っ張られて走りながら、秀美はそんなことを考えていた。

どれくらい走っただろうか。駅前にあったマクドナルドから線路沿いにずっと走ってきて、大通りの脇道に入って少し行ったところで、ふと鉄平の足が止まる。

見上げるとラブホテルだった。「パッションハート」と書かれたいかにも怪しい雰囲気のそのホテルは、ピンクとオレンジと黄色のすさまじく目立つネオンが光っている。秀美には躊躇してる時間など無かった。感動するほど慣れた手順で部屋を選び、我に返ったときにはもう、005と書かれた部屋の前まで来ていた。ガチャリと鍵を開け中に入ると、むっとした湿気と暑気に襲われた。これから何が起こるのか、秀美は正直怖かった。マクドナルドで秀美が涙を見せてから、今このときまでが、本当に一瞬のように感じられた。ここに来たということは、このまま鉄平に処女を捧げるという意味なのか。それで、本当に、いいのか私・・・。




そこまでぐるぐると考えていた傍から、鉄平はベルトに手を掛け、バサッとズボンを下ろし始めた。白いワイシャツと黒のボクサーパンツ一枚で立っている鉄平を見て、秀美は少しだけ、自分の胸が高鳴っているのを感じた。そしてゆっくりと鉄平に歩み寄ろうとした瞬間、鉄平は急に後ろを向き、パンツの右側半分をズルリと下げた。











傷だらけだった。

縦、横、斜めに何度も重ねられた傷痕。

大昔の傷痕もあれば、つい最近血を流したばかりのような生傷まである。




はっと息を飲んだ秀美を見て、鉄平は言う。





「これが本当の僕の姿。僕の右尻は一生の時間をかけて、何度も何度も血を流すように決められているんだ。まるでコンピューターのプログラムのように。そうやって、罪を償うのさ。・・・こんな僕でも、本当に秀美は見たかったかい?」


→→好きになる人 第五話

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