この「紫苑色の風が運んだ物語」は、「Yoko TTF」による連作エッセイです
個展の初日の様子を見た紫苑の2才上の兄、葵がお祝いの意味を込めて作った詩がある。
猫の記念日
お祝いの花を またひとつ受け取った
それだけ君は 愛されているんだね
入口で君は 朝からずっと立っている
誰よりも早く お客を迎え入れるため
一瞬一瞬の 心のメッセージ
猫の目ビームが みんなを待っている
お祝いの席に またひとり駆けつけた
それだけ君は 愛されているんだね
何気なく押した ボタンが君の分岐点
表現の壁に はしごが架かり乗り越えた
一枚一枚の 心のメッセージ
みんなが笑顔で 返事をしてくれた
たくさんの方たちから豪華な花をいただいて、お祝いを受けている弟のことを優しく見守っている兄の視線が温かくて、ほほえましい。そこに、ほんの少しの羨望が混じっているのも、逆に素直さを感じさせる。ギャラリーのホームページにおいて、写真展の展示レポートの中で、この詩が紹介されている。詩を読んだ何人かの方たちから「歌になりそうな詩ですね」と言われた。まさにその通り。葵は、日々言葉と格闘しながら、作詞の修業中である。この詩も、まだ曲はついていないが、字数やリズムを計算して作られており、音律に乗せることができる(よろしかったら、どなたか素敵な曲をつけてやって下さい)。
でも、なぜ「猫の記念日」というタイトルなのか。弟が猫とはどういうことなのか。
そのお話をするために、30年程の時を遡ることにしよう。
私が大学3年生の初夏のある日、サークルの後輩から一匹の仔猫を預かった。「下宿の橋のたもとでニャーニャー鳴いていた。僕の下宿は、大家の家が近いから飼えない。かわいそうだから、先輩、2~3日でいいから預かって下さい」と渡された。やせているため、やたら手足の長さが目立つ、生まれて2カ月くらいの小さな茶トラの猫だった。学生というのは気楽な身分だ。自分が共同住宅の下宿で暮らしていて、4畳半の部屋しか持っていないのに、大した躊躇もなく、猫をもらってしまうのだから。幸い、私が暮らしていた下宿から、大家の自宅はひと駅離れていて、下宿代の集金のとき以外はあまり姿を見せない。
とりあえず預かった仔猫は、お腹を空かしているのか、ニャーニャー鳴き続けた。下宿の部屋で動物を飼っていいはずがなく、さすがに鳴き声で他の住人に気付かれてはまずいので、静かにさせるために、まず牛乳を飲ませてみた。小さな舌でチロチロと飲んだ。「何か猫が食べそうなものは…」と冷蔵庫の中をのぞいてみたとき、はたして私は猫を飼ったことがないことに気がついた。猫はいったい何を食べるのか。一人暮らしの学生の冷蔵庫に豊富な食料が入っているわけもなく、片隅にあったウィンナーソーセージを小さくちぎって、与えてみた。ひと口食べるには食べたが、何だかまずそうだ。そうか、ウィンナーは嫌いか。猫には、やっぱり魚かな。野良猫だが、人には慣れているようで、容易に抱くことができたが、骨と皮ばかりでなんとも頼りない。
何か食べさせないと命が危なそうな感じがして、2~3日、猫の食事のことで悪戦苦闘していたとき、教育実習で帰郷していたTさんが下宿に帰ってきた。頬がこけている猫の顔を見て、Tさんがカマボコを買ってきてくれた。
そしてカマボコを縦横、それぞれ何本かの切り目を入れて1㎝角くらいの賽の目状にして、最後に板をスーッと切り離してお皿に載せて置いた。仔猫は、「ニャンニャンニャンニャン」と声をもらしながら、おいしそうに食べた。
「ああ、これで、この猫は生きていける」と、ほっとした。家計の都合で、毎日カマボコをやることはできなかったが、この賽の目カマボコが最後まで一番の好物であった。
仔猫は茶トラのオス猫で、首やおなかや前足は真っ白だった。猫にしては目が切れ長ではなく、どこかマイルドで、癒し系のファニーフェイスだったことから、「ファニー」という名をつけた。しかし、本名で呼んだことはほとんどなく、私たちはいつも親しみを込めて、彼のことを「ファン」と呼んだ。
