早くも気分は連休のしおんパパtalltreeです。
職場周辺のトラ猫、最近は弟分の黒トラも出現、そして茶トラの双子(人慣れしていないほう)も、昨日だったか、近くで見かけました。みんな冬を越せて良かった…またじきに冬が来るけどね…。
写真はスマホ撮りの猫ですが、この前ブロ友にゃんさんがヒマラヤの話を振って下さった ので、山に関する昔がたりをいたします。なお、山名・人名等は、現在と一部異なることをお断りしておきます。
----------------------------------------
小学校の読書の時間、姉の影響で「アンナプルナ登頂」を読んで以来、ヒマラヤ・アルプスの山々、登山史の本を読みあさった時期があった。
家にあった「世界地理大系」…父母が揃えていたものだが、この中の中央アジアの巻で、ヒマラヤを発見した時、大喜びしたものだった。
姉は後に、実際にネパールへも旅行する「行動派」だが、私の方は、今にして思えば自閉系統だから、ヒマラヤ山脈の山々の名を高い順に…ついでに標高も…暗記する「根暗っ子」だった。
三つ子の魂百まで。今でも8000m峰14座はもちろん、それ以下の山名もかなり覚えている。何かしら目立つ名前のところまでなのだろう、「…ピーク29・ヌプツェ」で7800mくらいか。
第10位が8000m峰初登頂のアンナプルナ8078mで、1950年にフランス隊が成功した。頂上に達した二人(エルゾークとラシュナル)は、その代償に凍傷で手足のほとんどの指を切断している。
最高峰エベレストの初登頂は1953年のイギリス隊。だいたい国ごとに「領分」が決まっていたようで、戦前もエベレストは主にイギリスがアタックし、有名な「そこに(その)山があるから」と言って、エベレスト山頂近くで遭難したマロリーもイギリス人である。
第8位マナスル8125mは、日本が初登頂に成功し、記念切手にもなっている。
「魔の山」と呼ばれた第9位ナンガパルバートに挑み続けたのはドイツ。ヘルマン・ブールが単独で登頂し、彼は後年第12位ブロードピークにも登ったが、帰途に滑落死している。
ヒマラヤだけでなく、アルプスにも惹かれた。逆に19世紀に時代が下るが、モンブランやマッターホルンの登頂記や三大北壁(アイガー・グランドジョラス・マッターホルン)への挑戦記も面白かった。
殊にウィンパーの「アルプス登攀(とうはん)記」は、今や古典だが、画家でもあったウィンパーの挿絵を随所に挟んだ名著だ。
とりわけ、マッターホルン初登頂に関する記述は衝撃的。下山途中で一人が滑落し、全員がザイルで繋がれていたのに、途中で切れて4人が亡くなり、ウィンパーが故意に切断したのでは、という疑惑への弁明のため書かれた、とも言われている。
雪崩・滑落・凍傷・高山病…登山には多くの危険が伴う。登山史は悲劇史であるとも言える。子供心に衝撃が強かったのだろう、姉と共同で、かなりの数の登山に関する書物を買って読んだものだった。
--------------------------------------------
今回、一部を除いて、できる限り記憶だけに頼って書きました。40年は優に超えて、あまり反芻(はんすう)することのない昔の記憶ですが、こういうことはよく覚えてるのですよ(笑)
