本日、大阪の最高気温は36.4℃。昔、何とか「うだる」という名の人がいたことを思い出しました。しゃれで「木下宇陀児(うだる)」だと思っていましたが、「大下宇陀児」という推理作家でした。でも本名の姓は「木下」です。江戸川乱歩の盟友で、戦後は「二十の扉」の解答者として有名でした。
さて今日は、帰りにフェリーターミナル駅で途中下車して、昔語りのネタです。こちらが南港センタービル。フェリー乗り場のすぐ近くにあり、駐車場にも、そこそこ車が出入りしていました。
ものすごく久しぶりに、このビルまで来ました。おそらくは30年ぶりくらいです。1階にコンビニが入っていて、人の出入りは全部ここでした。隣に喫茶・食堂があります。営業時間がかなり不定期のようです。
私は30歳前の頃、やはりこの近くの職場にいました。全く何もないところに新しくできた職場。すぐ近くに大手スーパーの看板が見えたので、期待を込めて行って見ると、そこは流通センターというか、倉庫でした。
普段は業者が運んでくれる「給食」でした。でも、たまには外へ出たくなります。ホントに周辺には飲食店が全くありません。それで、土曜日…まだ半ドンの時代です…には、同僚と連れだって、このセンタービルに来たものでした。あとはもう、住之江公園か、さらに北加賀屋あたりまで足を伸ばすしかなかったのです。
当時このビルは、賑わっていました。1階には案内所や土産物屋が入り、私どもはエレベータで最上階まで上がって、そこにあった展望レストランで食事をしました。観光地か駅前食堂という感じ。
停泊するフェリーの向こうには海が広がって…これは今でもそうですが…良い気分でした。現在は…ビル自体が立ち入り禁止になっています。そう言えば朝夕に眺めますが、中に人がいるのを久しく見ませんね~。
土曜日なら、早く帰ればいいじゃない?と思うかも知れませんが、当時はほとんどの人が食事の後、また職場に舞い戻り、仕事を続けていました。何から何まで新しいことづくめで、時間が足りなかったし、何より若い人が多くて、頑張りがききましたね。
中には、一緒に北加賀屋あたりで食事したあと「まだ帰って仕事するの?ご苦労さんやね~」と、駅まで車で送って帰って行く要領のよい人もいましたが(笑)。
この当時、北加賀屋でよく行ったのが、「K」といううどん屋さん。古い造りで、飛田新地にある元遊郭を連想させる老舗でした。番頭さんというか案内係というか、お爺さんがいつも先頭に立って仕切っていました。
「ここ、面白いね~。今度のウチの忘年会、頼んでみようか」主任格の先輩の提案で、暮れの宴会の予約をしました。
ところが何と、あと数日という時にこの「K」から火が出て、全焼してしまいました。そして、番頭のお爺さん…ひょっとしたらご主人だったのかも知れませんが、店とともに亡くなったのでした。
もちろん忘年会は流れ、店はすぐ近くに新しく再建されて繁盛していたようですが、今はもう別の店に変わっています。
南港センタービルを久々に訪れて、ずいぶん昔のことを思い出しました。
今日は、出航の時間が近いので、待合室にもたくさんの人がいました。私はTVで相撲を一番見て退散します。
ターミナルの横にあるのがこの建物。以前は外資系の大型スーパーが入っていて、ここも賑わったのですが車関係に変わっています。
いっそのこと郊外パチンコにでもすれば、と思いますが、確か今でもこの南港地区は、風俗営業に属する出店は認められないのだと思います。
以上、とりとめない追想でございました。






