4/28は父方の祖母の命日。亡くなってちょうど50年になるので、記憶も曖昧ですが、「私の帝塚山物語」のひとつとして書けば、これもまた供養でしょう。
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私が世帯主でない旧talltree家で「ばーばん」と呼ばれていた祖母は、後妻さんだった。古い写真が掲げてあったのを見たことがあるが、父の実母は確か昭和20年に亡くなっている。
ばーばんが居たのは祖父の家、つまり今私どもが住んでいる場所だった。姉は幼い頃、このばーばんと暮らすお婆ちゃん子だった。このあたりの事情はよくわからないが、私もよく遊びに行っていたし、時々泊まりもしていたから、姉弟が完全に別々に暮らしていたわけではない。
ばーばんが亡くなる前日「今日はしんどいから帰って」と言われたのはよく覚えている。そしてその少し前、夕方テレビを見ていて、「『ひょっこりひょうたん島』って書いてあるわ」とばーばんが言ったのも記憶している。「ひょっこり」は4月から始まった新番組だった。
上の写真はしおんの作品 「土曜日の朝」
家からほんの少し歩いて広い道に出ると、帝塚山学院。地元では単に「学院」と呼んでいた。今は新しく建て替わったが、暗くなってから、スロープ状になった玄関の車寄せのところでよく遊んだ。
私が子どもの頃、帝塚山は「文教地区」で、この「学院」以外にも大阪女子大や関西外語短大が万代池の近辺にあった。
女子大のグラウンドに侵入して、用務員のオジサンにいつも追いかけられたし、学園祭の貼り紙を学生のお姉さんに頼まれて、近くの電柱に貼って模擬店のチケットもらったりした。
「学院」も短大がこちらにあったし、中等部男子も一時同居して別にグラウンドがあり、幼稚園もウチのブロックに別に敷地があった。
これらは今は売却されてマンションになっている。女子大も外語短大も移転してしまった。30年くらい前まで、帝塚山は若い学生さんがいっぱいいた街だった。
7月に「学院」で七夕祭りがあり、当時このイベント時だけ、一般にも開放されていた。時節柄「アイス買うて食べ」と、姉と私に、ばーばんが5円ずつ計10円くれた。普段からあまり気前よく小遣いをくれるような人ではなかったが、当時としては一般の相場だった。
ところが…学院内で販売されていたのは最低で20円!姉と合わせても1つも買えなかった。
幼心に、みじめさと初めて知った「貧富の差」だった。これは強烈だった。
その後どうしたか、半泣きで帰ったような気もするが、あまりよく覚えていない。
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何だか書いてて「泥の河」みたいな話になってしまいました。
お粗末さまです。
明日(4/29)は誕生祝いpartⅢ(引っ張るな~)の予定です…コメント大歓迎!