猫を飼っているというよりは、ファンと共同生活をしているという感じだった。下宿の周りは、大学前の大きな道路のところまで、果てしなく田んぼや畑や野っ原が広がっていた。まだ幼かったファンは、豊かな自然の中で自由に駆け回って育った。お腹が空いたときと、夜寝るときだけ帰ってきて、部屋の窓の外枠にドスンと飛び乗って「ニャア」と、ただいまの合図をするので、開けてやった。ファンはいつも元気いっぱいで、日なたのにおいがした。
下宿は、長い廊下をはさんで左右に部屋がいくつか並んでいたが、その廊下の、共同台所へ向かう曲がり角のところで、よくファンに驚かされた。彼は角の向こう側の見えないところで待ち伏せしていて、私が知らずに通ると、身体全体をモモンガのように大きく広げて、ビヨーンと飛び出してくるのである。不意をつかれて「キャア~ッ」とびっくりする私を見て、ファンが喜んでいるのが、はっきりとわかった。廊下の真ん中あたりに置いてある共同電話の台の陰から飛び出してきたこともある。Tさんもいつもやられていた。
猫がそんなことをするなんて知らなかったが、完全に私たちはファンの遊び相手にされていた。ファンは私たちが近づいてくるのを、いつもワクワクした気持ちで待ち伏せしていたにちがいない。当時は、なんて愛嬌のある可愛いやつなんだと思っていたが、人間とそうやってコミュニケーションをとって遊ぶことができるなんて、相当に知能が高い猫だったんだなあと、改めて思う。
ウチに来て半年経った頃には、顔は夏みかんくらいの大きさになり、体重も7倍ほどになり、筋肉質の、立派な雄々しい姿の猫になった。運動能力も抜群で、窓を開けてファンを迎え入れた途端、口からポロッと、ハンティングした獲物(ネズミやスズメ)の頭部を見せられて、キャーキャー騒いだことも一度や二度ではない。ファンにしてみれば、得意げに私に見せるために持って帰ってきたにちがいない。もっとほめてあげれば良かったと思う。
動物好きのTさんの部屋には、大学の主となっていた野良の白いオス犬、フミさんがよく「遊び」に来た。お腹が空いたり、寒かったりすると、フミさんは部屋のドアをノックしてやって来るのだ。この犬も相当賢い。少し歳をとっていたので、動きも性格もとても穏やかだった。若いファンは、このフミさんにも、ちょっかいを出したり、待ち伏せしておどかしたりしていた(フミさんは年の功で「もう、しようがないヤツだなあ」と、迷惑そうにしながらも耐えていた)。ファンには、ヒト属・イヌ属・ネコ属などの生物学的分類の壁がなかったのである。
真夏の暑い日、Tさんの愛車シビックのボンネットの上を「おまんじゅう(肉球)がアチッ!アチッ!」と早足で歩いていたファン。
真冬の雪がたくさん積もった日、畦道の雪の上を「おまんじゅうがツメタッ!ツメタッ!」と早足で歩いていたファン。
私のところへやって来る前、傘でいじめられたことがあるのか、折り畳みの傘を目の仇にしていて、見せただけで極上のパンチを食らわせてきたファン。
私たちが湘南の海にドライブデートに行ったとき、お土産に持って帰った箱いっぱいの砂の匂いを、海なし県で生まれ育ったにも関わらず、なぜか懐かしそうに嗅いで、いきなり掘り始めたファン。
動きが俊敏だったため、走っている姿を写真に撮ったら、茶色と白の固まりにしか見えなかったファン。
大好物の賽の目カマボコを、ソ・ミ・ミ・ミの音階で「ニャン♪ニャン♪ニャン♪ニャン」と声を洩らしながら、おいしそうに食べていたファン。
冬休みが開けて2週間ぶりに私が下宿に帰ったとき、ガラガラのしゃがれ声で鳴いていたファン。(私たちがいなくなったと思って、ずっと鳴き続けていたんだね。ごめんね、ファン)
今でも、幾つものシーンが甦ってきて、胸が切なくなる。だが当時は「私が卒業したらファンはどうなるのだろう」とか、考えたこともなく、その時その時を精いっぱい楽しんで過ごしていた。そしてそれは、ずっと続くものだと、何の根拠もないのに思っていた。
なのに、ある日突然ファンがいなくなった……。
------ 第6回【 猫の記念日 part 2 】へ続く ------

