6月に入り、是枝監督のTV放映(「海街」「そして父になる」)及び映画封切「万引き家族」を我が身に投影する思いで見入った。

 「そして父になる」は1年前の放映に次いで二度目の観劇である。

 三作とも「家族とは?血縁とは?」の問いを、えぐるように脳に突き刺してくる。

特に、「そして父になる」は、7歳時の取り違え発覚というドラマから、実録・私自身のようで鳥肌と声なき慟哭に震えた。

 

 映画は何を訴えようとしているのか?

 私が感じるのは、「どう生きるか」を敢えて投げかけ、いくつもの生き方がある中で、あなたならどの生き方を選びますか?と、答えをその人に委ねている感じがする。

 

 万引き家族の、六人のそれぞれの最後の「目」のシーンが、それを訴えている感じがした。

・<おばあちゃん>~海辺で戯れる家族を見ながら、かすかな微笑みを浮かべて、砂を脚足  に落としながら、自らの半生に納得を見い出している表情。

 

・<母さん:信代> ~罪を背負い、共に過ごした家族を思い、満足の笑みを浮かべて、面会室を出ていく時の横顔、そこに悔いの表情はなかった。

 

・<父さん:治> ~祥太に「私を置いて逃げるつもりだったの」と聞かれ、「逃げる前に捕まった。ウン」と言いつつ、施設に帰る祥太のバスを追いかける。捨ててないよ、家族だよ、と訴えているようだった。

 

・<妹:亜紀>  ~誰もいなくなった我が家に戻り、開いていたガラス戸から、がらんとした部屋を見る。なつかしい家族風景を追っていた。

 

・<男の子:祥太>~施設に帰るバスの中で、見送る治を振り返って観ることに、ためらいながらも帽子を脱いで振り返る。見開いた瞳だった。

 

・<女の子:リン>~実の親元に戻ったものの、心は優しさにあふれた家族風景。そして、連れ去ってくれたベランダで再び待っている表情。

   

  万引き、そして死体遺棄、さらには前科ありという家族の繋がりながら、根っからの

悪の雰囲気はない。生きるために、浅はかながらも助け合う心を寄せている。確かに犯罪を美化してはならない。しかし、その場に立たされた時、何が「正義」で何が「悪」か、何が「幸せ」で何が「不幸」か、戸惑う時もあると思う。

 絶対に戸惑ってならないのは、かけがえのない命、戻ることのない人生を奪っては

ならないこと、これは断言したい。